のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

とりとめなく…

2019-07-30 18:40:57 | 日記

 私がNHKのダンス教室に行っていたころから教室を止めてずい分経った現在まで、教室のM先生には大変お世話になっている。

 帯状疱疹で入院・退院後も私の体調を心配して、何度もメールをいただいた。

 その度に「一度会いましょう!」と書いてくださっていたが、私の状態が整わず、その機会に恵まれなかった。

 それが今月の25日(木)に、お互いの都合が合って、やっと梅田でお会いすることになった。

 今回は食事は止めてお茶だけにすることにし、梅田の地下のカフェに行った。

 長いお付き合いで、M先生と私は、先生と生徒の関係というより、半分くらいは友だち同士みたいになっている。(と言うのは、私の

勝手な解釈かも知れないけれど…)

 この日も、親しい友人のように、私は遠慮なく先生と喋った。(まあ、時間の3分の2は私が喋っていたような気がする…。)

 心ゆくまでお喋りしたあと、私たちは阪急百貨店をぶらつくことにした。

 最初に行った、吹き抜けになった8,9階の祝祭広場では、この日は台湾フェスタが行われていた。

 9階の天井から吊るされた(いかにも台湾らしい)赤を主体にした飾りが面白かったので、歩きながらカメラを向けた。

                    

 

 

 


 

 

 28日の朝の水やりのとき、明日にでもハイビスカスが咲きそうなのを見つけて、また写真を撮った。

 序でに、朝から強い夏の太陽を受けて、健気に咲いている数少ない花たちも、カメラに収めた。

               

 

              

 

              

 

                

 

             

 

 

 これまで何度も鉢植えを買ってきても枯れてしまっていたパキラが、やっと根付いてくれたようなので、撮っておいた。

             

 

 


 

 

 29日の毎日新聞の朝刊のトップに、懐かしい顔が載っていた。

 かつて、サッカー日本代表の監督だった、イビチャ・オシム氏だ。

             

 

 サッカーのことはよく分からない私だけれど、日本代表の試合のときのオシム氏の指揮官ぶりは、とてもカッコよく思われた。

 そのうちにオシム氏が、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボの出身であること、あの「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」のとき、

氏の故郷サラエボも戦火に見舞われ、多くの親しい友人知人を失われるという、苦い過去を持つ方であることなどを知った。

 そういう苦しい過去を背負いながら日本代表監監督として采配を振るっておられるオシム氏の姿には、何か威厳のようなもの

が感じられて、やっぱり素敵だと思った。

               

 

 しかしそのオシム氏が、1964年の東京オリンピックに、サッカーユーゴスラビア代表として参加されていたことは、今回の新聞

記事によって初めて知った。

 当時23歳だったオシム氏にとって、東京オリンピックは、初めて海外の空気を感じることのできる舞台だったのだそうだ。

 特に東京五輪の閉会式で、選手たちが、国も人種も分け隔てなく、笑顔で腕を組み互いに肩を抱き合った姿は、オシム氏の心

に「平和の祭典としてのオリンピック」の素晴らしさを実感させ、スポーツを通して民族の共生が可能なのではないかとの希望を

強く抱かせた。

 しかし、86年にユーゴスラビア代表監督になられたオシム氏は、その希望が容易に実現できないことを、現実によって突きつけ

られる。

 当初彼は、その類いまれな指導力と求心力で、民族の垣根を超えて、ユーゴスラビアチームを強豪チームへと導いていく。

 だが、東西冷戦後、次第に抬頭してきた民族主義が、次第に民族間の戦いへと発展し、ユーゴスラビアチームを壊滅させて

いった。

 サッカーで民族の絆をつなぎ止めようとし、その無力さを肌身で思い知らされたオシム氏は、今回のインタビューの最後で、「どん

な理由があっても、戦争は絶対に起こしてはならない。」と言われ、「スポーツ(五輪)が平和に貢献する夢」を語られたそうだ。

 私は、オシム氏の健在ぶりを知り、氏の今も変わらぬ信念を知ることができて、とても嬉しかった。

 

 


 

 

 最後に、「一日花」のハイビスカスの花の変化を、写真に撮ってみた。(物好きですが)

 ☆ 7月28日 <つぼみ>

               

