のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

今年初めての京都‥≪梅宮大社のろう梅≫

2013-01-31 17:46:10 | 日記

 寒さのため開花が遅れていた蠟梅が、京都・梅宮(うめのみや)大社で満開だと、先日テレビが伝えていた。

 今年になって、まだ大阪から一歩も出ていない私は、そのテレビの報道を見て、ぜひ行きたいと思っていた。

 それが昨日(30日)、やっと実現した。

 

 梅宮大社に行くのは、今回が初めて。

 パソコンで検索し、ガイドブックも見て、行き方を確かめてから、午後になって出発した。

 

 梅宮大社の最寄り駅は、阪急嵐山線の松尾駅。

 松尾駅で降りて、すぐ前を流れる桂川を渡る。

                   

                     

 

 

 桂川を渡ってから10分位歩くと、左手に梅宮大社の参道が見えてきた。

 参道の右手には、山茶花の高い垣根があって、たくさんの花が今を盛りと咲いていた。

     

 

 

 

 鳥居をくぐって梅宮大社の境内に入り、お参りした後、蠟梅が咲いているという神苑に入った。

         

                                              (神苑の中央にある、あずまやと池)

 

 

 普通の梅は、ちっちゃな蕾がまだできたばかりだ。

                 

 

 

 池のほとりの1本の老木だけが、わずかばかりの花を開いていた。

      

 

                  

 

 池の周りを一回りしても、目指す蠟梅は、なかなか見つからない。

 私と同じように蠟梅を見に来られたらしい一人の男性に聞いて、やっと1本の蠟梅の在り処が分かった。

 蠟梅は、神苑のずっと端の方の木々の中で、ひっそりと咲いていた。

     

 

 高い処で咲いているので、香りを嗅ごうにも、とても背が足りない。

 

 

 辺りには人気がなく、なんか薄気味悪い感じさえした。

 私は来た路を引き返した。

 路の脇の、枯れた花の色や形が意外に面白かったので、撮ってみた。

                 

                         (枯れたつわぶきの花)

 

       

                            (枯れたまま立っている紫陽花)

 

 

 今度は違う路を通って出口に出ようとしたら、そこで、前のより大きな、花をいっぱい付けた蠟梅の木を、見つけた。

 テレビに出てたのは、この蠟梅の方やな‥。

 でも、花は盛りを過ぎていて、花はいっぱいなのに、あの蠟梅の芳しい香りは、もう無かった。

         

 

                

 

 

 蠟梅は、テレビでは、少なくとも数本はあるように見えたのに、結局、別々の場所にそれぞれ1本ずつあるにすぎなかった。

 ちょっと肩すかしを喰らったような気もしたが、この冬初めての蠟梅を見ることができたのだし‥と納得して、梅宮大社を後にした。

 

 

 (話が横にそれるが)桂川付近まで帰ってふと見上げた地名の看板に、今まで見たこともない字が書かれていた。

 忘れないために、写真を載せておくことにしよう。

               

 

 

 行きとは反対側の歩道を歩いて橋を渡り、駅に向かった。

 従って、次の写真は、最初に載せたのとは反対側の桂川の風景。

 この茫漠とした感じの桂川の眺めも、なかなかいいなあ!と思いつつ、帰路についた。

               

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


“美しい言葉”と“現実”との、甚だしい「乖離」

2013-01-31 14:58:40 | 日記

 久しぶりに、国会での首相の所信表明演説なるものを、まじめに聞いた。

 それは、一昨々日のこと。

 周到に準備されたであろう己の所信を、滑らかに、高らかに、宣言する‥安倍首相。

 自信に満ちた、でも謙虚さを失わないように心をくだかれている、その姿。

 そこには、2度目の首相就任で、今度こそ、自分の理想とする国家を作り上げてていくんだ!という強い決意が感じられた。

 表面的に見れば、今回の安倍首相の所信表明演説は、非常に簡潔で、スムーズに進んだように思われた。

 

 でも、彼の言葉が流暢に流れれば流れる程、私は、彼の“言葉”と“現実”(特に庶民の置かれた現実)との、とんでもない隔たり(乖離)を感じずには

いられなかった。

 「額に汗して働いた人が報われる社会の実現を!」 ‥安倍首相は力強く宣言される。

 言葉だけ聞けば、なんともスバラシイことだ。

 でも今回打ち出された「三本の矢」なる経済政策をみれば、私たち庶民が、いくら額に汗して働いても、報われることがあるようには思えない。

 

 言葉は、大切だ。

 でも私は、言葉が美しかったり、勇ましかったりすればするほど、警戒する必要があるように思う。

 語られる言葉が、本当に、現実を反映したものであるかどうか?

