のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

野菜たちの“命のサイクル”と“輝き”を見事に捉えた写真集‥奥田實氏の『野菜美』

2014-08-28 20:31:33 | 日記

 写真家・奥田實氏が、前回の『生命樹』に続く第2弾として、今春、『野菜美』という写真集を出版された。

                    

        

 

 奥田實氏は、実は、私の学生時代の友人・Oさんの弟君でもある。

 ご本人とお話したことはないけれど、Oさんを通じて、實氏のこれまでのガンバリぶりを聞いていた。

 ずいぶん前になるが、大雪山を撮られた写真集を買わせてもらったこともある。

 

 奥田氏は、若い頃からプロの写真家をめざし、撮るべき対象・美しい風景を求めて、全国を行脚される。

                      

 

 

 その彼の心をつかんだのが、北海道の自然の雄大さと美しさ。

 彼は38歳のとき、埼玉から北海道・大雪山の麓に居を移され、本格的に北海道の自然と向き合われることになった。

 

 しかし彼は言われる。

 「どんなに美しい風景にカメラを向けても、心から満足できる写真はできない」と‥。

 

 そんな彼に、ある出会いが訪れる。

 彼がいつものように森を歩いておられた時、いつも見慣れた“オニグルミ”の高い木の上に、小さな花が咲いているのを見つけられたのだ。

 決して華やかでもなく、普段なら見過ごしてしまいそうなほどに、ひっそりと咲いている花‥。

      

                                 オニグルミの木と、その花

 

 その花を見て奥田氏は、今まで何気なく見てきた樹木たちの、“命の営み”に気付かれたという。

 それ以来彼は、一本一本の樹木の今の姿だけでなく、その“命の営み”を捉える写真を撮っていこうと決意される。

 10年ばかりの艱難辛苦を経て、彼の努力は、『生命樹』という写真集(一番上・左の写真)として結実した。

 

 『生命樹』は、各方面から注目と絶賛を浴びた。

 写真集を買った学生時代の友だち二人も、「素晴らしい本よ!」と興奮気味に語っていたほどだ。

 (私は残念ながら、お値段の高さからその写真集を買わなかったんだけれど‥)

 

 『生命樹』が世間の評価を受ける中、奥田氏は次の写真の対象として、樹木よりもっと身近な畑の野菜たちに、目を向けられる。

 そして、その彼の試みに注目したNHKが、奥田氏の生活を追ったドキュメンタリー番組を作成した。

 それが、昨年のお正月に放映された、『不思議の庭の野菜たち』という番組だ。

                      

              ~私はこの番組を見て、(上に書いたような)奥田氏の歩みも知ったのだったが~

 

 

 奥田夫妻は、大雪山の麓の、自然のまっただ中で暮らされている。

                  

                        

 

 

 北海道の自然は美しく、素晴らしい表情を見せてくれる。

                         

                    

 

 

 けれど同時に、北海道の冬は、言うまでもなく厳しい。

 下の写真は、屋根の雪下ろしをされる奥田氏。

    

 

 

 そんな生活の営みの中で、奥田氏はご自分の畑の野菜たちの撮影を続けていかれた。

                  

                        

 

 

 “野菜”と言えば、私たちは普通、“食べもの”として見、考える。

 しかし奥田氏はそうではなく、自分の畑の野菜たちを、一つの“命のサイクル”を持つ植物として、見つめ続けていかれる。

 そして野菜たちが、そのサイクルの中で“輝く瞬間”を捉え、カメラに収められるのだ。

 

 私は、奥田氏が掘り起こされたアスパラガスの、地中に張った根の圧倒的な存在感に、驚嘆した。

                       

 

 そしてアスパラガスに花が咲き、実がなるなんてことも、想像だにしなかった。

 下は、夜露を浴びて輝く、アスパラガスの赤い実。

                  

 

 


 

 

 

 ☆以下、奥田氏がそのように撮影を重ね、まとめ上げられた写真集・『野菜美』の中から、私が特に心惹かれた写真を載せさせていただきます。

  ただ、下の写真はどれも、奥田氏が創りあげられたページの一部であり、これらが奥田氏の表現しようと思われた意図に反することがあるかも知れな

  いという危惧をもちつつですが‥。

           

            種子をいっぱいつけたフキの実                        ルバーブの新芽

 

          

        ホースラディッシュの新芽と根                      ニラの花とつぼみ 

 

                

              アカジソの実(断面)                          ズッキーニの花と実

 

            

                    セロリの花                              根が出たジャガイモ

 

            

                                 ゴボウの花 (右はその断面)

 

      

               メキャベツの若い株                     カブ(左‥発芽 右‥越冬して新芽を出した株)

 

                 

                               成長したミョウガと花

 

 ☆奥田實さん、私が見たこともない野菜の輝ける姿を見せていただき、本当にありがとうございました!

