傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

橋下市長の嘉田知事の「卒原発」批判は副次的問題の批判に過ぎず

2012-12-05 05:56:12 | 日本未来の党・嘉田由紀子

「維新の会」の橋下市長は嘉田知事の「卒原発」を飯田哲也氏の主導の「10年後完全廃炉は単なる気分」と批判しているが、「脱原発」を宣言することが肝要で、「脱原発」による副次的な課題は、原発稼動による核兵器に利用できるプルトニウム大量生成物、放射性廃棄物の処分ですね。
主問題は、原発の代替エネルギーが経済的に安定的に確保できるかどうかであり、10年後完全廃炉は国策で決定すればできる事案であり、橋下市長の嘉田知事の「卒原発」を批判は、本質的な問題ではなく脱原発による副次的問題ですね。

団塊世代の当方は、大学受験の際に「原子力学部」のある大学を考えたこともあったが、「原子力学部」のある大学は、劣等性の当方には難関であり諦め、その後は、原発に関しては無関心で過ごしてきました。
原発に関しては、福島原発事故後、NHK特集ら番組の視聴による俄か知識しかありません。

脱原発は、代替エネルギーを実現性(継続安定性)と経済性が主問題で、代替エネルギーで原発と同程度の電気料で将来にわたり安定的に供給できるかどうかで、脱原発を決定すれば、核燃料サイクルは不要となり高速増殖炉は停止、使用済み核燃料(放射性廃棄物)処分や廃炉は二次的な別問題ですね。
発送電分離、電力自由化の問題は、安価電気料の実現への競争原理の問題であり、脱原発とは別次元の問題であり、脱原発後の原発地元の経済的な問題は、脱原発による付帯問題であり、エネルギー問題とは別次元の問題ですね。

嘉田代表の「日本未来の党」の飯田哲也氏が主導の「卒原発」カラキュラムは、
”「現在が実質的に「原発稼働ゼロ」であるという現実から出発して、「エネルギーシフト」という未来に向けた助走と離陸を経て、どんなに遅くとも10年後には完全に原発から卒業するためのカリキュラムの骨子」”
と、助走期(3年間)に離陸期(最長7年間)で原発から卒業のストリーですね。
脱原発の必然性は、「びわこ宣言」にあるが、脱原発の主課題の原発の代替エネルギーの実現性と経済性についての記述がなく、副次的問題や別次元の問題を混在している総花的な感はあるが脱原発への環境整備に注力する脱原発へのストリーは理解できます。

原発は、先人がエネルギー資源の確保に、原発を導入し使用済み核燃料の有効活用を目途に核燃料サイクル(高速増殖炉)の国策には一理あったが、福島原発事故で原発は膨大な被害を発生させる潜在的な危険性が顕在化し、原発の無用不要の脱原発の風潮となる。
また、福島原発事故で原発の安全神話が崩壊し原子力ムラ、電力企業の地域独占の弊害が顕在化した。
国内の全原発が停止しても、節電と省エネに火力発電で夏場の重要期を乗り切ったことで、化石燃料の調達コストUPを伴うが再稼動停止、新規原発建設中止の脱原発は現実的であり常識的な判断ですね。

橋下市長がツィートで、「日本未来の党」代表の嘉田知事、「卒原発」カラキュラム策定を主導した飯田哲也氏を批判しているが、脱原発に伴う副次的問題を取り上げて批判しているに過ぎないですね。
橋下市長の12月1日のツィート
”「未来の党、嘉田知事ですら、脱原発の具体的工程表を持ち合わせていない。飯田哲也氏もプルトニウムの問題など全く認識なし。嘉田知事の10年後完全廃炉は単なる気分。もう、年限を議論することは止めなければならない。」”
と、脱原発の具体的工程表は政治家では策定できず官僚組織が策定するもので、 工程表もなく嘉田知事の10年後完全廃炉は単なる気分(絵空事)と批判していますね。
そして、「飯田哲也氏もプルトニウムの問題など全く認識なし」とプルトニウムを問題視していますね。

日本の原発は基点は、原子力研究開発の目的に科学技術庁を発足させ、当初トリウムをも検討対象にしたが、使用済み核燃料からプルトニウムをとりだしプルトニウムによる高速増殖炉が日本の最適と判断し、夢の技術の核燃料サイクルが日本の原子力の目標になったのです。

