一昨日(31日)、姫路在住の友・Oさんが、大阪に来られた。
初めはお花見の予定だったが、Oさんのたってのご希望で、急遽≪司馬遼太郎記念館≫(東大阪にある)に行くことになった。
Oさんは司馬遼太郎の愛読者で、前から是非行きたいと思っていらっしゃったとのこと。
私はと言うと、司馬遼太郎さんの本もほとんど読んでいない。
でも、テレビなどで見て、司馬遼太郎記念館には一度行ってみたいと思っていた。
私は、(兵庫県立美術館で行われている≪ホドラー展≫を観てから)大阪に来られるOさんと、阪神梅田駅で待ち合わせた。
出会った後私たちは、まず梅田で食事してから、JR環状線・近鉄線を乗り継いで、記念館へと向かった。
司馬遼太郎記念館は、近鉄八戸ノ里駅から歩いて8分ぐらいのところにある。
下の写真は、記念館の門扉に掲げられた司馬さん自筆の表札と、司馬さんが最期まで創作を続けられたご自宅。
司馬さんは自然そのままの庭を愛されたらしく、お庭には、馬酔木や木蓮・スミレなどがひそやかに咲いていた。
庭の一角には、司馬さんのことばが書かれた碑(これも司馬さんの自筆)が、周りに調和して置かれていた。
お庭の花のなかでも、とりわけステキだった、ミツバツツジの花。
その薄紫色が、やさしく心に沁みた。
私たちは庭の散策をしばらく楽しんだあと、記念館に入った。
記念館は、安藤忠雄氏設計の建物だったが、全貌は写真に撮りにくかった。
(なので、入り口のみ) →
記念館の中には、私が前から一度見てみたいと思っていた、天井まで届く“大書架”の他に、小さいながらホールもあった。
(館内はもちろん撮影禁止なので、“大書架”やホールなどの写真をお見せできないのが、残念です。)
そのホールで、司馬さんの著作や考え方を紹介する、2つのビデオを見せてもらった。
そのビデオを見て、私は、恥ずかしながら初めて、司馬さんの歴史に対する考え方などを、不十分ながら知ることができた。
戦争を体験された氏は、終戦を迎えて、日本がなぜあんな馬鹿な戦争に突き進んでしまったのかをテーマに、歴史を検証される。
そんな中で、数々の作品が生まれた。
Oさんは、「こんな時代だからこそ、司馬さんにもっと生きていて欲しかった!」と、しみじみと言われた。
私は相づちを打ちつつ、危険な方向に進もうとしている今の日本の政治の流れを思い、辛い気持ちになった。
でも、今まで政治の話はあまりしてこなかったOさんと、同じ思いを共有していることが分かり、嬉しかった。
記念館の一角に設けられた喫茶コーナーで、私たちはコーヒーとクッキーをいただきながら、しばらくそんなこんなを語り合った。
記念館を後にした私たちは、Oさんがまだ一度も見たことがないと言われる≪大川の桜≫をちょっとでも見るため、桜ノ宮駅で降
り、源八橋へと急いだ。
源八橋から見下ろした大川の桜は、まだ満開には間があったが、初めて見られるOさんは、それでも喜んでおられた。
短時間のお花見の後、私たちは急いで梅田に戻り、帰りを急がれるOさんを、阪神梅田駅で見送った。