 

 

 ☆ 29日 <開花>

               

                  朝5時49分、まだ半分くらいしか開いていない。

 

               

                     6時34分になると、もう殆ど開いた感じ

 

               

 

               

             午前11時40分には完全に開き、太陽の光を花全体に受けていた。

 

               

                 午後6時27分、少しだけ閉じる気配を見せている。

 

                

                       夜8時、半分くらいに閉じている。

 

 ☆ 30日の朝は…

               

          私はハイビスカスに「ありがとう」と声をかけて、しおれた花を取り去った。

 

 

 

 

 

 

 

     

              

 

 

 

 

 

             


梅雨明けだ、 すわっ!!

2019-07-25 22:58:14 | 日記

 昨日のお昼前、やっと梅雨明けの発表があった。

 私はその発表を聞くや否や、「公園に行こう!」と思い立った。

 しばらく行っていない公園で、梅雨明け後の「夏の花」を見たいと思ったから。

 しかし公園では、いかにも梅雨明け後だと思われるような、「夏の花らしい夏の花」を、多くは見つけることができなかった。

 でも、花に当たる太陽の光の強さ・陰影の深さは、梅雨が明け真夏が到来したことを告げていた。

 そんな花たちの写真を、次に載せます。

 まずは、百日草から。

               

 

               

 

               

 

 

 次は、去年もその花の大きさに驚いたのに、昨日見るまでその花のことを忘れていた…濃いピンクと白の「アメリカフヨウ」

 (普通の芙蓉の倍以上の大きさがある。)

              

 

                

 

 

              

 

               

 

                

 

                

            (今から開こうとするつぼみの力強さを撮ろうとしたが、ピンボケになった。)

 

 

 咲き始めたばかりの、百日紅(サルスベリ)。

               

 

               

 

 

 まだ小さい向日葵の花。

               

 

               

 

 

 昨日の公園で一番沢山花を開いていたのは、「キバナコスモス」だった。

              

 

              

 

 

 そして「カンゾウ」の花は、野性味たっぷりに力強く咲いていた。

               

 

               

 

 

 (花ではないけれど)子どもたちが遊んだあと、公園にうっちゃられていたスケートボードと、「グラジオラス」の花。

                     

 

 

 

 梅雨明け後の淀川の風景(特に、空)を撮ってみたくて、公園を出て、堤防に上がってみることにした。

 公園を出たところのマンション(1階)の庭には、沢山の花や木が、よく手入れされて植えられている。

 その中から、白とピンクの八重の「ムクゲ」と「テイカカズラ」。

               

 

                 

 

               

 

 

              

 

 

 

 淀川の堤防に上がる。

 夏らしい入道雲を期待したが、一昨日まで雨が降っていたせいもあって、空には、まだ入道雲に成りきらない雲が、ぼんやりと

浮かんでいるだけだった。

           

 

 

             

 

 

             

 

 

 飛行機が飛んできた。

 子どもみたいだけれど、飛行機が飛ぶとすぐにカメラを向けてしまう。

 ほんとは、雲に突入する飛行機を撮りたかったけれど、飛行機は素早く雲を通り過ぎてしまった。

                

 

              

 

 

 梅雨が明けた後の太陽の光は、思ったより強く熱く、容赦なく私に照りつけた。

 疲れを感じ始めた私は、上の写真を撮ると、急いで堤防を下り家路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

                

 


投票に行く道すがら…

2019-07-24 11:51:40 | 日記

 7月21日、参議院議員の選挙の朝、私は何だか少し冴えない気分で、投票所(小学校)に向かった。

 何度選挙しても真実は明らかにならず、明日が見えない感じがして、足が重かった。

 それでも選挙だけには参加しなければ、という義務感が、私を投票所に向かわせた。

 そして、投票所に向かう道に咲いていた花を見つけて、写真に撮った。

 特別な花はないけれど、そのときの花を下に載せます。

               

 

                

 

 

               

 

               

 

 

               

 

               

 

 

             

 

