のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

花の国・房総で、かつて途絶えた花づくり ≪りんさんの花≫

2015-04-04 22:56:33 | 日記

 3月27日の「新日本風土記」は、≪房総 花物語≫と題して、房総半島での花にまつわる素敵なエピソードの数々を、紹介してく

た。

                  

 

 その中に一つ、私の意表を突く、悲しくも美しく力強いエピソードがあった。

 それは、≪りんさんの花≫と題されたエピソードだった。

 

 りんさんのお孫さんの川名秀さんが取り出された花の出荷台帳は、昭和19年途中から21年12月に掛けて、空白だった。

                     

 

 

 それは、言わずと知れた第二次世界大戦がもたらしたものだった。

 戦争が劣勢となり、全ての人が戦争に駆り出され、あらゆる土地で食糧の増産が推進された。

                

                       

 

 

 そして遂に、その土地で食糧を作るために、花の栽培が禁止され、花の国・房総から、花づくりが消えた。

                 

                        

 

 

 それまで花づくりに勤しんできた人の中にも、花づくりを諦め、種や球根を焼き捨てる人さえ現れた。

 

 そんな中でりんさんは、水仙の球根を持ってそっと山に分け入り、その球根を、人目につかない山の中に埋めた。

                     

                   

 

 

 りんさんは、言われる。

   おれは、みんなのように、花を殺せねえだ。

   咲いている花を抜いたり、球根を掘り返したりするのは、おれには、生きてる花を殺すことだ。

 

 

 そんなりんさんの姿をモデルに、戦後田宮寅彦氏が、小説『花』を書かれる。

                    

 

 

 花の国・房総で、戦争中花づくりが禁止されたこと、

 それにあがらって、球根を隠した女性がいたこと、

 その女性をモデルに小説が書かれたこと、‥‥そのいずれもが、私にとっては今回、初めて耳にすることだった。

 

 

 りんさんはさらに、下の写真のように言われる。

               

                   

                       

 

 

 人間の肉体はもちろん、心まで枯渇させ、滅ぼしてしまう戦争!

 そのむごたらしい実態を、りんさんは、花づくりの経験の中で、感じられ、そして告発された。

 その静かな抵抗の精神は、私の胸を強く打った。

 

 

 りんさんが球根を隠された場所には、戦後、水仙の花が見事に咲いた。

               

                    

 

 

 そして房総は、再び花づくりの国となった。

                   

 

 

 ≪りんさんの花≫は、戦争が人間の肉体だけでなく、人間らしい心をも奪うものであることを、鋭く告発している。

 そして同時に、戦争中にも拘わらず、人間らしい心を持ち続けた、りんさんのような人が存在したことをも、教えてくれた。

 それは私たちに、大きな勇気を与えてくれる。

 でも戦争中、そういう人はあくまで少数派であり、多くの人は、花を捨てることで、人間らしい心を失った。

 

 

 私たちは今、真剣に戦争のことを考えなければならないと思う。

 今政界では、日本を何とかして、戦争のできる国にしようという動きが顕著だ。

 そして、言論の統制も進んでいる。

 「WE ARE NOT ABE」を呼びかけた、朝日放送のコメンテーターの古賀さんは、番組を降板させられた。

 

 「この道はいつか来た道」が、大袈裟でなく、現実のものとなりつつある。

 戦争を起こそうと思う人は、必ず何か、それらしい大義名分を掲げる。

 それでなくては、幾らなんでも、国民を戦争に動員できないからだ。

 

 でも私たちは、それに惑わされてはならない。

 どんな大義名分を掲げようとも、『戦争』は『人殺し』なのだ。

 私は、日本が戦争をする国にならないように、できることを全力でやっていかなければ、と思っている。

 りんさんのように、強くしなやかな心を持って!

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夕食会の前に、ちょっとだけ大阪城公園へ。

2015-04-04 19:52:18 | 日記

 N君(姪の子どもで、ただ今神戸の大学の3回生)の留学が、突然決まった。

 そこで2日、姉家族(5人)と甥家族(3人)と私とで、激励の夕食会をすることになった。

 場所は、天満橋・シティモール8階の「美々卯」。

 

 夕食会は6時半からだったので、私はその前に、天満橋から程近い大阪城公園の桜を見に行くことにした。

 もっと早くに出掛けるつもりだったが、いつもの習いで、大阪城公園に着くと、もう5時だった。

 日がだいぶ長くなったとは言え、5時ともなると、もう夕暮れが近い。

 弱くなった光の中では、桜の鮮明な美しさを写真に撮ることは、困難だった。

 それでも私は、足早に歩きながら、桜を眺め写真を撮った。

 

 最初は、公園入り口付近から見た、桜の情景。

              

 

             

 

            

 

 

 

 櫓門を通って、中に入る。

            

 

                 

 

               

 

 

               

 

              

 

 

             

 

 

 

 二の丸庭園の入り口に来て驚いた。

 二の丸庭園の桜は特に美しく、その桜の向こうに大阪城の天守閣が望めて、絶好の撮影ポイントだ。

 なのに、観光客を呼び込むためか、二の丸庭園の中にも外にも、似つかわしくない電飾が施されている。

                   

 

 

 私はガッカリして、二の丸庭園からサッサと遠ざかった。

 そして、時間もだいぶ経ったので、下の写真を最後に、大阪城公園を後にした。

             

 

 


 

 

  総勢10人で賑やかに食事を終えたあと、子ども連れは帰り、甥とN君と私の3人は、ワインカフェに寄った。

 甥とN君は白ワインを、私はカフェラテを飲みながら、海外旅行や海外出張(甥)の話で盛り上がった。

 10時過ぎまで喋って、私たちはやっと腰を上げて、それぞれ帰路に着いた。

 

 下の写真は、私が飲んだカフェラテと、帰って、久しぶりにベランダから見た、(たぶん)十三夜の月。