   しばらくはユックリ休まれて英気を養われ、また私たちを、未知の素晴らしい世界へといざなってくださいマセ。

 

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    

   

                     

                 

 

 

 

                       

                     

 

 

 

 


久しぶりの歯医者さん

2014-08-26 20:47:29 | 日記

 今日は、前から予約してあった歯医者さんに、3か月ぶりの歯の点検に行った。

 私の行っている歯医者さんは、『和泉歯科医院』。

 和泉歯科医院は、大阪地方裁判所の左隣の、こじんまりしたビルの2階にある。

 

     

 

 和泉歯科では、先生が全く一人で、診療・治療に当たられている。

 受付に奥様がおられる以外、看護師さんも歯科衛生士さんもいない。

 人によっては、それはどうも‥と思われる向きもあるかも知れないけれど、私には却ってそれが、とても心地いい。

 確かに一人で大変だと思うが、先生は、段取りよく的確な動きで、治療を進められる。

 歯の状態と治療の方針についての説明も的確で、何よりも治療が丁寧で行き届いている。(しかも手早い)

 私は和泉先生を心から信頼している。

 (なので私は、歯の治療は、死ぬまで和泉先生にお願いしたいと思っているんだけれど、通うことができなくなるとそうもいかないのかな…。)

 

 

 歯の点検が終わったあと、私は淀屋橋駅に向かう前に、少しそこらをぶらついた。

 大阪地方裁判所の建物のすぐ傍に、『佐賀藩蔵屋敷跡』の石碑があるのを、今日初めて見つけた。

                    

 

 

 次は、歩きながら撮った写真・2枚。

                

 

 

 私は久しぶりに『中央公会堂』に行ってみた。

 そしてできれば、公会堂1階の食堂で昼食をとりたいと思ったが、あいにく月曜日は定休日だった。

                

                          

 

 

 仕方なく、土佐堀川を左に見ながら、淀屋橋駅に向かう。

 土佐堀川では、お馴染みのアクアライナーが、お客さんを乗せたあと、水を蹴立てて走っていった。

                  

                         

 

 

 この時季は、市役所横でも御堂筋でも、サルスベリの花が満開だ。

                 

 

 

 中央公会堂がダメだったので、私は梅田に出て、いつもの『うを佐』で昼食をとった。

 今日は新しいメニュー(『涼風ランチ』)を注文してみたが、やっぱりとても美味しかった。

      

 

 


 

 

 ≪付録≫       

   今朝又々撮ってしまった、“ゴーヤ”と“ペチュニア”のコラボ写真・2枚。

          

 


“無いものねだり”より、“有るもの探し”

2014-08-24 17:45:39 | 日記

 先日の「ハートネットTV」(Eテレ)では、2日にわたり、二人の方によって、≪私のリハビリ体験記≫が語られた。

 ブログタイトルのことばは、その中の一人、桜金蔵氏が述べられたことば。

 桜金蔵氏(57歳)は、脳出血で倒れれられたあとも、再び舞台に立つために懸命のリハビリをされ、今では不自由な体ながら、実際に舞台にも上がら

れている。(写真・右)

                   

 

 そんな彼の、座右の銘ともいう言葉‥≪無いものねだりより、有るもの探し≫

 

 


 

 

  もう一人は、かつて「失語症」や「高次脳機能障害」の研究や臨床に、30年以上従事されていた、関啓子さん

 彼女は、その仕事をされているさなか、57歳のときに脳梗塞で倒れ、自らが失語症や左半身の麻痺に悩まれることになる。

 でも彼女も前向きにリハビリに取り組まれる。 (左はマシーンに乗ってのウオーキング、右は発生練習に取り組まれる関さん。) 

                      

 

 その彼女のことばで、とりわけステキだと思ったもの。

         ≪不便を受け入れて、楽しむ≫

         ≪発症前の自分と(今の自分を)比べない≫

         ≪“焦らない” “悔しがらない” “諦めない”≫

 

 

 ☆お二人のことばは、障害の有る無しにかかわらず、私たちがこれからを生きていく上で、心に刻みつけておかなければならない、大切な言葉だと思っ

  た。

         

 


来年も元気でお会いできますように!(昔の仕事仲間の食事会)

2014-08-24 16:47:12 | 日記

 数年前、あるきっかけから、昔一緒に仕事をしていた仲間(男性も含む)が集まって、食事をしながら旧交をあたためることになった。

 その時は、確か9名ほどが集まったと思う。

 でもその後、病気で来られなくなった方などがあり、3年前から参加者は、男性3名・女性2名の合計5名になってしまった。

 しかも、その5人のうちにも、脳梗塞になられて身体がやや不自由な方あり、今年になって緊急入院された方あり(今は良くなっておられるが)で、完全

な健康体の人は、(私も含めて)一人もいない。

 月日の流れって、なかなか残酷だ。

 

 今年(8月23日)は昨年に続いて、みんなが集まりやすい、近鉄上六百貨店のレストラン街の中の『美濃吉』で食事することになっていた。

 

                       ~美濃吉の入り口と、予約してあった個室~

           

 

 集まれば皆がそれぞれに近況を報告しあい、和気あいあいの楽しい食事会になった。

 (食事もなかなか美味しかった!)

 食事後は、同じ百貨店内にある「英国屋」で、それぞれに好みの飲み物やスイーツを注文し、それを食べ(飲み)ながら、更にお喋りに花を咲かせた。

 そして、来年もまた同じ場所で会うことを約束して、5時前に散会した。

 

 月日の流れとともに、お互いに歳を取り、場合によっては病気になることも、致し方ない。

 でも願わくば、(私も含めて)皆が、来年も元気で集まることができますように!