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都・祇園での食事会

2019-07-23 13:22:24 | 日記

 (前に何度も書いたことがあるけれど、)私がまだ若かったころ一緒に仕事をしていた女性の友だち(6人)は、仕事場がバラバラ

になってからも、一年に2度は集まって、食事をしながらお喋りするという習慣を続けてきた。

 皆が職を辞してからは、日を「海の日」と「建国記念日」に決めて、輪番制で幹事をし、食事会を続けている。

 今回の食事会(7月15日)はOさんが幹事で、「京都・祇園」の料理屋で行うという連絡が入っていた。

 7月に入ってから(も)体調がスキッとしていなかった私は、それを聞いたときは、「京都かあ、遠いなあ!」というのが正直な感想

だった。

 以前は、京都なんか平気の平左で、よく出掛けたけれど、その京都を遠く感じるのは、やっぱり身体が弱っている証拠だろう。

 それに食事会の前日は、夜のコンサートの約束が入っていたので、余計そう感じたのだと思う。

 

 当日、私は京阪電車で京都に向かった。

 待ち合わせ場所の「南座」には、京阪電車で行くのが一番近かったから。

                

               改装された「南座」正面 (改装されてから一度も行っていない)

 

 南座前に全員が集まってから、四条通を八坂神社に向かって歩き、途中で曲がって、今回のお食事処・「うを多」に到着した。

                

 

 「うを多」に行くのは私は初めてだったけれど、さすが祇園の小料理屋さんだけあって、暖簾をくぐって中に入ると、そこには洒落

た空間が広がっていた。

                

 

                

 

              

 

 

 次々出されるお料理は、季節感にあふれていて、どれもとても美味だった。 (写真を撮り忘れた料理もあります…)

               

 

              

 

             

 

              

 

              

 

 

 私たちはお料理を味わいながら、約束の時間をオーバーするまでお喋りを続けた。

 帰り際、入るときにも撮った暖簾が、陽の光を透かしてまっ赤に染まり美しかったので、又写真を撮っておいた。

             

 

 

 「うを多」を出たあと、次に入る喫茶店を捜しながら、祇園の小路をうろついた。

 次からは、その時のスナップ写真です。

                 

 

                  

 

                   

 

 

               

 

                  

 

 

               

 

               

 

                  

 

               

                         蝶が飛んでいるようだった、白いムクゲ

 

 

 途中で感じの良い喫茶店が見つかって、私たちはそこでも他愛ないお喋りを続けた。(そこではお喋りに夢中で写真は撮らな

かった。)

 そして4時半ごろ、やっと私たちは席を立って、それぞれ帰路についた。

 行く前は、ちょっとシンドイかもと思っていた私だが、行ってからは嘘のように体が軽く、楽しい時間を過ごすことができた。

 お料理も美味しく、お喋りはいつもどおり楽しかった。

 今回幹事をしてくださったOさん、お世話様でした。 そして、ありがとうございました♪

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

               

 


7月に入っての、ささいなことごと。

2019-07-22 14:54:24 | 日記

 9日は、ご近所の友だちとの食事会だった。

 今回はOさんが旅行で参加できなかったため、5人での食事会になった。

 食事場所は、新阪神ホテルのバイキングのお店。

               

 

 

 私たちが原則・月1回の食事会をもつようになってから、もうかれこれ5,6年になる。

 私が中津に越してきたのは今から31年前だけれど、前半の15年くらいはお勤めをしていて、マンションはただ寝に帰るだけの

場所に過ぎなかった。

 仕事を辞め中津にいることが殆どになっても、私はあまり地域に馴染めないでいた。

 梅田や他の場所で姉や友だちと会う以外、中津での生活は(買い物以外は)ほとんど部屋での生活だった。

 ある時そんな私にOさんが、「朝中津公園でラジオ体操をしているから来ない?」と、気軽に声を掛け誘ってくださった。

 運動不足を感じていた私は早速お誘いに乗って、ラジオ体操に参加するようになった。

 そして、Oさん以外の人たちとも知り合いになり、中津スポーツセンターで行われていた太極拳教室にも通うようになった。

 (太極拳教室は事情があって、3年ぐらいで止めてしまったが、今でも太極拳のユッタリした動きは大好きだ。)

 そんな中で、何となく気の合う人で食事会を持つようになった。

 

