のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

母が逝って、早や‥

2016-07-29 20:32:34 | 日記

 今日(7月29日)は、母の24回目の命日だ。 

 私は、7人兄妹の末っ子。

 私をかなりの高齢で生んだ母は、私を教育しようなどという気はさらさら無く、私は思いっきり甘やかされて育った。

 もちろん、戦後の物資不足の中で、7人の子どもを育て上げなければならない母(父も)の苦労は並大抵なものではなく、経済的には

 決して恵まれてはいなかった。 (と言うより、ズバリ、貧しさの中で育った。)

 でも私は、家族、とりわけ母の愛情だけは、有り余るくらいいっぱい受けて育ったと思う。

 思い返してみても、私は母に叱られたという記憶がない。 (たしなめられるくらいのことは、あったかも知れないけれど‥)

 そのせいで私は、とびっきりの「甘ちゃん」に育ってしまった。

 困難を乗り越える力に欠け、なんとも頼りない人間に‥。

 でもその代わりに私は、人を信じる心だけは持ち合わせた人間になれたのではないか‥と思っている。

 そしてそれは、無条件に私を愛してくれた、母のお陰だと思う。

 

 私は、この歳になっても、時々心の中で、「お母ちゃん!」と呼びかけることがある。

 そして幸せな気持ちになったり、時に涙ぐんだりする。

 

 

 ふるさとにも咲いていた、百日草と酔芙蓉の花を見ながら、母を想う一日です。

          

 

                     

 

       

 

                       

        

 

 

 

 


東洋陶磁美術館の<宮川香山展>

2016-07-29 20:27:08 | 日記

 今、中之島の「東洋陶磁美術館」で、<宮川香山(ミヤガワ・コウザン)展>が行なわれている。

 

 宮川香山氏については、ちょっと前の「日曜美術館」で紹介され、私はこの時、氏についても氏の作品についても、初めて知った

 香山氏は、1842年の生まれ、1860年には家督(窯元)を継がれ、作陶に専念される。

 そして1866年には、幕府から御所への献上品の制作を依頼される程の実力の持ち主となられた。

 明治時代になって、彼は独自の研究によって<高浮彫(タカウキボリ)>の技術を習得され、その作品は、パリ万博で「金牌」を受賞する

 など、世界の注目と絶賛を浴びることとなった。

 

 しかし私は、テレビで彼の<高浮彫>の作品を見たとき、正直、「技術的には素晴らしいんだろうけど、こんなゴテゴテしたのは、私

 のみじゃないな‥。」と、不遜にも思ったのだった。

 なので、(東洋陶磁美術館は、私のマンションから地下鉄2駅で行ける便利な所にあり、私たち高齢者は、アリガタイことに無料で入

 館できるにも拘わらず) 私はこの展覧会に行こうとは思わなかった。

 しかし、展覧会の終了期日(31日)が迫った昨日、ちょっと暇な時間ができたこともあって、私は突如やっぱり行っておこう!と思い

 直した。

 それには、展覧会に行かれた友だちの誰しもが、香山氏の作品の素晴らしさに感動し、私にもぜひ行くように勧められたことも影響し

 ているのだけれど‥。

 

 とにもかくにも、28日の午後、私は東洋陶磁美術館に向かった。

 東洋陶磁美術館は、地下鉄淀屋橋駅を降りて市役所前の道を通り、「中央公会堂」を過ぎると、すぐその向かいにある。

          

       中央公会堂の塔と、その上の真夏の空

               

 

 

 駅から美術館まで、そう長い距離があるわけではないけれど、熱せられたコンクリートの道を歩くのは、やっぱりかなり辛かった。

 なので、冷房の効いた美術館に入って外を眺めると、窓越しの緑がとりわけ涼しさを感じさせてくれた。

                

               美術館正面側                           裏側 (堂島川に面した側)

 

 

 

 いよいよ、宮川香山の展示会場に入った。

 展示は、彼の初期の作品に始まって、その後は、彼の名を世界に知らしめた、華麗な<高浮彫>の作品の数々へと移っていく。

 しかし実物を見ても、彼の<高浮彫>の作品への私の感じ方は、テレビで見たときと変わらなかった。

 あれほど複雑な造形を創り上げることは、確かに至難の技で、それを見事にやり遂げられた香山氏は、素晴らしいのだと思う。

 でも、出来上がった作品は、私の肌には、やはりなじめなかった。

 (次は、展示会の中で、撮影を許可された高浮彫の作品4点です。 全体の中では地味めなものでしたが、参考のために載せてお

 きます。)

            

 

 

            

 

 

               

 

 

 

 しかし、香山氏の作品は、高浮彫で終わったわけではなかった。

 次の展示室では、彼が家督を次代に譲られた後、更に自分の道を究めるために研鑽を積まれ、創り出された新たな<陶磁器>の

 作品の数々が、展示されていた。

 それらには、高浮彫のような華やかさはないものの、深みを増した香山氏の世界が表現されていて、私は、こちらの方がよっぽど好

 きだった。

 (それらの作品が絵葉書にでもなっていれば記念に買いたいと思ったけれど、絵葉書は高浮彫の作品ばかりだった。)

 でも、こういう作品も創られたことを知り、実際にその作品を見ることができたことで、私はこの展覧会に来てやっぱり良かったなあ!

 と思った。

 

 展覧会を後にして地下鉄まで歩く途中の、土佐堀川沿いの建物の写真を、最後に。