 私は帰路につきながら、心からそう願った。


≪カンテ グランデ≫で、“一人ランチ”

2014-08-22 17:11:27 | 日記

 ≪カンテ グランデ≫は、インド(エスニック)料理のお店として、かなり名の知れたお店だ。

 梅田の幾つかの有名ビルや地下街に出店しているし、梅田以外の繁華街にもお店がある。

 その本店が、なんと中津にあるのだ。

 私は、まだ中津の住人でなかった若い頃、友だちに誘われて行ったことがある。

 そして、中津に越してきてからは、だいぶ前に、1、2度行った。

 (そんな有名なお店が、歩いて行けるところにあるのに、それ程行っていないのは、私がエスニック料理をあまり得意にしていないからだ。)

 

 ところが一昨日、私は何故だか急に行ってみたくなって、≪カンテ グランデ中津本店≫に足を運んだ。

 ≪カンテ グランデ中津本店≫は、地上にある門を入り、階段を降りたところにある。

         

                  たくさんの鉢植えが置かれ、木々が植えられている≪カンテ グランデ≫の入り口

 

               

 

 

 お店の内部は、いかにもエスニック料理のお店らしい雰囲気だ。

          

 

                    

 

 

 私は、900円のごく一般的なランチメニューを注文した。

                     

 

 野菜カレーにナン、サフランライス、サラダ(チョッピリだけど)、それに好きな飲み物が注文できる。

 私は、せっかくだからと、冷たいチャイをもらった。

 カレーとサフランライス、サラダとチャイはとても美味しかったが、ナンがちょっと…という感じだった。

 でも、私は出された料理を完食した。

 

 

 私が≪カンテ グランデ≫に行ってみようと思ったのには、食事以外にもう一つ目的があった。

 それはこのお店に、お店の主とも言われる有名な猫ちゃんがいて、その猫ちゃんにぜひ会ってみたかったからだ。

 往時はお店の主として、お店の中心に置かれた通称≪王様の椅子≫に、どっかと座を占めていた猫ちゃん。

 しかし時は移り、かつて主(王様)だった猫ちゃんも、ずいぶん年老いてしまっていた。

 お店の外で、日除けに差し掛けられた傘の下、敷物の上に横たわり、じっとして動かなかった。(写真・左)

 あまりにじっとして動かないので、私は猫ちゃんが息をしているのかどうか、心配になったほどだ。

 でも帰りに見ると、猫ちゃんの向きが逆さまになっていた(写真・右)ので、「ああ、大丈夫なんや!」と、ホッとした。

 でも、もしかしたらこれは、猫ちゃんが自力で動いたのではなく、この猫ちゃんを大切にされてるお店の方が、私が食事をしている間に、向きを変えてあ

げられたのかもしれない‥。

 

 こんなことがあって、今回の≪カンテ グランデ≫行きは、「生き物は時とともにすべからく年老いていき、最後には死を迎えるんだ」という当たり前のこ

とを、目の当たりにしたような、ちょっと物悲しいものになってしまった。

          

 

 

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                                ~昨日の朝の公園の花たち~ 

 

 (この間も載せたが)花びらが触れればすぐに傷んでしまうなほどに薄く、淡~いピンク色の朝顔‥そのはかなげな姿に、やっぱり心惹かれて又写真を

撮ってしまった。

 そして、それとは対照的に、真っ赤で精力的な、芙蓉の蕾と花。

        

          

 

 

 ほおずきと、ピンクの花(名まえが分からない)

    

 

 

 垣根として植えられているアベリアの花が、今頃また勢いを取り戻して、甘い香りを辺りに漂わせている。

                     

 

 中津公園の百日紅も、やっとのことで、花数を少し増やしてきた。

                    

 

 

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                               ~ベランダから見た、今朝の空~

 

 雲を見ると、だいぶ秋めいてきた感じ。

 でも、まだまだ暑い。

 空高く聳えるクレーンは、中津の象徴だった≪世界長ビル≫を取り壊して、超高層マンションに建て替えるためのもの。

                   

 

 

                    

 

 

 

 

 

 


万博公園の≪向日葵≫と、≪イルミナイト万博≫ (2)

2014-08-19 20:58:04 | 日記

 ≪イルミナイト万博≫は、(たぶん)今年初めての試み。

 普段は5時閉館の公園を9時まで開けて、夏の夜のひと時を、イルミネーションを見ながら、楽しく過ごしてもらおうという趣向だ。

 

 向日葵を見終ったあとも夕暮れまでには大分間があったので、私たちは屋台(屋台も沢山出ていた)でたこ焼きその他を買って食べ、小腹を満たした。

 ≪イルミナイト万博≫は、主に家族連れやカップルを対象にして考えられたものらしく、子ども向けの遊具もいろいろ置かれていた。

 私はヒマにまかせて、遊具で楽しそうに遊ぶ子どもたちを見て歩きながら、写真を撮った。

 

 下は何という遊具か知らないけれど、子どもたちは、とっても上手に、とっても楽しそうに、宙に舞っていた。

                   

 

 

 いろんなところで、子どもたちの歓声が上がる。

     

 

 

 日中はボートなどで賑わう池が、営業を終えて、静かにさざ波を立てていた。

                        