 それを常に検証していく姿勢が大切だと、私は今、肝に銘じている。

 

 

 

 


ささやかな決意

2013-01-28 17:09:26 | 日記

 1週間近く前になるが、大阪桜宮高校の入試中止が決定され、それを受けて、桜宮高校の在校生が記者会見に臨んだ。

 その映像を、私は、偶々目にした。

 ホンの2,3分の映像だったが、それを見た私の心は、激しく波立った。

 

 体罰をなくさなければいけないのは、分かり切ったことだ。

 だけど、だからと言って、大阪市長が問題をすり替えて、強権的・強圧的に、桜宮高校体育科の「入試中止」を迫っていることに、私はかねてより強

い憤りを感じていた。

 

 でも教育委員会は、市長の圧力に屈して、結局「入試中止」を決定した。

 

 入試中止が決定された日の朝には、市長は桜宮高校に直接行って、生徒集会で自分の考えを生徒たちに訴えた。(と言うより、「押し付けようとした」

と言う方が適切だと、私は思うが‥)

 もちろん生徒たちはそれに納得できず、自分たちの気持ちを市長に訴えた。

 でもそれは聞き入れられず、夕方の「入試中止」の決定に、至ったのだ。

 

 記者会見に臨んだ生徒たちの声は、悲痛なものだった。

 自分たちの気持ちを全く聞き入れてもらえなかった悔しさ。

 今までの自分たちの努力を、土足で踏みにじられたような屈辱。

 その生徒たちの声を聞きながら、私は、今度ばかりは黙っていられなかった。

 この生徒たちを、なんとかして励ましたい!

 そして、生徒たちをこんな苦しみに陥れた、市長たちの卑劣で「暴力的」なやり方に抗議したい!

 いろいろ考えたが、結局ある新聞社に投稿することにした。

 私にとって、初めての投稿だ。

 

 そして今日、私の投稿した文章が、紙上に掲載された。

 でも私は、その文章を読んで、顔が赤らむ思いがした。

 紙上に載った自分の文章を改めて読んでみて、文章の拙さゆえに、自分の思いが十分表現されていないことが分かったから。

 投稿から掲載まで1週間ちかい日数があったことで、編集者によって、かなり添削されたこともあったが、それは言い訳にならないと思う。

 

 でも、私は今回投書するに至ったことで、今、“ささやかな決意”をしている。

 仕事を辞めてから今まで、私は、自分の生き方を、こう考えていた。

 自分の心を豊かにして、自身を幸せにし、人に迷惑を掛けずに生きることが、私にできる最善の道だと。

 

 でも、それだけでいいんだろうか?

 やっぱり、少しは社会とかかわって生きるべきではないだろうか?

 もちろん大きな事はできないのは分かっている。

 でも、少しでも社会の在り方に関心を持ち、自分の意見を(選挙だけではなく)表明していくべきではないか?

 そのためには、「活字拒否症」を克服して、新聞も読み、少しずつでも勉強していかなければいけないと思う。

 私ができる事など微々たるものに過ぎないけれど、私は今、私たち庶民が安心して暮らせる世の中を作るために、自分のできる事を、少しずつでも

やっていきたいと思っている。

 もちろん、疲れて倒れてしまわない程度に‥だけど。

 

 

 

 

 

 

 


阪急・阪神百貨店の、“2つの催し”

2013-01-28 14:09:23 | 日記

 昨日はMさんと梅田で会い、食事をした後、阪急・阪神、二つの百貨店をぶらつくことにした。

 冬物のバーゲン品で、気に入ったモノがあれば、買ってもいいかな‥という思いもあって。

 

