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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

MUGA第三号発刊

2011-10-14 06:34:59 | お知らせ
MUGA第三号発刊! 

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MUGA 第3号

「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ
 

◆目次

◇アート

・詩
『季節の詩』     rita

・小説
『きみの涙を恥じるなかれ』③   那智タケシ


◇自然科学

『潜態論入門』第3回   河野龍路


◇評論
これがそれだ(This is It !) ~ハーディングの実験とマイケルジャクソン

 高橋ヒロヤス


◇エッセイ
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『おはぎを頬ばり、空を見上げて』   長岡マチカ

目標は「勝つ」一つなんかでなく

2011-10-14 00:02:44 | レゴリーグ
試合や競技会、そういったものを前にするといつも思い出すことがある。昔見た(#)スティーブン・コビー氏のワークショップのビデオ。
サッカーゲームに負けたと落ち込んでいる孫娘チームとの出来事が紹介されていた。コビー氏はチームに向かってこう語りかける:

「勝つ」ことはいくつかの目標の中の一つ。チームワーク、フェアさ、改善するべき点に気がつく、相手チームへのケア、それまでの努力を発揮できたか、楽しむ、などなど他にも多くの目標がある。「勝つ」という目標は達成できなかったけれど他のほとんどの目標は達成できたじゃないか、それはすごいことだ。

そして孫娘チームの子ども達の目がまた輝き始める。


子ども達とそんな話し合いをした。レゴ競技会「予選」の目標を立ててみる。

予選通過(今のところ微妙ではありますが)、チームワーク、フェアさ、予選参加チームへのケア、努力の成果最大限発揮、今後の課題発見、とにもかくにも楽しもう、などなど。

さてさて、どれだけの目標を達成できるか、楽しみです。



(#)スティーブン・コビー(Stephen Covey):世界で最も大きな影響力を持つ経営コンサルタント(『エコノミスト』誌)とされる。彼の唱える「7つの習慣」、「8つ目の習慣」は、ビジネスだけでなく様々な面での整理に使えると感じてます。「成功するには?効率的な人々とは?」というような言葉には引いてしまう部分もあるのですが、学ぶべきことは大きいです。「効率性」からぱらぱらと落ちるものこそを抱きしめていきたいという気持ちを大切にしつつ。

この「7つの習慣」、こちらの公務員なども公費でワークショップ研修を受けることができたり、公立小学校のアジェンダにも使われたりと、かなり広い範囲で用いられています。

以下8つの習慣:1から3の「私的達成(private victory)」から、4から6までの「公的達成(public victory)」へ。

第1の習慣・主体性を発揮する (Habit 1 Be Proactive)
第2の習慣・目的を持って始める (Habit 2 Begin with the End in Mind)
第3の習慣・重要事項を優先する (Habit 3 Put First Things First)
第4の習慣・Win-Winを考える (Habit 4 Think Win/Win)
第5の習慣・理解してから理解される (Habit 5 Seek First to Understand, Then to Be Understood)
第6の習慣・相乗効果を発揮する (Habit 6 Synergize)
第7の習慣・刃を研ぐ (Habit 7 Sharpen the Saw)

8つ目の習慣は「内の声を見つける、そして他者がその人自身の内の声を見つけるようインスパイアーする "Find your voice and inspire others to find theirs".」というもの。

コビー氏には9人の子どもと38人の孫がいて、息子もこの「7つの習慣」に関する子供向けの本などを出しています。この子供向けの本『The 7 Habits Happy Kids』by Sean Coveyもいいです。

レゴ・リーグ、ふた開けてみていろいろ。

2011-10-14 00:01:49 | レゴリーグ
8月に結成したファースト・レゴ・リーグのチーム、週1回の集まりも今月から週2回に。

毎年違ったテーマのチャレンジが与えられるのだけれど、今年のテーマは「食の安全性」。食の流通をイメージした全世界共通15種類のミッションが与えられている。今年は去年の1万4千チームを40パーセント強上回るチームが参加しているらしい。

去年は小学校でチームが結成され、長男は放課後の学校での集まりに参加していたのだけれど、何をしているのか詳しいことは競技会当日まで私はほとんど知らないままだった。今年は毎週自宅のガレージで長男長女を含めた5人とコーチのチーム。その大変さ&楽しさを目の当たりに。

この15のミッションをこなせるようロボットをデザインし、プログラミングしていくのだけれど、そうそう簡単にはいかない。あそこからバクテリアを、あのトラックの荷台にのった作物をベースまで運んでくる、ロボットにこの太さ長さ角度のアームをつけて、この距離でこの角度でこの方角に曲がるようにプログラミングして、ああ、さっきはできたのに次はうまくいかない、何でだろう? そんな繰り返しを何度も何度も。競技会では2分半の間にどれだけのミッションをこなせるかをポイント制で競う。