 この日もみんなで、地下鉄中津から梅田に出、そこから環状線に乗り換えて福島まで行き、新阪神ホテルに向かった。

 5人の中には、大腿骨骨折をされた人、膝の手術をされたばかりの人、腰が悪くて辛い人など、完全な健康体の人は、殆ど

いない。

 でも皆さん、とても前向きだ。

 5人の中では一番年下の私が、年上の皆さんから力をいただいている。

 

 ホテルのお店に着くと、みんな自分の好きな料理をお皿に取り、食べながら何ということもないお喋りをする。

               

 

 何ということもないお喋りだけど、それがイイのだ。

 特に言葉には出さないけれど、心の中でお互いに励まし合っている。

 この食事会がこれからも、できるだけ長く続きますように!

 

 


 

 

 10日に放映された「ニッポンの里山」の映像は、心に残るものだった。

  (以前は月から金の毎朝放映されていた「ニッポンの里山」だが、最近は時々しか放映されなくなっていて淋しい。でも私は今

  でも番組表で「ニッポンの里山」を見つけると、必ず録画して見るようにしている。)

 この日取り上げられたのは、熊本県産山村(阿蘇山の麓にある酪農の村)だった。

 産山村では2月ごろ「山焼き」を行い、その後、牛たちを放牧する。

 牛たちは山の斜面を通って放牧地に向かう。 その頃、その山の斜面に、不思議な模様が現われる。

               

 

 阿蘇の草原で伸び伸びと草を食む牛たちの姿は何度も見ているが、この映像は初めて見るものだった。

 「えっ、何!?この模様。」とつぶやきつつ先を見ていくと、この模様は牛たちが作った『牛道(ウシミチ)』と呼ばれるものなのだ

そうだ。

 体重400キロ以上もある牛たちが、毎日毎日草を食べながら斜面を横に移動していくうちに、その足跡が踏み固められ、長い

年月の間に、草原にこのような縞模様が作り出されたのだそうだ。

               

 

               

 

 私は、自然と人間の営みが作り出したこの模様を、とても美しく感じた。

 

 この番組ではもう一つ、心に残ることがあった。

 それは、今では絶滅危惧種になった幻の蝶・『オオルリシジミ』が、この阿蘇の山麓で命を繋いでいるということだった。

 それは何故?

 オオルリシジミは『クララ』という植物に卵を産み付け、その幼虫はクララの葉を食べて生長していくのだそうだ。

 オオルリシジミにとって無くてはならないクララがここ阿蘇には自生し、しかも毒を持つクララの葉を牛たちは決して食べない。

 そういう自然のしくみが、オオルリシジミの生存を保障している。

 自然って凄いなあ!と、改めて感じた。

               

                          オオルリシジミとクララの葉

 

 


 

 

 最後は、12日の夜、久しぶりにベランダから見た月と、16日の朝、4つ目の花を開いたハイビスカス。

 月は、まだ満月には大分間があるのに、私のカメラでは、丸く写っている。(泣)

 ハイビスカスの花は何度も登場させて気が引けますが、朝パッと開いているのを見ると、嬉しくなって思わずカメラを向けてし

まう。 どうかお許しの程。

              

 

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               

 

 


≪かやぶきの里・美山 ②≫ と 『トロッコ列車』

2019-07-18 14:54:15 | 日記

 前回の写真にも載っていますが、美山の里には、野菜や花が沢山植えられています。

 それは、美山の里で人々が、普通に暮らしておられることの証しです。

             

 

 

 特に家のすぐ傍に植えられた花たちは、茅葺き屋根とよくマッチしていて、かやぶきの里を引立てています。

              

 

              

                    これでもかと花を開いた、ヤマボウシ

 

            

 

             

 

              

                   花に止まってほしかったのだけれど…

 

             

 

              

 

             

 

 

 見学時間が終わりになりました。

 最後に再び、かやぶきの里・美山の写真を2枚撮って、私はバスに乗りました。

             

 

            

 

 

 

 昼食は、「八光館」という京丹波料理のお店でいただきました。

 ここの昼食はとても美味しく(写真には一部しか入りませんでした)、八光館の裏手には、保津川上流の川が流れていて、とても

落ち着いた佇まいでした。

              

 

            

 

            

 

