Hidenori Nodera 野寺秀徳『輝く路の上で』

SHIMANO Racing野寺監督のブログ

逆境を乗り越える

2019-05-14 23:40:00 | 日記
「見失われがちなのが、相手の立場に立つという姿勢である。」
 
何かを代表した人が出した結果への社会的な意見に対する、そんな見解を目にしました。
 
ありがたく嬉しい言葉です。
 
プロのスポーツ選手に置き換えて考えると、彼らはただそれだけで特別な存在として扱われるし、実際そうなのかもしれません。
 
固有の集団の代表として、その責務を立派に果たす必要がある。
 
プロスポーツ選手はその責任の対価として報酬を得ていますし、結果こそが唯一の証明。
 
その通りです。
 
がしかし、彼らは特別な能力(特別な努力に耐えうる能力も含め)に恵まれていたということにフォーカスされがちですが、通常の人としての弱さを持ち合わせていないわけでは決してありません。
 
不安や緊張を抱え、病気もします、むしろ平均よりより多くのそれらを持ち合わせ、対峙し、乗り越える姿勢や成果があるからこそ、特別な場所での活動を許されるよに思います。
 
結果に対する社会的な意見は、時に残酷なまでに厳しく痛烈なものとなります。
 
そんな意見を出す人に対し、「選手の立場になって意見してほしい」とは期待しませんし、そうあるべきとも思いません。
 
むしろ、当事者がそれらの意見を糧にし、これまで通り逆境を乗り越え、人としてさらなる強靭さを手にして前進する事を期待していますし、一見、選手の立場をかえりみないような厳しい意見をしている人々も、そのように考えていると期待しています。
 
人を成長させるのは逆境以外にない。
 
そんな言葉を聞いた記憶があります。
 
確かにそうだったかもしれない。
 
私が経験した取るに足らない僅かな歳月と些細な出来事の中でも、成長を実感できた記憶はそんな場面であった、と感じています。
 
スポーツの世界は解りやすく、あからさまにそう見えるだけで、誰もが歩み続けている人生は、それぞれにそうなのかもしれませんね。
 
緊張や不安、逆境をあからさまに感じられる事ができる生活に感謝したい。
 
競技団体の一スタッフあるにせよ、未だ、スポーツ文化の中で活動させて頂いてる私ですが、その気持ちを忘れずに活動し、共有してゆければと考えています。
 
とあるレース後の写真。
 
タオルで顔を覆い動かない選手。
小刻みに肩を震わせているようにも見えました。
 
永く厳しい鍛錬の先にも望むような結果は無かった。
 
彼らが担ってきた責任、重圧は彼ら自身にしかわからない、隣に居ても全てを理解してあげられるほど彼らの努力は軽薄なものでは無いはずです。
 
だからこそ、立ち向かう価値がある現場なのだと考えています。
 
 
 
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