 

 

 6時過ぎ、まだ辺りは明るいけれど、イルミネーションが灯り始めた。

                 

 

                

 

 

 光の向こうの“お祭り広場”では、家族連れが集まって、自分たちが持ってきた花火に興じていた。

                    

 

 

 太陽の塔の広場に向かって歩いていると、名まえは分からないけど、涼しげな色の花が群れ咲いていた。

                   

 

 

 木々の間に、光のオブジェが2つ、置かれていた。

               

 

 

 太陽の塔の広場に近づくと、光の球体が現われてきた。

                   

 

                   

               

                  

 

 

 太陽の塔の正面に廻って見た、光の球体。

                   

                   

                   

 

 

 最後に、太陽の塔(全体)と球体を一緒に。

                            

                

 

 私たちが万博公園をあとにしたのは、7時すぎ。 まだ薄暗がりだ。

 もっと夜が更けるとイルミネーションも違った美しさを見せるのだろうけど、高齢者の私たちには、その時間まで待つ元気はなかったのでありました‥。

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

   

 

 

 

 


万博公園の≪向日葵≫と、≪イルミナイト万博≫ (1)

2014-08-19 16:19:33 | 日記

 私が夏の風物詩として、毎年楽しみにしている花火大会。

 しかし今夏は、「なにわ淀川花火大会」も「猪名川花火大会」も、台風のため敢え無く中止になってしまった。

 仕方がないとは思いつつ、夏らしいものを何も見ずに、8月が終わってしまうのは、なんとも淋しい‥。

 

 そこで一昨日(17日〈日〉)、私は急に思い立って、「万博公園の向日葵」を見に行くことにした。

 モノレールの万博公園駅で降りて公園への道を歩いていると、前方を、見知った感じの二人連れが歩いている。

 もしやと思って近づいてみると、やっぱり姉夫婦だった!

 姉夫婦は、≪向日葵≫と(この日が最終日の)≪イルミナイト万博≫を見るために、来たとのこと。

 私は家を出るまで≪イルミナイト万博≫のことは全く知らなかった。

 モノレールの車中の広告でその行事のことを初めて知ったが、自分の今の体力を考えて、夜まで待って見るべきかどうか迷っていた。

 でも姉たちと一緒なら、即OKだ!

 

 私たちはまず≪ひまわり畑≫へと向かった。

 春には≪チューリップ畑≫になるところが、今年から夏は≪ひまわり畑≫として活用されている。

 実は≪ひまわりフェスタ≫もこの日が最終日だったので、私は向日葵はほとんど終わっているのではないかと心配していた。

 でもその心配は全くの杞憂で、向日葵は強い西日を浴び、青空に向かって、元気いっぱい咲いていた。

  

 

 

 次は、ひまわり畑の写真・3枚。

                  

                  

                 

 

 

 万博のひまわり畑には、ちょっと変わった種類の向日葵も植えられている。

                  

              

 

          

 下の写真の向日葵は、“モネの向日葵”と呼ばれているのだそうだ。

 (右は、その“モネの向日葵”の傍の芝生を、元気に駆けまわっていた、まだ幼い男の子。)

    

 

 

 蝶々が止まっているのを見つけて慌ててシャッターを押したが、うまく撮れなかった。

    

 

 

 向日葵を堪能した私たちは、ひまわり畑をあとにして、≪イルミナイト万博≫が行われる場所を目指して歩いた。

 途中の花壇の小さな花々や草木の緑が、向日葵の強烈な黄色でちょっと疲れた目に、爽やかに映った。

                    

                   

 

 

    

 


親バカ写真!?(ハイビスカスとゴーヤ)

2014-08-15 17:09:31 | 日記

 昨日の朝、ベランダのハイビスカスが「3つも」咲いた。

 前にも書いたけれど、このハイビスカスの鉢は数年前に買ったもの。

 数年間植え替えもしてやらず、水だけ(たまに液肥を)やってきた。

 それでもハイビスカスは年々大きくなって、今では、小さな鉢の中で窮屈そう。

 もっと大きな鉢に植え替えてやれば、もっと伸び伸び生長して、花ももっと沢山つけるだろうに‥。

 (さすがに今年は花数が減っている。)

 

 そんなハイビスカスが、昨日「3つも」花を開いたのた。

 私は感激した。

 今夏中に3つも花を咲かせるなんてことは、まあないだろうな…。

 私は急いでカメラを取ってきて、早速写真を撮ったのでありました。

 ハイビスカスは今までに何度もこのブログに載せてきたし、改めて載せるほどのものではないことは重々解ってはいるのですが、「親バカ」の為せる業

だと思って、どうかお許しくださいマセ。

             

 

 

 (けれど、下まで降りて行って写真を撮るなんてことになると、これはもう、親バカと言うか、暇人の為せる業以外の何物でもありませんナ‥笑)

                 

 

 

 ハイビスカスを撮ったら、序でにゴーヤも撮りたくなってしまった…私。

 もうアレコレ言わずに、今日撮った写真を2枚、下に載せます。

                   

 


2つの≪NHKスペシャル≫から受けた、強い“ショック”と“怒り” (2)

2014-08-15 14:49:12 | 日記

 私に衝撃を与えた、“2つ目”の「NHKスペシャル」は、アメリカのビキニ環礁での水爆実験をとり上げたものだった。

                    