4度アラスカ州大会を勝ち抜いた経験のあるコーチ曰く、「もし優勝したいならだいたい千時間くらいは必要なもの」。千時間・・・。多分このチーム100時間も集まれるかどうかだろう。個々人の自宅でのワークを合わせても150時間に届くかどうか。コーチはホームスクールのチームで毎日のように集まっていたという。「親がいかに熱心かがキー」とも。確かに子どもだけで15のミッションを2分半の間にこなせるロボットの組み立てプログラミングをこなすのはかなりハードだと実感。

それでもあの苦労してミッションを達成したときの喜びといったら。ガレージ中に響く大歓声、踊りだす子どもたち。まだ未成年の若いコーチも、子ども達と同じように絡み合ってはしゃぐ。この光景を見るたび、こうして集まれたことのありがたさをかみ締めている。

ロボット競技とともにプロジェクトの課題もある。各自のリサーチを持ち寄り話し合いを続けてきた結果、どうやらテーマは『アラスカ州における貝の安全性について』に落ち着きそう。藻から発せられた毒を蓄積した貝によって引き起こされる貝中毒(paralytic shellfish poisoning)、鯨をも殺してしまうほどの猛毒。毎年アラスカ州で被害が。「専門家との話し合い」、「公への働きかけ(public impact)」、「創造的な解決策提示」も課題に含まれている。今週から専門家へのコンタクト開始。サイエンティストに貝の安全性がその場で分かるサイエンスキットを作ることは可能かなど聞いてみようということに。どんな状態の貝が危険なのか(同じ種類でも場所によって安全であったり)を公に喚起する方法なども考案中。まとめあげたら、今度はそれをどう審査員に発表するかだ。多分「劇」ということになりそう。

このレゴ競技会、今年から「予選」がもうけられた。競技会へ参加するためにはまず予選通過する必要が! 知らなかった。(笑) 12月の予選に向けて、盛り上がるチーム。

ウォームミングアップ。


こちらでプログラミング(3台のコンピュータ!)、あちらでロボット組み立てコース確認。ちびっこうろうろ。


3つのミッション同時にこなす「はず」ロボット。

バイリンガルには届かずとも

2011-10-12 00:05:31 | 子育てノート
よしっ、バイリンガルに育てるぞ~、いやいや夫の母国語はスペイン語だからトライリンガルに! そう長男が生まれる前、そして赤ちゃんのときには思っていた、当たり前のことのように。

ところがふたを開けてみると、簡単ではなかった。結局今の子どもたちの状態はというと、日本語を理解はするけれど、口から出るのは英語中心。日本語の読み書きは何度も覚え何度も忘れを繰り返している。

海外でのバイリンガル教育が成功するかどうかは、日本語に接する機会をいかに増やすかにかかっているのだと思う。日本語メディア、日本語の本読み聞かせ、日本を訪ねる、日本語コミュニティで過ごすなど。「母親とは日本語のみで」というメソッドをよく聞くけれど、日本語に接する機会がほとんどない状態で、「母親とは日本語のみ」としてもかなり無理があると体験を通して学んだ。

今の家の状況は日本語に接する機会が圧倒的に少ない。ネットで何か調べ物する以外メディアはほとんど使わない生活(DVDを週に一度見るか見ないかテレビは繋げてない)、日本語の本だけは実家から送ってもらい読んできたけれど、残念ながら日本には諸事情から10年近く帰っていない、日本語コミュニティも学校に通う上の子達にとっては年に1.2度の行事参加のみ。あらゆる情報に英語でのみ接するという状況。この環境で「母親とは日本語のみで」とするのなら、私に話すことは「あれとって、これが食べたい」というような日常的なことのみになるだろう。子どもたちがその日体験し読み聞きし学んだことは全て英語で入っている。「こんなことが書いてあった!こんなことを知った!」と興奮して話す子どもたちを前に、「それらを共有しより深めたり調べたり」ということを、「それらを日本語で表す練習」より優先するようになっていった。限られた時間や体力や経済力の中での選択。

下の子たちも少しずつ大きくなり、最近になって、私自身もう一度子ども達の日本語・スペイン語教育に向き合ってみようかという気持ちになっている。バイリンガルやバイリテラシーではなく、第二第三外国語として。日本語は一応私自身は話し続けているので今でも理解はしているけれど、話し、簡単な読み書きくらいはできるように。スペイン語も親戚とコミュニケーションがとれるほどに。