 食事を済ますと、トロッコ亀岡駅から嵯峨駅(終点)まで、30分のトロッコ電車を楽しみます。

 でもこの日は乗客が多く、気温・湿度も高かったので、快適な乗り心地とは言えませんでした。

 なので、写真を撮る気も起こらず、撮ったのは、亀岡駅ホームに並んでいる「狸ちゃん」たちだけでした。

            

 

 

 嵯峨駅でトロッコ電車を下り、しばらく嵐山付近を散策することになりました。

 私は、桂川に鳥でもいないかと渡月橋近くの川辺に下りてみましたが、あいにく、増水した川には鳥は一羽もいませんでした。

 なので、渡月橋付近の桂川と、嵐山のレストランに沢山吊るされて涼しい音を奏でていた風鈴だけを、撮りました。

           

        写真左下の数字が書かれた標識は、数年前の大洪水を教訓とするために立てられた。

 

            

 

 

            

 

 

 嵐山でしばらく休憩したあと、バスは一路、大阪・中津へと向かいました。

 

 

 

 

 

 

 


≪かやぶきの里・美山≫ 1)

2019-07-18 13:54:39 | 日記

 ずいぶん前のことになりますが、今月4日(木)は、「中津ゆうゆう倶楽部」の一日バスツアーでした。

 今回のバスツアーの目玉は、≪かやぶきの里・美山≫の見学と、『トロッコ列車』に乗ることでした。

 

 まずは、≪かやぶきの里・美山≫から。

 美山には数年前、友人夫婦の車に乗せてもらって行ったことはあるのですが、茅葺き屋根が並ぶ風景をもう一度見たいと、今回

のバスツアーにも早速参加を決めました。

 バスが美山の里に着くと、美山観光協会の方が待っていてくださって、いろんな説明をしてくださいました。

 私はガイドの方の説明を聞きながら、早速写真を撮っていきました。

 下の2枚は、バスを下りた辺りで撮った美山の風景です。

              

                  緑の空き地には、近く蕎麦の実が撒かれるということでした。

 

              

                 アップで撮ると、すでに来られている観光客の姿が見えました。

 

 

 

 美山の郷の入り口に設けられた案内板と消防施設。(消防施設はここだけでなく、村のアチコチに備えられています。)

                

 

                   

 

 

 私はきれいに整備された道を歩きながら、かやぶきの里の風情を楽しみ、写真を撮っていきました。

 下の写真は、藁葺き屋根の姿と、30センチにもなるという屋根の厚み。

               

 

               

 

               

 

 

 

 次からは、美山の里の様々な情景を撮ったものです。

             

 

              

 

              

 

             

 

             

 

             

           住む人がいなくなった茅葺きの家は、「美山民芸館」として利用されている。

 

 

             

 

 

 

 美山の里には、観光客に混じって小学生の姿が見られ、遠足に来ているのかな?と思っていると、地元の美山小学校の生徒

たちが、観光客にインタビューしていたのでした。

 うれしがりの私はすぐにインタビューに答え、インタビューした生徒たちを写真に撮らせてもらいました。

 (彼らは、とてもハキハキしていて純真でした!可愛くていいなあ!!)

              

 

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


慌ただしい<帰省> 2)

2019-07-17 12:21:03 | 日記

 米子に着いて、私は予約していた駅前のホテルに向かった。

 N姉は、事前の話で何度も、自分の家に泊まるように強く勧めてくれたが、たった1泊でも、体調が万全ではない姉にとっては、疲れ

が後から出てくるに違いないと判断して、姉の誘いを断り、ホテルを取っておいた。

 翌朝、部屋の窓から、まだ明けきらぬ米子駅前をカメラに収めた。(以前は姉の家にもよく行き、米子駅は馴染みの場所だった。)

                

 

 

 7時ごろ、ホテルの9階のレストランで朝食をとった。

 その時の窓外の景色。

               

                             米子の町並み

 

               

                遠くにかすかに見える「中海」を、最大限のズームで撮った。

 

              

                         かろうじて見えた「大山」

 

 

 姉夫婦は米子から一駅の安来市に住んでいる。(一駅だが、米子は鳥取県、安来は島根県だ。)

 安来駅まで姉夫婦が車で迎えに来てくれることになっていたので、約束の時間に間に合うように米子駅に行った。

 米子駅のホームで電車を待っていると、向かいに水木しげるさんの妖怪電車が停まっていたので、面白半分にパチリ!