 

 

 終戦後9年目の1954年、アメリカは、ビキニ環礁で、広島原爆の1000倍もの破壊力をもつ、水爆の実験を行った。

       

 

 

 当時、ビキニ環礁付近で操業していた日本の漁船『第五福竜丸』は、その水爆実験による“死の灰”を浴び、乗組員全員が被爆した。

 そして、第五福竜丸の機関長・久保山愛吉氏は、原爆症のため、ついに帰らぬ人となった。

                   

 

 ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した日本人を、三たび襲った核の脅威、そしてそれによる犠牲。

 

 (ここまでは、周知の事実と言ってもいいだろう。)

 

 今回「NHKスペシャル」が取り上げたのは、当時この海域には、「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が操業していたという事実だ。

                     

 

                        それらの漁船で働いていた人たち(若者が多い)

                     

 

 そして、それらの漁船も、当然ながら、第五福竜丸と同じように被爆していたのだ。

 それなのに、その事実を、アメリカはもちろん日本政府も、ひた隠しにしてきたのだ。

         

 

 

 しかし今年2月、情報公開請求によって、アメリカで公開された【極秘文書】によって、当時アメリカによって漁民たちの被爆の実態が調査されていたこと

が明らかになったのだ。

 そして、日本にも、その調査結果が残されていたことも。

    

        

 

                        

 

 

 何という欺瞞・隠ぺいだろう!

 私は激しい怒りを感じると同時に、先ほど国会を通過した≪特定秘密保護法≫のことに思いを馳せざるを得なかった。

 ≪特定秘密保護法≫などという法律が無かった当時でさえ、自分たちにとって都合の悪い情報を隠ぺいしてきた政府。

 ならば‥今後、秘密保護法の名の下に、国民にとって必要な情報が、政府によって更に隠ぺいされ、しかもそれが、正当化されるのではないか!?

 そして、その秘密(正しい情報)に迫ろうとすれば、罰せられる!

 ≪特定秘密保護法≫は、民主主義に反し、ひいては国の将来を過つ、本当に危険な法律だ。

 こんな法律が簡単に(ではないかもしれないが)通ってしまう、今の日本。

 憂えているだけではどうしようもないけれど‥。

 

 


 

 

 もう一つ、この番組で私が改めて知ったのは、原発の推進が、この当時のアメリカの日本に対する政策から生まれたということだ。

 「第五福竜丸」の被爆で、日本に起こった反核運動を鎮静化するために、当時のアイゼンハワー大統領が≪原子力の平和利用≫を提唱し、推進した

のだ。

                     

                     

 

 

 そして、日本政府はまんまとアメリカの策略に乗った。 

 (というか、それは、日本政府も望むものだったのだのだろうが‥)

 日本各地で、下の写真のような≪原子力平和利用博覧会≫が開かれ、多く国民が動員され、懐柔されていく。      

                   

 

 その中でアメリカは、自信に満ちて、次のような発言をして憚らなかった。

                   

 

 原子力の平和利用、それはとりもなおさず、≪原子力発電所の建設≫ということだ。

 東北・福島に、いや、日本全体に、未曾有の困難と不幸をもたらしている≪原発≫の大元は、ここから始まったのか‥。

 私は、核大国アメリカの傲慢さと、それに追従した日本政府に、心から激しい憤りを感じる。

 同時に、当時真実を見抜けなかった多数の国民のことを思うと(私もその一人だが)、辛く悲しい。

 私たち国民は、これを教訓に、いつも何が正しいのか、見抜く目を持たねばならないと、つくづく思う。

 原子力の平和利用なんて、あり得ないことなんだから!

 

 

 

          

 

 

 

 

 

 

                 

 

 

 

 

   

  

                   


2つの≪NHKスペシャル≫から受けた、強い“ショック”と“怒り” (1)

2014-08-13 18:52:03 | 日記

 7月の終わりから8月にかけて、NHKは、立て続けに、様々な問題を取り上げた≪NHKスペシャル≫を放映している。

 その中から、特に私が強い感銘(と言うか、ショックというか‥)を受けた2つのNHKスペシャルの中味を、このブログ上に残しておきたいと思う。

 NHKスペシャルが提起した重大な問題を、頭に刻み込んで、忘れないために!

 

 その一つは、7月25日に放映された、下の表題の番組。

                   

 

 

 今東京は、凄まじい建設ラッシュに湧いている。

 (それをもたらしたのは、現政権が推し進める≪経済の立て直し・強い経済の復活(アベノミクス)≫と≪オリンピックの招致≫だ。)

       

 

 

 それに比して、被災地の災害公営住宅の建設は遅々として進まず、多くの被災者が未だ仮設住宅での不自由な生活を余儀なくされている。

                      

 

        

 

 

 今年に入って、仮設で暮らす人々の健康状態は、悪化の一途をたどっている。

                             (下のグラフはその一例)

          

 

 災害復興住宅の建設は、一刻を争う急務なのだ。

 

 だが、それが一向に進まない!

 なぜか?

