3月27日の「新日本風土記」は、≪房総 花物語≫と題して、房総半島での花にまつわる素敵なエピソードの数々を、紹介してく
れた。
その中に一つ、私の意表を突く、悲しくも美しく力強いエピソードがあった。
それは、≪りんさんの花≫と題されたエピソードだった。
りんさんのお孫さんの川名秀さんが取り出された花の出荷台帳は、昭和19年途中から21年12月に掛けて、空白だった。
それは、言わずと知れた第二次世界大戦がもたらしたものだった。
戦争が劣勢となり、全ての人が戦争に駆り出され、あらゆる土地で食糧の増産が推進された。
そして遂に、その土地で食糧を作るために、花の栽培が禁止され、花の国・房総から、花づくりが消えた。
それまで花づくりに勤しんできた人の中にも、花づくりを諦め、種や球根を焼き捨てる人さえ現れた。
そんな中でりんさんは、水仙の球根を持ってそっと山に分け入り、その球根を、人目につかない山の中に埋めた。
りんさんは、言われる。
おれは、みんなのように、花を殺せねえだ。
咲いている花を抜いたり、球根を掘り返したりするのは、おれには、生きてる花を殺すことだ。
そんなりんさんの姿をモデルに、戦後田宮寅彦氏が、小説『花』を書かれる。
花の国・房総で、戦争中花づくりが禁止されたこと、
それにあがらって、球根を隠した女性がいたこと、
その女性をモデルに小説が書かれたこと、‥‥そのいずれもが、私にとっては今回、初めて耳にすることだった。
りんさんはさらに、下の写真のように言われる。
人間の肉体はもちろん、心まで枯渇させ、滅ぼしてしまう戦争!
そのむごたらしい実態を、りんさんは、花づくりの経験の中で、感じられ、そして告発された。
その静かな抵抗の精神は、私の胸を強く打った。
りんさんが球根を隠された場所には、戦後、水仙の花が見事に咲いた。
そして房総は、再び花づくりの国となった。
≪りんさんの花≫は、戦争が人間の肉体だけでなく、人間らしい心をも奪うものであることを、鋭く告発している。
そして同時に、戦争中にも拘わらず、人間らしい心を持ち続けた、りんさんのような人が存在したことをも、教えてくれた。
それは私たちに、大きな勇気を与えてくれる。
でも戦争中、そういう人はあくまで少数派であり、多くの人は、花を捨てることで、人間らしい心を失った。
私たちは今、真剣に戦争のことを考えなければならないと思う。
今政界では、日本を何とかして、戦争のできる国にしようという動きが顕著だ。
そして、言論の統制も進んでいる。
「WE ARE NOT ABE」を呼びかけた、朝日放送のコメンテーターの古賀さんは、番組を降板させられた。
「この道はいつか来た道」が、大袈裟でなく、現実のものとなりつつある。
戦争を起こそうと思う人は、必ず何か、それらしい大義名分を掲げる。
それでなくては、幾らなんでも、国民を戦争に動員できないからだ。
でも私たちは、それに惑わされてはならない。
どんな大義名分を掲げようとも、『戦争』は『人殺し』なのだ。
私は、日本が戦争をする国にならないように、できることを全力でやっていかなければ、と思っている。
りんさんのように、強くしなやかな心を持って!