先日の「日曜美術館」では、「暮しの手帖」の編集長として辣腕をふるった、<花森安治氏>が取り上げられていた。
私は、「暮しの手帖」の存在は知ってはいたものの、本を買って読んだこともなく、<花森安治氏>について詳しいことは全く知らな
かった。
この番組を見て、私は、<花森氏>の紡ぎ出された「絵」と「ことば」に、強い衝撃と深い感動を覚えた。
「暮しの手帖」の創刊は、終戦後まもなくの1948年。
会社を興したのは、大橋鎮子氏(とと姉ちゃんのモデル)で、編集長が花森安治氏だ。
大橋鎮子氏(1920~2013)
花森氏は、「暮しの手帖」の編集を手掛ける一方、表紙の絵や本の中のイラストも描かれた。
私は、1948年という戦後の混乱も治まらぬ中で、花森氏が描かれた表紙の<優しさ><温かさ><斬新さ>に、強く心を打たれ
た。
創刊号の表紙 1949年7月号
1949年10月号
もちろん表紙だけでなく、「暮しの手帖」の中味は、庶民の暮らしを大切にし、それを少しでも豊かにすることを目指したものだった。
ある時は、リンゴ箱から椅子を作ったり(女性でも簡単に作れる方法を示したり)して、庶民が少しでも暮らしを楽しめるようにした。
ソースのいろいろを可愛い絵で示している。
「暮しの手帖」がこのような雑誌になったのは、「日々の暮らし以上にかけがえのないものはない。」という、花森氏の固い信念
に依るものだった。
そしてその信念は、花森氏自身の戦争中の苦い体験から生まれたものだった。
花森氏は大学卒業と同時に召集されるが、病気のため除隊となり、その後は「大政翼賛会」の要望に応えて、次のような戦争協力
のポスターを、正しいと信じて制作されたりもした。
1945年8月15日正午に終戦の詔勅を聞かれた花森氏は、その後あてどもなく街をぶらつき、次のようにつぶやかれる。
あの夜 もう空襲はなかった もう 戦争はすんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった へらへらと笑うと 涙がでてきた
そんな思いの中から、花森氏のゆるぎない信念が生まれたのだ。
美しいものは いつの世でも お金やヒマとは 関係がない
みがかれた感覚と まいにちの暮らしへの しっかりした眼と そして絶えず努力する手だけが、
一番うつくしいものを いつも作り上げる
このことばを聞いたとき、私は自らをかえりみて、深く恥じ入った。
なぜって、私の今の暮らしぶりは、彼のこのことばの真逆と言ってもいいようなシロモノだからだ。
まあ、自分のことはさて置き、彼の言われることは、全くもって正しく素晴らしいことだ!と思う。
次は、花森氏の仕事場(机)と、彼の制作風景。
その中から生まれた、「暮らしの手帖」の表紙・2点。
その後、花森氏の表紙は、写真を使ったモノ、女性を描いたモノへと、発展する。
そして、そのいずれもが、とても斬新で個性的なのには、本当に驚かされる。
花森氏は、このような素敵な絵と大切な言葉をみんなに残して、1978年、66歳で逝去された。
花森氏が提唱されたことは、現代の私たちにとっても、とても大切なことだと思う。
彼の絵と言葉は、今でも色褪せず、と言うか、ますます輝きを増しているように思った。