 

 それは、(上に書いたように)東京を中心として全国的に繰り広げられる異常な建設ラッシュが、被災地から、“人手”も “建設資材”も、奪い取っている

からだ。

 今被災地では、復興住宅を建てようにも、“人手”は集まらず、“建設資材”も不足している。

 そこで工事は予定より大幅に遅れる。

                     

         

 

 

 そして工事は、遅れるだけでなく、今では開始のメドも立たない状態だ。

 それは、災害公営住宅の工事を請け負う業者が決まらないからだ。

 工事を請け負う業者は、入札によって決められる。

 しかし、人件費と建設資材の高騰によって、どの業者の入札価格も、(国の決める)予定価格を上回ってしまうからだ。

 そこで、“入札不調”が続き、業者の決定さえできないのだ。

                        

 

 

 このような入札不調は、全国的にもあるにはあるが、それが圧倒的に多いのは、やはり被災地の各県だ。

                    

 

 現政権の政治家たちは、選挙前・選挙中は、

  「被災地の復興が、今の日本の最優先の課題だ!」

  「被災地の復興なくして日本の復興はあり得ない!」

 と、声を大にして言い放っていた。

 

 しかし、その舌の根も乾かぬうちに、被災地で、こんな事態が起こっているのだ。

 そして当の為政者は、この被災地の深刻な事態には見向きもせず、≪強い経済≫と≪オリンピックの成功≫に、ますます躍起になっている。

 何ということだろう!

 

 

 年老いて体調を崩した父のためにもと、自力で資金を集め、自宅の再建を決められた鈴木さん。

                       

                             左が鈴木さん。右がその父上。

 

 鈴木さんの新居は、当初、年内には出来上がる予定だった。

 新居でお正月を迎えることを、鈴木さんもお父さんも、心待ちにされていた。

 けれど鈴木さんは、工事を請け負った工務店から、人手と資材の不足のため、来年の春にならなければ完成は無理だと告げられる。

 それを聞いて鈴木さんがつぶやかれた言葉‥。

  「東北の地震なんて、津波なんて、もう忘れられてるんですよね…」

 この言葉と、父上の流された涙に対して、国政を担う政治家は、いったいどう答えるつもりなのだろうか!?

                       

 

 

 【追記】

  『日本経済の復興とオリンピックの成功』のために、“見捨てられた被災地”!

  その残酷な政治と経済の在り様を明らかにしたいと、このブログを書こうとしたが、うまく書けなかった。

  自分の非力をつくづく感じる。

  

  

 

 

 

      

 

 

 

                             

 

 

 

 

 

 


台風来たりて、亦去りぬ。

2014-08-11 13:21:16 | 日記

 大型台風11号が、日本列島を襲った。

 我が大阪も、台風の進路に位置していたので、大雨・暴風が予想された。

 

 ≪9日(土)≫

  朝からかなり強い雨が降っている。

  今日は、『なにわ淀川花火大会』の日。

  前日の大会運営委員会の方の話だと、少々の雨だと決行するとのことだった。

  私はベランダに出てみた。

  降りは激しく、ベランダの草花も、雨滴を浮かべていた。

          

 

                    

 

  この分だと、今日の花火大会は、たぶん無理やろな‥。 

  その予想は当たって、お昼前くらいに中止が発表された。

  やっぱり!

  賢明な判断だとは思いつつ、私はガッカリして部屋に閉じこもり、テレビ&パソコン三昧して、一日を過ごした。

 

 


 

 ≪10日(日)≫ 

  この日台風は、近畿に最も接近すると、テレビが言っている。

  風はほとんど吹かないけれど、朝から雨が激しい。 

  (実は、昨日の午後は比較的雨も治まって、「こんな雨やったら花火大会やれるん違うの!?」と、諦めの悪い私はブツクサ言った。)

  結局この日も、暴風などという程の風は吹かずじまいで、ありがたいことに、台風は大阪を過ぎて行ったのでありました。

 

  夜ふと外を見ると、雨雲が払われて、意外にも、雲間から月が出ていた。

  慌ててカメラを取ってきて撮影を開始した(オーバーやな!)が、最近何故だか月がうまく写せない。

  前はもう少しマシに写せたのになあ‥。

  私の腕のせいか、はたまたカメラのせいか!?

  とにかく、うまく写せなかったお月さまだけど、記念に2枚載せておきます。

        

 

 


 

 ≪11日(月)朝≫

  今朝の大阪は、台風一過の晴天になった。

  気温もかなり下がって、朝のうちは涼しい。

  公園に出掛けた。

  公園で、今朝初めて見つけた可憐な朝顔と、ダリアの花。

              

 

                    

 

 

  もう終わったかと思っていたハマユウが、台風の雨で生き返ったように、純白の花を元気に開いていた。

  公園の近くのマンションのお庭で、女郎花(オミナエシ)がきれいに咲いていた。(柵に入れられているみたいで、ちょっと可哀そうやけど‥涙)

       

 

 

  久しぶりの晴れの朝、公園では、散歩のワンちゃんが、楽しそうに戯れていた。(実際にはもっと多くのワンちゃんがいたんだけれど…)

  ベンチには、台風前に子どもたちが遊んでいて、忘れて帰ったらしいサッカーボールが、行儀よく並んで置かれていた。

           

 

 

  保育園前にある、別のちっちゃな公園で、今年も酔芙蓉(スイフヨウ)が、可愛い花をたくさんつけていた。

  酔芙蓉の花って、ちょっと離れて見ると、まるで蝶々が群れ飛んでるみたい‥。

                  

 

  近づいて見ると、さらに可愛さが増す。

  その可愛さ・可憐さに、何枚も写真を撮った。

                    

      

 

 

  市営住宅のベランダの柵に、ハートの模様のビニール傘が干してあった。

  思わずシャッターを押した。

  その写真(左)と、Nさんが先日送ってくださってた絵てがみ(右)。

     

 

  絵てがみのメダカが、とってもカワイイな!