何かの科学雑誌で大脳の一部にウェルニッケル野(上側頭回の後部)というのがあり、ここで言語中枢神経が開発されるのだけれど、その中枢は異なる言語によって区分けされていると読んだことがある。そしてその区分けが開発されるには、通常その言語を母国語とする人々が話すスピードで1000時間ほど聞きこむ必要があると、その中枢の情報蓄積を元に、話す、読む、書くという順番で発達していくと。子どもたちを見ていて理解はしても話さない、というのはこういう言語習得のメカニズムがあったのか、と納得したのを覚えている。

上2人、夏からスペイン語を今月から日本語を夫と私の友人たちから習い始めた。楽しんでいるようだ。私自身も英語に引っ張られつつある話し言葉を見直し(私自身が両言語とも弱い「ダブル・リミテッド」状態になりつつあったり・・・。笑)。家族でスペイン語だけ話す時間、日本語だけ話す時間を週に一度一時間ほどずつでも取り入れようと夫と話し合っている。

National Clearinghouse for bilingual Education の“If your child learns in two language”によると、日常会話習得にはだいたい1~2年、学習言語習得に関しては5~7年ほど時間がかかるという。これは海外の異なる言語を話す地域からこちらの学校に入ってきた子どもを対象にしていて、違う言語を母国語としつつ英語社会で英語を学んでいくという状況で、ということなのだけれど。その言語に囲まれて暮らしたとしても学習言語取得にこれほどかかるというのに驚いた。

道のりは遠そうだけれど、英語で築かれた言語思考体系の基礎の上に、外国語として日本語・スペイン語がどれほどのっていくか、楽しみにしている。

ジョブズ氏の言葉

2011-10-12 00:02:17 | 引用
スティーブ・ジョブズ氏の2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチを子どもたちと聞いた。

「あなたの時間は限られている。だから誰か他の人の人生を生きることで無駄にするな。ドグマにとらわれるな。それは他の人々の考えの結果と共に生きていることでしかない。他の人々の意見という雑音にあなた自身の内なる声を押し流させるな。最も重要なのはあなたがあなた自身の心と直感に従う勇気を持つことだ。それらはあなたが本当になりたいものを既に知っている。ほかの事は全て二次的なもの。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.」

「自分が死ぬということを思い出すこと、それが私が今まで大きな選択をするときに助けてくれた最も重要なツールだ。なぜなら、全ての外的な期待、プライド、恐れ、恥、失敗、は死の前に崩れ去る。そして本当に大切なものだけが残される。死ぬのだということを思い出すことが、何かを失うかもしれないという思考の罠にはまることを避ける私の知る最もよい方法だ。あなたは既に何も持っていない裸だ。あなたの心に従わない理由など何もない。
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything - all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.」

「決して安住するな!Never settle!」

彼は大学をドロップアウトして、インドへ渡り仏教徒として戻っきたこともあるという。70年代、様々なカウンターカルチャーも体験し。これらの経験も彼の成し遂げたことに大きく関わっているという。「He later said that people around him who did not share his countercultural roots could not fully relate to his thinking.」(Wikipedia)

12歳、10歳の上2人、それなりに思うこと感じることがあったよう。

7歳次女、最後の言葉がどうしても解せなかったよう。

「ハングリーであれ、馬鹿であれ! Stay hungry! Stay foolilsh!」

「えっ、フーリッシュ? フーリッシュであれ?」 何度も繰り返していた。(笑)


彼の言葉に触れ、皆で内の炎が燃え上がった夜。

あの兄と妹の姿を

2011-10-10 00:03:43 | 子育てノート
アラスカに移住したての頃、ワンベッドルームの小さなアパートに暮らしていた。低所得者専用のアパートで、周りには世界各地からの移民がひしめき合っていた。そのアパートのあるストリートの名前が「ハリウッド・ドライブ」。(笑) 「私たちはハリウッドに住んでいるのよね」と近所の人々と互いにアクセントの強い英語で言い合っては笑っていた。

妊娠7ヶ月で移住して、初めてしたことがこのアパートの地下にあるコインランドリーに洗濯物の山を運ぶための大きなバッグを縫うこと。紫色に緑色のポケット、という今思うととんでもない色合いのそのバックを担いで階段を上り下りするのが日課だった。

そんな生活の中、毎日のように6歳と1歳半くらいの兄と妹を見かけた。東欧からの移民という。お兄ちゃんはいつも妹を抱っこし、時にはストローラーに乗せてアパートの周りを散歩したり。妹をのぞき込み、何度も話しかけながら。妹をあやすお兄ちゃんの仕草や笑顔、二人の寄り添う姿。