 まず、阪急百貨店から。

 バーゲン品あさりの前に、阪急百貨店の9階「祝祭広場」で行われている「加賀温泉郷フェスティバル」(Mさん情報)を見に、9階に上がってみること

になった。

                   

 

 私たちが9階に上がったちょうどその時、階段状の見物席の上の方から、笛や鉦(かね)・太鼓などの賑やかな音が聞こえてきた。

 同時に、色彩豊かな衣装を身につけた一団が、見物席の上に現れ、踊りながら階段を降りてこられた。

 係りの方の説明に依ると、加賀の〇〇温泉郷(名前を忘れてしまった…)に伝わる、「田楽踊り」の一団なのだそうだ。

                   

 

 

       

 

 

                  

 

 踊られている皆さんは素人の方々で、伝統芸能を継承すべく、日々練習に励まれているとか…。

 

 私は先ず、田楽踊りの衣装の派手さ・色彩のあでやかさに、目を奪われた。

 初め私は、このあでやかさを、雪国のイメージとは真逆だと感じたが、次第に、雪国だからこそこんな色鮮やかな衣装になったのでは‥と、思ったりも

した。

 (もちろん、田楽踊りそのものが、全国どこでも同じように、鮮やかな色彩なのかも知れないけれど‥)

 

 とにかく、初めて見た田楽踊りはとても新鮮で面白く、私はこのような伝統芸能が長く伝承されることを願って、踊り手の方々に拍手を送った。

 

 田楽踊りを見終って、私たちは加賀の特産品を売っている店々を見て回った。

 そして、練り物大好きな私は、3種類の蒲鉾を買った。

               

 

 

 阪急百貨店の後は、阪神百貨店へ。

 阪神百貨店8階では、(これもMさん情報だったが)「全国の駅弁大会」が催されていた。

 二人は、「今日の晩ご飯は駅弁だね!」と、ズボラなことを言いつつ、8階に上がった。

 上がってみると、なんとスゴイ人、人、人!

 人気のお店の前には、長~い行列ができていた。

 それまでにいいかげん疲れていた私たちは、あまりいろんなお店を見ずに、故郷・島根の干し魚とお弁当を買って、早々に8階を後にした。

                 

                       

 

 

 その後、阪神地下2階の喫茶店で少しお喋りしてから、それぞれ家路についた。

 帰って食べた島根の「もぐり寿司」は、(ちょっと味が濃かったけれど)とても美味しかった。

 

 


その後のダンス事情

2013-01-24 17:40:50 | 日記

 いったい昨年の1月は何をしていたんだろう?と、先日暇に任せて“ブログ記事一覧”を開いて、昨年1月のブログを見てみた。

 すると、去年の1月は、ずいぶん活動的な生活を送っていたことがわかった。

 お正月早々の奈良行きと、それに引き続いて、“若草山の山焼き”見物、そして、“御在所岳”と“なばなの里”への「一日バスツアー」。

 

 それにひきかえ、今年は未だに大阪から一歩も出ていないという情けなさだ。

 どこにも出掛けてないと、当然ながら、ブログに書くことも少なくなる。

 やむなく、1月の10日以降に行った、ダンスパーティのことでも書いておくことにしよう。

 (無理して書くこともないか、と思いつつ‥やっぱり暇人!?)

 

 ≪1月13日~阿倍野スポーツセンター≫

 久しぶりに阿倍野スポーツセンターのダンスパーティに行った。

 代金、600円なり。

 この日のパーティで驚いたのは、参加者の多さ! 「芋の子を洗う」という喩えがピッタリなほどの‥。

                

       (上の写真では、手前に空きがあるように見えますが、写真を撮るホンの一瞬に偶然できた空間なんです‥。)

 

 なのでこの日の前半は、人にぶつかってばっかりで、ほとんど踊りにならなかった。

 まともに踊れるようになったのは、帰る人が多くなった、終わり30分くらい。

 

 

 踊り終わって阿倍野スポーツセンターを出ると、ほぼ完成に近づいた“あべのハルカス”が、空高くそびえていた。

                    

 

 

 ≪1月16日~中央公会堂≫

 今年になって初めての、公会堂のパーティだ。

            

 

 パーティ代金は、1100円。

 この日のパーティでの驚きは、女性の衣装の豪華さ。

 頭にはティアラ、腕には白い手袋、身には、真っ白の“お姫様モード”のドレスを纏った方!