  Nさん、いつもありがとうございます♪

 

 

    

 

                                        

 

               


最近私の心をとらえた、もう一人の画家

2014-08-10 08:06:15 | 日記

 広島で被爆し、原爆の悲劇の本質を描こうと苦闘された画家・福井芳郎氏のことを、先日書いたばかり…。

 でもその1週間前(8月3日)に、同じ「日曜美術館」で紹介された『宮芳平(みや・よしへい)』氏のことも、やっぱりブログに残しておきたくなった。

 

 宮芳平氏は、1893年(明治26)の生まれ、1971年(昭和47)に78歳で逝去される。

 彼は、若い頃から画家として独立しようと、絵の制作に精進を続けられた。

 彼の20代の作品の中から、私が好きだった一枚。(題名は忘れてしまった…)

                         

 


 

 でも、画家一本で生きていくことは、なかなか困難。

 彼の生活の窮状を見かねた知り合いの方が、彼に高校の教師の口を紹介する。

 初めは、教師の仕事と自分の絵を探究することの間で、彼は苦悩される。

 しかし、純真な生徒たちと一緒に自然の中で絵を描いていくうちに、彼の絵に、新たな展開が生まれ始める。

                   

                                 『茜さす山』 (1937年)

                      

                                 『花園に花満つる』 (1956年)

                      

                                    『雪後』 (1956年) 

 

 自己の内部だけを見つめていたかのような彼の絵が、自分の外の世界・自然の豊かさに目を向けることで、鮮やかな色彩に満たされた。

 この時期の彼の作品の中で、私が一番好きだった…『けしの花』(1965年) 〈私が芥子の花そのものが大好きだということもあるが〉

                   

 

 


 

 その後彼は、キリスト教の世界に心惹かれ、何枚かのキリスト教に関係する絵を描いていかれる。 

      

             『逃避』 (1970年)                             『ゴルゴダ』 (1970年)

 

 

 私はキリスト教がよく理解できないこともあって、いわゆる宗教画はあまり好きではないが、宮氏の絵にはなぜか心に響くものがある。

 

 次の『マグダラのマリアの悲しみ』(1970年)は、妻エンへの懺悔の想いから描かれたとも言われる。

                      

 

 

 肺病を患いながら8人の子どもを産み、47歳の若さで逝った、妻エン。

                          

 

 

 次の『エフタとその娘』は、父のために自らの身を神へ捧げた娘の絵だが、宮氏は、罪深い父に自分を、娘に妻を重ね合わせたと、言われている。

                   

 

 


 

 

 キリスト教に関係した絵と同時に、宮氏が晩年、亡くなられるまで描き続けられたモチーフに、≪太陽≫がある。

 

 下の写真・左は、1970年に描かれた、『白い太陽』。

 右は、絶筆となった、『黒い太陽』(1967~1971年)。

 体調を崩された彼は、この絵の太陽に、黒い絵の具を塗ったあと、入院。

 末期がんを宣告され、わずか半月後に、帰らぬ人となられたのだそうだ。

                          

                  

 

 太陽は黒いけれど、周りは明るい色彩に満ち溢れている。

 それはまるで、自らの満ち足りた心と、人と自然への溢れる愛を、表しているかのようだ。

                       

 

 


タコ公園の百日紅(サルスベリ)

2014-08-08 15:16:29 | 日記

 行岡病院で手術を済ませた後、私は、もともと通っていた近くの小山眼科医院で、術後の目の状態を診てもらっている。

 今日は、右目の手術後2回目の、小山医院への通院だった。

 

 小山医院のすぐ傍には、通称『タコ公園』と呼ばれる、街中のちっちゃな公園がある。

 滑り台にもなっている赤いタコが、何ともユーモラスだ。

                      

 

 タコ公園では今、2色の百日紅が咲いている。

 毎年のことだが、中津公園の百日紅は咲くのが遅く、それに比べて、タコ公園の百日紅は早くに満開になる。

 暇人のわたくし、カメラを持っていたのをイイことに、公園に寄って百日紅を撮った。

 そして、それをブログに載せる。

 そんな自分を、つくづくヒマやなあ!と思いつつ‥。

                   

 

          

 

    

 


被爆した画家が、人生の集大成として描いた絵

2014-08-07 14:20:57 | 日記

 昨日8月6日は、言わずと知れた、「広島原爆の日」。

 それに関連して、『白に込めた悲しみ 被爆画家 福井芳郎』という番組が、NHKで放映された。

 この番組を見るまで私は、福井芳郎(よしろう)という画家の存在をまったく知らなかった。

 

 下の写真は、若かりし頃の福井芳郎氏(左)と、後年の彼(右)。

            

 

 

