賤ケ岳砦

2013年05月28日 | 滋賀百城

 


「滋賀百川」の現地見学で行く先々で城跡遺構と遭
遇することがあり、興味があるものの時間の関係で
素通りしてきた。「近江の山城ベスト50を歩く」
で、「滋賀県下には約1300ヵ所にのぼる城跡の
存在が確認されている。この分布数は全国屈指の数
であり、近江の国は淡海の国であるとともに「城の
国」でもあった」と記されている。

 

※ 滋賀県下でこれだけの城跡が確認されたのは1982
年より10ヵ年かけて滋賀県教育委員会によって実施
された分布調査結果による。

【賤ケ岳砦】

所在地:伊香郡木之本町大音・川北、
伊香郡余呉町町川北
築城時期 1583年(天正11年)
標  高 421メートル
主な遺構 堀切 竪堀 土塁 虎口

賤ケ岳砦は、賤ケ岳の合戦に際して、羽柴秀吉軍に
よって築かれた陣城群の一つ。1583年3月12日、近
江・越前国境を中心に布陣した柴田勝家軍に対抗し
羽柴軍が賤ケ岳・木之本山(田上山)を中心に陣城
群を構築した。『賤岳合戦記』によれば、柴田軍に
よって焼き討ちから残されていた神社仏閣を破壊し、
近辺の山々から古木や大木を伐り出し、夜を徹して
陣城構築が進められたと記されている。。



賤ケ岳砦は、賤ケ岳の合戦に際し築かれた陣城中、
最も訪れやすい場所。賤ケ岳の山頂にある砦跡は、
公園化され、堀・土塁・曲輪等が比較的観察しやす
い。玄蕃尾城(余呉町・敦賀市)は例外として、他
の陣城跡は樹木が茂った状態と大きく異なる。砦跡
には遊歩道あるいは賤ケ岳の合戦碑、地図、休憩所
等も有し、眺望も優れ、特に西側に広がる余呉湖の
景観は美しいが、公園整備により遺構が滅失したり、
改変された部分が少なくない。土塁をまたいだり、
切り崩している遊歩道も存在するという。また、賤
ケ岳砦跡であることを示す碑や表記等も見当たらな
い。

  概要図

山頂部の曲輪は大きくみると、三つの部分から構成
されている。各曲輪は後世に改変された可能性もあ
るが、内部に起伏を残している。このうち、中心に
あるⅡ(上図)が主郭に相当すると考えられる。Ⅱ
は背後に分厚い土塁を設け、I側と区画する。北西
斜面のえぐれた部分は虎口のようだが、判然としな
い。Ⅱは、ほぼ四方を土塁囲みとする曲輪である。
この曲輪の土塁も分厚く、良好に残っている。土塁
裾の切岸も明瞭となっている。Ⅰと連絡する虎口は
見当たらないが、側面の帯曲輪に出て、それからI
に連絡していたと考えらている。ⅢはⅡの東方にあ
り、現状ではⅡとほぼ地続き。両者の境界端部には
竪堀がそれぞれ認められ、この部分は本来堀切が存
在し、その端部は竪堀になっていたとされている。
Ⅲの東端には、高低差を利用した外枡形状の虎口が
あり、この虎口の脇に竪堀が伸ばされ、通路から斜
面に回り込むことを防いでいる。


【エピソード】

  

 

【脚注及びリンク】
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1.「近江の山城ベスト50を歩く」中井均、サンライズ
 出版

2.「近江の山城・平城 位置図、同上
3.賤ケ岳合戦・黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文
 書発見、2013.5.10、毎日新聞
4.「賤ヶ岳の戦い」、Wikipedia
5.賤ケ岳 史上まれな築城・対峙戦、2008.9.7、朝日
 新聞
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