              

 

 

 

 安来駅で姉夫婦に会い、そのまま車で家に連れて行ってもらう。

 姉夫婦には去年の義兄の葬儀のときに会っているけれど、その時は忙しくてちょっとしか話ができなかった。(電話ではしょっ

ちゅう喋っているけれど…)

 姉夫婦は、思っていたよりずい分元気そうで、まず一安心した。

 ずい分前に建てられた家は、さすがに時の流れを感じさせたが、なんだかとっても懐かしい感じがした。

 (下は、家の中の一室と、庭に僅かに咲いていた花など)

               

 

                 

 

                   

                              千両のつぼみ

 

                   

 

                 

 

 

 姉に美味しいコーヒーを入れてもらい、それを飲みながら3人でとりとめのないお喋りをした。

 姉はずい分前に脳出血で入院・手術し、退院後しばらくは問題が無かったけれど、近年加齢に伴って記憶力が低下し、以前の

ようにきちんとした暮らしができないと、電話の度に私に訴えておられた。

 (姉はもともと、私なんかビックリするくらいの綺麗好きで、料理も上手だった。)

 今回の法要の不参加も、参加するための準備とか、往復に要る体力とかに、自信が持てなかったからだと思う。

 でも行ってみて分かったことは、住み慣れた我が家での暮らしは、ゆっくりながら、それなりにちゃんと営まれているようだった。

 私は、ホッとした。

 それに加えて、電話では挨拶くらいしか交わせていなかったお義兄さんが、以前と変わらず穏やかで心身の働きが衰えておられ

ないことが分かり、本当に嬉しかった。

 姉のいないところでお義兄さんと話をする機会はちょっとしか無かったけれど、その短い話の中でお義兄さんが、「今のところ

二人で生活するには問題はないですから」とハッキリ言ってくださったのは、本当にありがたかった。

 そして、これまで第三者と姉の状態について話をされることがなかったであろうお義兄さんも、今回私と短時間でも話ができたこと

で、何かホッとされたような表情を見せられた。

 それを見て、私も本当に嬉しかった。

 帰り、車で米子駅まで送ってもらう途中、ホテルで昼食をご馳走になった。

 そのホテルは、緑に囲まれたとても落ち着いた雰囲気のいいホテルで、料理もとても美味しかった。

                 

 

                  

 

                   

 

                   

 

 

 姉夫婦の無事な暮らしぶりを見て一安心した私は、姉たちに送られて、久しぶりに伯備線の特急に乗った。

 伯備線の特急電車のガラス窓越しに撮った、緑と高梁川。

                

 

                 

 

                

 

                

 

 

 その後、岡山で新幹線に乗り換え、無事大阪に着いた。

 慌ただしい帰省ではあったけれど、義兄の一周忌の法要に参列でき、N姉夫婦に会って無事な暮らしぶりを見ることもできて、

本当にヨカッタ!

 帰りの新幹線の中では、法要後は別行動をとっていた大阪のH姉夫婦と、同じ車両(しかもすぐ後ろの席)に乗り合わすという、

嬉しい偶然も重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

                       


慌ただしい<帰省> 1)

2019-07-07 15:02:32 | 日記

 昨年亡くなった義兄の一周忌の法要が6月30日に行われるため、29日の朝大阪を発って、帰省することになった。

 朝出掛ける前、ベランダの花に水をやっていると、オレンジ色のハイビスカスが、外に出してから2個めの花を開いていた。

 傍には、明日にでも開きそうなつぼみも一つ。

 ハイビスカスは「一日花」なので、つぼみが開くのを見ることはできない。

 そこで、咲いた花とつぼみを、記念に撮っておいた。

                  

                 

 

       

 姉夫婦と一緒に大阪を発ち、新幹線から山口線に乗り換えて、故郷に向かった。

 2時半くらいにホテルに着き、故郷の姉に電話したりしたあと、ホテルの温泉に入り、姉が設けてくれた夕食の宴に出るため、

また3人でタクシーに乗り、食事処の『田吾作』に向かった。

                