 福井芳郎氏は、1912年(明治45年)に、広島市で生まれる。

 幼い頃から絵が好きで、画家を志して大阪の美術学校に進み、卒業後は広島に戻って、広島画壇の中心として活躍された。

 

 彼が16歳のとき(1928年 美術学校在学中)に、“帝展”(今の日展)に出品し、入選した『蓮』。

                     

 

 

 将来を嘱望されていた彼だが、その後、戦争の渦の中に飲み込まれてしまう。

 そして迎えた、1945年8月6日の朝…。 

 彼自身も被爆し、崩れた建物の下に埋まってしまう。

 しかし、幸いにして建物の下から救出された彼は、すぐにありったけのザラ半紙と鉛筆を持って街にとび出し、瓦礫と化した街と人々の姿をスケッチし

た。 

              

                原爆投下からわずか1時間後(8月6日、午前9時)のデッサン

                    

                              原爆投下の翌朝のデッサン

                          

                                原爆投下の翌日の夜…一人うずくまる女学生

 

 

 が、その後しばらく彼は、原爆の悪夢から逃れるかのように、原爆の絵は描かなかった。

 絵画教室を開き、傷ついた人々に少しでも安らぎを与えようと、復興に尽力した。

 

 でもやっぱり、彼の心から、あの原爆の惨劇を消すことはできなかった。

 昭和25年、彼は意を決して、原爆投下直後に描いたデッサンをもとに、6点の『原爆記録画』を描いていかれる。

 その中から、3点。        

                   

                               『炸裂後15分』 (1952年)

                   

                               『その翌日の朝』 (1952年)

           

                                『驟雨』 (1953年)

           

 

 彼の『戦争記録画』は、広島だけでなく各地で展示され、大きな評価を受けた。

 

 それを機に、原爆画に一旦区切りをつけられた彼は、その後しばらくは、本来の画家としての絵を、探究していかれる。

 ふるさとの自然を、街を、カラフルな色彩で描いていかれた。

 そして、後進の指導にも力を注がれたという。

    

                『瀬戸内海 漁港』                             『なめくじ横丁』

 

 彼は絵の勉強のため、パリにも行かれた。

                       

       

             『パリの自転車屋』 (1961年)                          『ノートルダム』

 

 

 これらのカラフルで伸びやかな絵も、高い評価を受けたそうだ。

 私も大好きな絵だ。

 

 

 


 

 

 

 福井芳郎氏は、1974年(昭和49年)に62歳で逝去されるが、その数年前から再び原爆の絵に挑戦されることになる。

 身体の不調を感じ始められた彼は、それまでに描いた単なる原爆“記録”画ではなく、原爆の悲劇の“本質”を描きたいと思われるようになる。

 芸術と呼ぶにふさわしい原爆の絵とはどんな絵だろうか?

 彼は、苦闘を続けられた。

 

 そうして出来上がった2枚の絵。

 1枚目は、『ヒロシマの怒り』(1968年)。

                    

                       

 

                     

 

 

 そしてもう1枚は、『ヒロシマの悲しみ』(1970年)

                         

                     

 

                  

      

     

 私はこの2枚の原爆の絵を見て、おこがましいけれど、彼が願われたように、芸術にまで昇華された素晴らしい絵だ!と思った。

 ピカソの『ゲルニカ』や、丸木夫妻の『原爆の図』に匹敵するほどの…。

 いやむしろ、福井氏のこの2枚の絵の方が、『ゲルニカ』や『原爆の図』より、私には好感が持てるくらいだ。

 

 私は番組を通して、また一人、素晴らしい画家に遭えたことを、嬉しく思った。

 

         

 

                     

      

             

 

 

 

 

                             

   

 

 

 

        

 

        

 

                

            

 

 


久々の真夏の晴天

2014-08-05 19:24:19 | 日記

 ここ数日は、台風の影響からか、雨模様の蒸し暑い天気が続いていた。

 ところが今日は久しぶりに、青い空から灼熱の太陽が降り注ぐ、真夏らしいお天気となった。

 私は今日の午前、用があって、近所の友だちのマンションに行った序でに、中津公園まで足を伸ばしてみた。

 公園の花々は、真夏の強い陽射しを浴びて、キラキラ輝くように咲いていた。

                      

 

             

 

       

                     

 

 公園にはサルスベリの木が20本くらいあるけれど、花を付けているのは、下の写真の薄いピンクの1本だけだった。

                    

 

 

 久しぶりに、淀川の土手に向かう。

 土手の上には、昨日までの雲がまだ分厚く残り、その上に青空が広がっていた。(下の写真・左)

 あっ、飛行機だ!(右)

             

 

 

 土手に上がって、水量を増した淀川の流れを見ていると、十三の方からモーターボートが水を蹴立てて走ってきた。

                  

                     

                    

 

 

 土手を下り、帰る道すがら街中をブラブラ歩いていると、とある住宅の庭で、紫色のサルスベリが勢いよく咲いていた。

 別のお宅の庭では、白い花をつけた木の緑が涼しげだった。

           

 

 

 毎年キレイな花を咲かせる芙蓉の木があるマンションまで、足を伸ばした。

 芙蓉はまだ花を開き始めたばかりだったが、それでも白とピンクの花が清々しかった。