 (羽飾りの付いた)帽子にお揃いのドレス、まるで鹿鳴館時代の貴婦人のような方!!

 思わず、しばらく見とれてしまう程だった。

 できたら写真に撮らせてもらいたかったが、うまくいかなかった。

               

 

 

 ≪1月23日(昨日)~此花スポーツセンター≫

 此花スポーツセンターは、行くのがちょっと不便だが、会場は、2面に大きな鏡があって、床も踊りやすい。

 それに、昨日パーティを主催されたサークルの方は、とても親切で好感が持てる。

 パーティ代も、なんと500円ポッキリ!

 昨日は、ラテンもスタンダードもとっても上手な若いカップル(女性の真っ赤なドレスもステキだった)が来られていて、見ていてウットリだった。

 そのカップルを入れて写真を撮りたかったが、今回も失敗。

 まあまあピントが合ったのは、下の写真のみ‥。(涙)

                

 

 

  

 


同時に咲いた‥≪ハイビスカス≫と≪シクラメン≫

2013-01-22 15:16:57 | 日記

 夏(&秋)の花・『ハイビスカス』と、冬の花・『シクラメン』が、今日我が部屋の窓辺で、同時に1個ずつ咲いた。

                

 

 ハイビスカスは秋の終わりに、シクラメンは今年になってから、それぞれ部屋に取り込み、窓辺に置いた。

 どちらも、ベランダで蕾は付けているのに、外の温度が低すぎるみたいで、ちっとも花が開かなかった。

 そこで、時期はずれているけれど、それぞれに部屋に取り込んだのだ。

 

 ハイビスカスは、秋の終わりに部屋に取り込んでからすぐに、次々と大きな花を咲かせた。 (以前のブログに記載)

 でも昨年末頃からは、しばらく花が途絶えた。

 もう花は終わりだろうと思っていたら、年が明けてから又枝の先端に、小さな蕾が付いた。

 でも季節が季節だし…この蕾は果たして花になれるんのだろうか‥?

 そう思っていたら、ここ数日で蕾がだんだん大きく膨らんできて、今朝見たら、立派に花を咲かせていたのだ。

                

 

 ハイビスカスの花の直径は12センチ。

 夏に外で咲いていた時よりは、むしろ大きいくらいだ。

 花は、適切な温度(&陽射しと水分・栄養)があれば、季節に関係なく咲くものなんやな‥。

 そう言えば、私の好きなテレビ番組「日本縦断こころ旅」で、つい最近(1月)、火野正平さんが訪れた奄美大島の道端に、ハイビスカスが勢いよく咲

いていたっけ‥。

 

 

 一方シクラメンは、昨年末から葉っぱの根元に、ちっちゃな蕾が沢山できていた。

 でも、一向に蕾は伸びてこない。

 そこで、今年になってから部屋に入れて様子を見ていたが、今朝その中の一つが、やっと花を開いた。

                  

 

 室内に入れたシクラメンの鉢は二つ。

 そのどちらにも、蕾がたくさんできているので、これから先は、次々に花を咲かせてくれるに違いない。

 楽しみ~♪

 

 

 序でに、寒風吹きすさぶベランダで、花数を増しながらがんばって咲いている山茶花の写真を、次に載せておきます。

                   

 

 

 

 


「1月17日」

2013-01-20 12:16:33 | 日記

 私にとって、「1月17日」という日は、3つの意味で忘れがたい日だ。

 

              ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 一つは、もちろん、18年前の、あの「神戸・淡路大震災」の日として。

 だが私には、「神戸・淡路大震災」について、語る資格は全くない。

 1995年1月17日、午前5時46分、寝ている私も飛び起きるほどの激しい揺れが、私のマンションを襲った。

 すぐに、停電もした。

 でも私の部屋がマンションの3階だったこともあってか、家具が倒れたりすることは全くなかった。

 私は、一応玄関まで出て玄関の戸が開くかどうかは確かめたが、それ以外は何もせず、「これ位だったら大丈夫!」と、又布団に潜り込んだ。

 私がそう判断したのには、私のそれまでの地震の経験が関係していた。

 若い頃友人数人と東北地方を旅していた時、旅館の2階で凄い揺れに襲われ、パニックに陥ったことがある。

 けれどその時、結局被害はなく済んだのだ。

 その経験から考えて、今回の地震もそれを上回るものではない、と私は勝手に判断したのだ。

 