橋下市長が問うたプルトニウムには、核兵器の材料の問題があります。

核燃料サイクルとは、ウラン等の核燃料を増殖炉(ウランがプルトニウムに変異)で使い使用済み核燃料を再処理工場で再び核燃料としてリサイクルして長期間エネルギーとして利用できるとことで資源のない日本に最適と判断したが、プルトニウムは長崎投下された原爆の材料という核兵器に利用できる負の側面があったがエネルギー資源の観点から国策となる。
当時の関係者は、原子力の軍事利用など眼中になく、平和利用のみでプルトニウムの核燃料サイクルを決断し、1956年、核燃料サイクル実現の目的に日本原子力研究所が設立となる。
高速増殖炉は、中性子を連鎖反応させる液体ナトリウムを利用するがナトリウムは水に接触で化学反応を起こし爆発する材質で高速増殖炉「もんじゅ事故」になったのです。
海外は増殖炉をあきらめ軽水炉に事業転換したが、政府は核燃料サイクルを執着し、軽水炉の使用済み核燃料には少量のプルトニウムを含み再処理で高速増殖炉の燃料となるプルトニウムに有効利用する軽水炉の使用済み核燃料を資源として位置づけとした核燃料サイクルの確立を国策として推進してきたのです。

電力会社は軽水炉に注力し、国が核燃料サイクルに注力し、1977年 研究用高速増殖炉「常陽」が初臨界成功、使用済み核燃料からプルトニウムを抽出する東海再処理施設が稼動させ核燃料サイクルの確立が加速するが、中国、インドらの原爆実験の成功で、アメリカから核不拡散法に準じて日本の核燃料サイクル(再処理)に抑制の圧力がある一方で、政治家の中国の核武装化への危機感により、日本の核武装オプションとして外務省は核燃料サイクル実現を支援。
また、佐藤栄作内閣調査室も秘密裏に核武装オプションの研究会を設置した。
この動きは、アメリカは日本は核兵器開発技術を保持し、時の権力者が核兵器使用を決断する可能性があると危険視し核燃料サイクルを中止を要請したが、最終的には核燃料サイクルは平和利用として受容した。

もう一つは、プルトニウムと高レベル放射性廃棄物の処理の問題です。

軽水炉からの使用済み核燃料からプルトニウム抽出の再処理での高レベル放射性廃棄物の処分の問題です。
高レベル放射性廃棄物は、粉砕しガラスで固形化し、最終処分場で長期保管(万年単位)が必要となるが、最終処分場の場所が1990年代から未定なのです。

一方、1985年に着工した実用実験機の高速増殖炉「もんじゅ」は、技術的課題解決に膨大な費用を要し、電力会社は増殖炉は不安視、政府は、次期高速増殖炉は2030年に計画変更することになる。
1993年 各原発に滞納した使用済み核燃料の軽減に、六ヶ所最終再処理工場が着工されたが試験運転でトラブル続行し本稼動できず、各電力会社は、使用済み核燃料の最終処理を英仏国に委託したが、高レベル放射性廃棄物も返納される。

1995年 高速増殖炉「もんじゅ」は出力5%の初送電に成功するが、4ヵ月後、出力45%の発電で、冷却材ナトリウム漏洩事故が発生し今日まで本稼動せず至っております。
使用用途のないプルトニウムと最終処分の目処がつかない高レベル放射性廃棄物が大量に滞納した打開策に、核燃料にプルトニウムを混在するプルサーマル軽水炉を注力するが、政府はプルトニウムの高速増殖炉の核燃料サイクルを堅持しているのです。

橋下市長がツィートで、”「飯田哲也氏もプルトニウムの問題など全く認識なし」”と「プルトニウム」を掲げている理由は意味不明ですね。
プルトニウムは、核兵器の材料になり核武装のオプションをも考えないのかと石原代表に協調しているのか、大量に滞納しているプルトニウムと高レベル放射性廃棄物の処理が目処がついていないのに安直に10年内に廃炉などと言うなということなのか意味不明ですね。

卒原発は脱原発と同義語であり、原発の代替エネルギーでの実現が現実的であるかどうかが本質の問題であり、実現性が現実的であれば「卒原発」「脱原発」は気分の問題ではなく意思決定の問題です。
「脱原発」が現実的と決断すれば、国策の核燃料サイクルは中止となり、増殖炉「もんじゅ」は開発中止になり、廃炉への工程表を作成を着手すればよく、再稼動も新設もありえず、代替エネルギーで電気料UPするのであれば善後策を立案すればよいのです。
副次的な問題や、付帯的な問題で、本質の問題を批判するのは的外れの主客転倒の批判にすぎないのですね。