 

                 

 『田吾作』はその名まえが示すように、オシャレという言葉とは真逆の、昔のままの佇まいを残したお店だが、海や川の魚を新鮮

なまま食べさせてくれるお店として、近隣では名の通ったお店だそうだ。(テレビの全国ネットで放映されたこともある。)

 玄関を入ってしばらくのところに、大きないけすがあった。

 そこでは沢山のイカが、元気よく泳ぎ回っていた。

                  

 

 

 急な階段を上がって部屋に入ると、もう宴席の用意が整えられていた。

                

 

 

 この日の参加者は、14人だった。

 みんな、1年前の葬儀のときに顔を合わせてはいたけれど、あの時はゆっくりお喋りする時間が無かった。

 今回は、食事を楽しみながらユッタリお喋りできて、本当に楽しい時間が持てた。

 お酒を交わしながら先付を食べていると、ここからが本番、いろんな海の幸が登場してきた。

 まずは、イカのお刺身。

               

 

 写真は、ワサビの小鉢にピントが合って、肝心のイカがぼやけてしまったが、その身は透き通ってとっても綺麗だった。

 ただちょっと困ったのは、新鮮過ぎてまだ足がピクピク動いている。

 もしかしたらこのイカ、私が先ほど撮ったいけすの中で、勢いよく泳いでいたイカかも知れない。

 そう思うと何だか食べるのが悪いような気もしてきた。

 が、イカのお刺身が大好きな私は、我慢することができず、足はちょっと遠慮して、身の方をたらふくいただいた。

 

 次にいろんなお刺身の盛り合わせと、何とか言うお魚のから揚げが出てきた。(下は、いずれも一人分)

                

               この写真も、サザエにピントが合って、あとはボケてしまった…。

 

                 

               このお魚」の名まえも教えてもらったが、忘れてしまった。あ~あ!(涙)

     「頭から食べられますよ!」と言われ、頭も美味しそうだったが、この頃にはお腹がイッパイになり食べないままだった。

 

 その後も〆のご飯などが出て、久しぶりに故郷の味を堪能させてもらい、楽しい時間を過ごさせていただいた。

 この食事会を計画してみんなを招待してくださったM姉ちゃん、本当にありがとうございました。

 

 

 <30日>

   この日は、お寺さんで一周忌の法要が行われた。

   昨日食事を共にしたメンバーに加えて、義兄の妹さんの一族が参列されたので、参列者の数は更に多くなった。

   昨年の葬儀のときの親族が、ほとんど参列できたのはホントによかった。

   義兄さんは安らかに、空から、家族を見守ってくださっているのかな。

   (義兄さんの死はちょっと早過ぎたが、病気の性質上仕方なかったかもしれない。)

 

   法要のあとは、『島田屋』という割烹旅館に場所を変えて、お食事を戴いた。

   『島田屋』のお料理は、『田吾作』とは全く趣を異にしているが、これもなかなか美味だった。

   ここでも、久しぶりに会った親族たちの話がはずみ、写真を撮ったり撮られたり…楽しい時間が過ぎていった。

   最後に、参列者全員で記念撮影した。

   (楽しい写真がイッパイ撮れたが、個人を特定できる写真はアップしないことにしているので、ここでは失礼します。

   その日の夕方、甥の娘がラインで写真を送ってきてくれた。)

 

 

   法要の行事が全て終わった夕方、私は、今回参加できなかったN姉ちゃん夫妻を訪ねるため、山陰線の特急に乗って米子

   へと向かった。

   山陰線の旅は、大好きな日本海を眺められるので嬉しい。

   でもこの日は、雨こそ降っていなかったけれど、梅雨空で見晴らしも良くなかった。

   窓ガラスも、雨粒だか何だか知らないけれど汚れていて、よけい視界が悪かった。

   それでも疾走する特急電車の車窓から、海の景色を撮った。

   何ということもない写真ばかりですが、記念に載せておきます。

             

 

           

 

                

 

 

                  

 

                     

   海が途切れて、緑の平野(出雲平野)が現われたと思う間もなく、宍道湖が見えてきた。

   緑も宍道湖も、これまた碌な写真ではありませんが、これも思い出に載せさせていただくことにします。