 布団に潜り込んだ私のもとに、姉や何人かの友だちから、切羽詰まった声で、電話が掛かってきた。 

 私は事も無げに「大丈夫、大丈夫!」と答えた。

 

 事態の深刻さが分かったのは、電気が回復してつけたテレビに、次々と映される悲惨な映像を見た時だった。

 「エッ、こんな事が起きるの!?」

 そこに映し出されたのは、目を疑うような、目を覆いたくなるような、今までに見たこともない光景だった。

 そしてその後も日を追うにつれて、被害はどんどん広がり、犠牲者も数を増していった。

 生き残った被災者の方々は、寒い避難所で、水も食糧も不十分な、命の危険にさらされる程の、厳しい生活を送られていた。

 

 それなのに私は、その後の救援活動なるものに、全く参加しなかった。

 当時私は体調を崩していて、救援活動をする元気はとても無かったのだけれど…。

 でもあの時、何もできなかったことは、今でも私の心の中に、罪の意識として残っている。

 

 最近盛んに、「南海トラフ大地震」の危険性と、その対策の緊急性が叫ばれている。

 私も一人の市民として、可能な備えをしなければいけないことは分かっているのだけれど、未だ備えらしい備えをしていないというのが実情だ。

 近いうちに、なんとかしなければ!

 

               ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 二つ目の「1月17日」は…私の長兄の命日。

 私は7人兄姉の末っ子で、上2人が兄、続く4人が姉だ。

 長兄と私は16も歳が違い、私がものごころついた頃には、兄はもう家から離れて、学校に行ったり仕事をしたりしていた。

 なので、幼い頃の兄との思い出は少ないのだけれど、お正月などに兄が帰省した折、カメラ好きだった兄に写真を撮ってもらったり、ふざけて遊んで

もらったりしたのは、よく覚えている。

 兄は仕事の関係もあって、両親の家を出て家庭を持ったので、家に帰るのはお正月やお盆だけだったけれど、兄には最後まで、長男として責任を果

たさなければいけない、という思いは強くあったと思う。

 母が89歳で逝き、父が96歳で天寿を全うした時も、当然ながら、葬儀を始めとする様々な事後処理を、きちんと果たしてくれた。

 その兄は、父よりも母よりも短い、80年足らずの生涯だった。

 離れて暮らしていたので、詳しいことは分からないけれど、もう少し長く生きて、やりたいことがあったのではと思う。

 自分が歳を重ねれば重ねるほど、亡くなった人に対する思いは強くなるように思う。

 1月17日は、震災の犠牲者に祈りを捧げるとともに、亡き兄を忍ぶ一日でもあった。

 

              ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 最後の「1月17日」は、私の仕事仲間だったIさんのお誕生日。

 仕事仲間と言っても、Iさんと私とは20も歳が違う。

 私はとっくに仕事を辞めているが、彼女はまだ仕事中。

 その彼女は、とても有能な人なのだけれど、ここ数年病気で苦しんでおられる。

 最近彼女との交流は途絶えがちだけれど、彼女のことは、常に気になっている。

 どうか、彼女の病いが少しでも良くなり、彼女がご自分の優れた能力を発揮できる日が、一日でも早く来ますように♪

 そう祈りつつ、今年は彼女へ、ハッピーバースデイのメールだけ送った。

 

 

 

 

 

 

 


今年初めての、“梅田”と“難波”

2013-01-20 09:22:00 | 日記

 前から悪かった目が最近ひどくなり(お医者さんには行ってます)、パソコンを開けるのが億劫になっている。

 そのため、長い間、ブログをさぼってしまった。

 まあ、書くこともそんなになかったのだけれど‥。

 