本ブログで、
”「橋下徹氏は、法律に抵触しなければ何でもやるドライさ、利用できる物はなんでも利用する利口さ、一旦公言しても形勢不利と思えば方向転換する機敏さ、特徴的な例えで説得する機知さ、高圧的な言い回しで相手の本音を出させるテクニックのうまさなど特徴点はあるが、一番のすごさは、目標設定を明確にし、その実現に権限を手中するために組織力(政治力)を形成する戦略性でしょうね。」”
と書きましたが、大阪府市エネルギー戦略会議メンバーの飯田哲也氏が「日本未来の党」で「脱原発」へのストリー策定の主導したことや、石原代表が「原発をフェードアウトさせない」「核武装もオプションとして検討要」の発言は、「日本維新の会」は原発容認とみなされ、「日本維新の会」に逆風が吹き始めたら、形勢不利とし、「日本未来の党」の「卒原発」を主導した飯田哲也氏を特徴的な例えで高圧的な言い回しで批判し始めることは、橋下市長らしいでいえば橋下市長らしいですね。

やはり、「日本維新の会」は、素直に「みんなの党」と連携し、総選挙は、国政への踏み台にし、参議院選を主戦場にすべきでしたね。
「太陽の党」との合流、石原慎太郎氏に代表を委ねてたことは、致命的なミステークですね。
当方に言わせれば、橋下市長の嘉田知事の「卒原発」への批判は、自分のミステークによる失地回復への不安と不満の焦燥感による弁明・弁解としか見えませんね。


「付記」

当方が本ブログの参考にしたのは、NHKのETV特集
「“不滅”のプロジェクト ~核燃料サイクルの道程~ 」(2012年6月17日(日)、2012年6月24日(日) 再放送)です。番組紹介を転載すると、

”「日本の原発から出た使用済み燃料は1万5千トン。行き場のないまま原発敷地内などに保管されている。ゴミである使用済み燃料の処理方法が無いまま稼働を続ける原発は、トイレの無いマンションと揶揄(やゆ)される。この問題を一挙に解決する方策として模索されてきたのが「核燃料サイクル」だった。その夢のサイクルが、福島原発事故をうけて原子力行政が問い直される中、根本的に見直されようとしている。将来に向け、私たちはいまどのような選択をすべきなのか。それを考える前提として核燃料サイクル60年の足取りを知っておくことは必要だ。

日本では、原発開発が始まった当初から「核燃料サイクル」が目標にされた。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料として利用する「核燃料サイクル」は、資源小国のエネルギー問題と、放射性廃棄物というやっかいなゴミ問題を一石二鳥で解決してくれる夢のプロジェクトとしてスタートした。サイクルの要となる高速増殖炉は、プルトニウムをウランと混ぜて燃やし、使用前よりも多くのプルトニウムを作り出すことができるというもの。これを確立することができれば、理論上、千年はエネルギー問題から解放されると期待されてきた。

この「核燃料サイクル」の計画からその後の経緯までの内幕を、赤裸々に記録した録音テープがある。日本の原子力政策を中枢で担い続けてきた、政・官・財・学の中心人物が、非公式で開いていた「島村原子力政策研究会」の会合を録音したテープだ。国家プロジェクトとして始まった核燃サイクルがさまざまなう余曲折の中で迷走していった過程が語られている。

日本の核燃サイクルは「トリウム」という軍事利用できない燃料を使ったものが研究された。しかし、実現を急ぐ政界の意向から英米から既成技術を輸入することに方針転換された。英米で開発されていたのはトリウムではなく「プルトニウム」を使った核燃サイクルだった。プルトニウムは核兵器の材料になる。1960年代に中国やインドでの核開発に脅威を感じたアメリカは、70年代に日本の核燃サイクルに待ったをかけてきた。この圧力は日本に「焦り」と「意地」を生じさせ、冷静な開発を困難なものとしていった。
計画開始から半世紀以上が経過した今、まだ核燃サイクルは実用化されていない。そして使用済み燃料の問題は依然として解決していない。「一石二鳥」どころか「二兎(にと)を追う者、一兎(いっと)も得ず」の状態になっている今、核燃サイクルという夢を追ったプロジェクトの経緯を検証し、問題の所在を明らかにする
。」”

です。

また、NHK ETV特集
シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論
シリーズ 原発事故への道程 後編 そして“安全神話"は生まれた
をも啓発される番組でした。



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