 今年になって初めて“梅田”に出たのが、14日。 15日には“難波”に出た。

 それまでは、中津界隈をうろついたり、梅田や難波を通過して別の場所に行ったりだった。

 

 14日の梅田は、友人Mさんとの「新年会」というか、「お喋り会」。

 久しぶりに、阪急32番街27階にある「グランド白楽天」で、食事した。

 結構豪華なランチメニューが割引価格だったので。

 

 いつものとおり、食事中は写真を撮るのも忘れて、食べることとお喋りに夢中だった。

 最後のデザートになって、ちょっと一息ついた感じになって、写真を撮る気になった。

 写真ではうまく撮れてないけど、見た目もなかなかキレイだったので。

               

 

 デザートは、杏仁豆腐とパイ。

 私は、パイは、口の中でモサモサするので、余り好きではないけれど、ここのパイはとっても美味しかった。

 もちろん、杏仁豆腐も。 

 食い気とお喋りに夢中なあまり、写真に撮れなかった5種類の料理も、それぞれに美味だった。

 

 次は、グランド白楽天の窓から眺めた大阪のビル群。

 左側が帝国ホテルとOAPビル、右端に大阪ビジネスパークの一部が見える。

 バックは雲のかかった生駒山。

                

 

 

 32番街のビルから外に出ると、阪急百貨店のショウウインドウは、お正月飾りだった。

                  

 

 Mさんと私は、食事の後喫茶店にも入って大いにお喋りし、今年初めての「お喋り会」は、楽しく過ぎていった。

 

 

 

 明くる15日は、高島屋で行われている「現代書道二十人展」を、一人で見に行った。

                

 

 書道は、私は自分で書くのは大嫌い!というか、要は上手く書けないから好きになれない。

 以前必要に迫られてNHK文化センターの書道教室に通ったこともあるけれど、結局長続きしなかった。

 でも、見るのは結構好きだ。

 書道に関する知識は無いけれど、絵を見るような感覚で字も見て、これは好き!とか、あれはあまり好きじゃない!とか、無責任に言うのが好きなの

だ。

 

 今回は、「現代書道二十人展」ということなので、現在活躍中の書道家の、常識に捉われない面白い書の世界を堪能できると、期待していた。

 でも、(書道のことが皆目分からない私が言うのははなはだ失礼だけれど)今回の展覧会で、私がメチャメチャ感動できる書には出会うことができ

なかった。

 もちろん、いいなあ!と思う作品は何点かあったけれど。

  (この偉そうな態度、ほんとにゴメンナサイ!)

 

 

 書道展を観終わった後、同じ高島屋のレストラン街で遅い昼食をとった。

 その後、傘寿の姉に贈るプレゼントを探しながら、デパートをかなり長時間ブラついた。

 

        

                 

 

 

 

 

 

  


昨日(ダンス)は、転ばなかったヨ♪

2013-01-09 16:06:20 | 日記

 昨年の11月12月は、いろんな事情でなかなかダンスに行けなかったが、今年になってからは、昨日でもう2度目のダンスパーティだ。

 昨日は、我がマンションから歩いて行ける、Kスポーツセンターに行った。

 

 

 昨日は前日までと違って、最高気温が久々の2ケタ・10℃まで上がった。

 空も穏やかに晴れて、午前中はほとんど雲がなく、風も吹かなかった。

 久しぶりに凌ぎやすいお天気だった。

 (ただ、午後になると少しずつ雲が広がってきて、Kスポーツセンターに着いて空を見上げると、雲が青空を大分隠してはいたが‥。)

              

 

 

 Kスポーツセンターの第2体育館は、私がよく行くダンス会場。

 それに昨日パーティを主催されたサークルは、私がよく参加させていただいているサークルだ。

 だから、主催者の方はもう顔馴染みだし、参加者の方々の中にも、顔見知りの方がたくさんおられる。

 昨日は、比較的参加者が少なかったが、顔を合わせると、「おめでとうございます。今年もヨロシク!」の声が飛び交った。

                  

 

 タイトルにも書いたように、昨日は一度も転ばずに踊れた! 

 (そんなにしょっちゅう転んでいたら、それこそ困るんやけど…)

 それに、最後まであまり疲れずに踊ることもできた。

 ほんとうに、ありがたいなあ!とつくづく思う。

 

 以前にも書いたかも知れないけれど、私は今では、できるだけ長くダンスを楽しみたい!と思っている。

 前は、70になったらダンスは止めようとか、背中が曲がってまで踊るのは止めようなどと思っていたが、今はちょっと違う。

 背中は曲がらないに越したことはないし、又そうならないようにできるだけ注意しなければいけないけれど、多少曲がったって、楽しかったら踊ればい

い!と、今では思っている。

 

 仕事の合間のちょっとした気晴らしに始めたダンスだけれど、ダンスをしたからこそ分かったことが沢山ある。

 身体で表現することの楽しさと素晴らしさ!

 それは、自身がダンスをしていなければ、分からなかったのではないかと思う。

 私の生活を、より豊かなものにしてくれたダンス。

 健康に気を付けて、できるだけ長く楽しみたい!と、新年にあたって改めて思う私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今年の初ダンスで、“スッテンコロリ~ン!”

2013-01-07 16:26:07 | 日記

 4日は家から比較的近いN区民ホールのダンスパーティに行った。

 N区民ホールに行くのは、これで2回目。

 ローカルな感じのホールで、正面に舞台があり、床も木ではなく、踊るにはあまり適していない。

 それでも、初ダンスを楽しもうと、結構多くの人が来られていた。 (下の写真では、ちょっと淋しい感じにしか映らなかったけど‥)

                 

 

 ダンスは、昨年末の23日以来、10日ちょっとぶり。

 でも朝起きた時、布団の中で(ズボラやなあ!)かなりストレッチをしてから行ったためか、思ったより身体が動いた。

 それで調子に乗ったわけでもないけれど、メンバーチェンジのチャチャチャの時、傍で踊っておられた男性の脚と私の脚が絡まって‥

 “スッテンコロリ~ン!”  

 幸い、どこも痛くはなかったが、すぐにスックと立ち上がれないのが情けない‥(涙)

 その時踊っていた男性の助けを借りてやっと立ち上がり、それでも立ち上がるとすぐに、続きのチャチャを、元気よく踊った。

 

 (ダンスの恩師のM先生の「滑って転ぶのは、ちゃんと足の上に体重が乗ってないからよ!」というお言葉が、頭の隅をよぎっていたが‥。)

 その後も順調に踊れて、パーティ終了間際の4時半近くまで踊った。

 「スッテンコロリン」はあったものの、2013年の初ダンスとしてはマアマアだった。

 

 そう思う一方で、転ぶことには重々注意をしなければいけないナ!とも思った。

 今回は何事もなくてよかったが、昨年10月には幼なじみのSさんが、玄関先でちょっとしたことから転ばれ、手首を複雑骨折されている。

 年末に何とかペンを持つことができるようになったと言われていたが、普段は達筆の彼女の年賀状の字が、いつもより少し歪んでいるのを見て、怪我

の後遺症がまだ続いていることを知った。

 私たちの年齢の人間にとっては、転ぶことは致命傷にもなりかねないのだ。

 

 新年の初ダンスで転んだことは、この1年への警告かもしれない。

 私は肝に銘じることにした。

 (明日、今年2回目のダンスパーティに行く予定だけれど、明日は転びませんように!)

 

 

 ダンスとは全く関係ないけれど、我が家の山茶花が、今年になってやっと花を開いた。

 よそのお宅や公園では、去年の秋頃から、たくさん花を開いているというのに‥。

 たぶん我が家の山茶花は、必要な植え替えを怠っているため、根詰まりして、開花が遅れたのだと思うけれど。

 何ということはないけれど、今年になってやっと1輪だけ花を咲かせてくれた山茶花を、次に載せさせていただきます。

              

               (1月2日)                             (今日‥1月7日)

 

 

 夏の暑さを乗り越え、寒さの中で咲いてくれたゼラニュームも、序でに載せさせていただきます。

                    

 

 

 

 

 

  


2012年≪大晦日≫~2013年≪元日≫

2013-01-02 17:52:34 | 日記

 30日に池田の姉から電話があって、大晦日の夕食を(姉の家で)一緒にしないかというお誘いがあった。

 私はその時出掛けるのも億劫な状態だったのでちょっと躊躇したが、このままでは、ほんとにイイカゲンな年越しになってしまいそうな気がしたので、

思い切ってお誘いを受けることにした。

 

 <31日>

 私は午前中に、下のスーパーでおせちを買い揃え、ごく簡単な掃除をし、玄関の花瓶に(田舎の友だちが送ってくれていた)水仙と(買っていた)菊と

センリョウを投げ入れて、形だけのお正月の準備をしてから、池田に向かった。

             

 

 

 姉の家に着くと、姉の旦那が、台所で、夕食の準備に余念がなかった。

 実は姉の旦那は、無類の料理好き・お客さん好きなのだ。

 今回私を呼んでくださったのも、姉というより、むしろ旦那さんの方だったらしい。

 

 食事の用意にまだしばらく時間が掛かるというので、旦那を下に残して、姉と私は2階に上がって、久しぶりのお喋りに花を咲かせた。

 (実は、姉夫婦には最近2人目の孫ができ、その手伝いで忙しかったので、喋る機会が減っていた。)

 美味しいコーヒー(これも旦那さんがいれてくれた)を飲みながらお喋りをしていたら、下から「夕食の準備ができたよ!」と声が掛かった。

 私たちは、スタコラと下に下りていった。

 下りてみると、テーブルには旦那さん作製のいろんな料理が並べられている。

              

 

 男料理だけあって、料理の並べ方や食器の使い方にはもう一工夫欲しいところもあるが(旦那さんゴメンね!)、料理の味はなかなかのものだ。

 にぎり寿司も手巻き寿司も卵焼きもとっても美味しく、私はタラフクいただいた。

 一人だと、お義理に年越しそばを食べて終わり!って感じだったと思うけど‥。

 

 それにその時ちょうどテレビが、ボクシング世界タイトルマッチの中継をしていた。

 私たちは食事をしながら、ボクシングの試合を見て大いに盛り上がった。

 私一人だと、まずボクシングの試合を見ることもないし(試合があること自体知らない)、こんなに盛り上がることもない‥。

 ふだん、気ままな一人暮らしがどんなにイイか力説している私だが、こんなふうにワイワイガヤガヤしながら暮らすのも悪くないな‥なんて思ったりも

した。

 それだけ楽しい大晦日の夕食&夜だった!

 姉上、そして旦那さま、本当にありがとうございました♪

 

 帰りには、(孫の世話で今年はほとんど作れなかったらしいのに)何種類かのおせちまで持たせてもらった。

 

 

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 明けて‥<元日>

 (大晦日の夜が楽しかったお陰か)スッキリ目覚めた私は、早速元日の朝の食卓の用意に取り掛かった。

 前日スーパーで買ったおせちに加えて、姉からももらったので、今年の元日の食卓は、結構豊かになった。

 (と言っても、私が作ったものがほとんど無いのが問題だけど‥)

             

 

 

 

 食事を終わってしばらくしてから、近所の富島神社にお参りに出掛けた。

 富島神社は、我がマンションのすぐ近くにある、街中の小さな神社だ。

             

 

 参拝者はほとんどおられないのでは‥と思っていたが、予想していたよりずっと多かった。

 それに、(上の写真では分からないけど)若者たちが結構参拝に訪れているのには、驚いた。

 

 

 富島神社の次は、やっぱり中津公園だ。

 このところ又々ご無沙汰続きだが、元日くらい、中津公園をちゃんと見ておかねば!

 公園には、子ども連れの家族が2,3組来ておられて、そこだけは多少にぎやかだったが、全体的にはヒッソリとしずもっている感じだった。

 ランドマークの銀杏の木は、すっかり葉を落として箒になり、僅かに咲いている花も、なんか淋しげで悲しげだ。

              

 

 

 いつものように、淀川の堤防に上がってみた。

 対岸のビルの上には、白い雲を浮かべた青空が広がって、清々しい気分にさせてくれる。

                  

 

 堤防を下りようとしたとき、飛行機が飛んできた。

 慌ててカメラを向けたが、なかなか焦点が合わない。

 ようやく撮ったけど、なんかオモチャの飛行機みたいになってしまった。