今こうして子供を生み、兄姉妹弟が絡みあって暮らす生活。あの子だけこんないい思いをして、私だけこんなに損をしてる、というようないざこざもしょっちゅう。そんなとき、はっとあの兄と妹の姿を思い出すことがある。毎日毎日妹を何時間も抱っこし散歩に連れていってやるあの慎ましやかな笑顔。毎日習い事に宿題にと忙しく、周りは物に溢れ、したいことをさせてもらい(以前よりは)、ふと、私達はあそこに何かを置き忘れてきたのかもしれない、と思うことがある。

あの兄と妹の姿を大切に内に刻んでおきたい。彼らの姿が我に返らせてくれる。

あの「ハリウッド・ドライブ」の暮らしを原点として、今に感謝しつつ。

「安全基地」を内に

2011-10-10 00:01:57 | 子育てノート
「どんなに綿密に計画したとしても不確定なことというのはある。脳が健康かどうかはこの不確定さを楽しめるかどうかで分かる。不確定さを不安と思う日本人が増えている。日本の閉塞状況がよく表されている。不確定さを楽しむためには、安全基地が必要。安全基地を社会的肩書きや地位とする人々が多いのが問題。そうではなく安全基地は自身が蓄積してきた知識、体験、技術であるべきだ」というようなことを脳科学者の茂木健一郎が少し前につぶやいていた(twitter)。

不確定さの海に飛び込み、泳ぎ回ることを楽しむためには、安全基地(security)が必要というのにとても納得。既成の枠組みを飛び出し不確定さを泳ぎ回ることにより、改革も起こり創造も生まれる。

そして「個々人の知識、体験、技術」さえも超えた最大最強の安全基地こそが、「内の温もり、個々人の奥にある個を超えた場」なのかもしれない。

茂木氏はそんな「危うい」言い方はしないだろうけれど。(笑)

「内の温もり」は「個々の絶対的な『体験』」とも言ってしまえる。

そしてこの「安全基地(security)」、「内の温もり」を個々の内に育むこと、それが子育ての要なのかもしれない、そう感じている。

ワインどて煮&マンゴープリン!

2011-10-09 23:59:42 | 
ワインた~ぷり使って、豚肉、大根、こんにゃくを煮込む。

マンゴーはプロセッサーでペースト状にし、


手前ではマンゴー、後ろでは着々と煮込みが進む。


見守るコスチューム集団。


外で冷やす。もう外で「冷やせる」気温!


どて煮! ワインと味噌、たまらない。


ぷりんぷりんなマンゴープリン! マンゴーのつぶつぶも。


ほっと一息。


(よかったらこちらイマココ煮もどうぞ。複数人で続けるブログです。カイで書いてます、)

治ってほっ

2011-10-09 23:58:32 | 子育てノート
一昨日夜中2歳次男突然高熱。水を何度か飲んではふ~ふ~と苦しそうに。

明け方からようやくすやすや、私もようやくすやすや。週末でよかった・・・。

一週間前ほどに垂らしていた鼻水も治り、眠る直前まで元気に遊びまわっていたのに。

朝起きるとけろり、その後も何事もなかったよう。

子供の急な変化には驚かされる。身体の中に浸入した何かに反応していたのだろう、こうして免疫もできていくのだろう。

早く治ってほっ。

「ギフテッド教育」に思う

2011-10-07 00:11:49 | 「ギフテッド」教育について
こちらには「ギフテッド教育」といわれるプログラムがある。「ギフテッド」は一般的に「先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。その人物における高能力の傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つことを指す」(ウキペディア)。

全米約38州に何らかの「ギフテッド」プログラムがあるといわれている。通常の学級では必要が満たされない生徒への救済措置として、障害のある生徒と同じ「特殊学級」という位置づけで公立学校のシステムに組み込まれている。

アラスカには二種類の「ギフテッド」プログラムがある。「イグナイト(ignite)」と呼ばれ、通常の学校に通う「ギフテッド」と見なされた生徒を週一回集め「ギフテッド教育」を行うというもの。何校かにある。もう一つが「ハイリー・ギフテッド(highly gifted)」と呼ばれる週5日終日のプログラム。一校(近所の生徒が通う通常の学級が3分の2、プログラムには全校の3分の1の生徒)。

「ギフテッド」の選別には学力テストとIQテストが用いられる。それらのテストで「ギフテッド」を見つけ出すことができるかどうかについては長い間議論されているけれど、結局今のところテストを拠り所にするしかない状況と言われている。アラスカの場合、「イグナイト」が認知テスト・学力テストで96パーセントタイル以上、「ハイリー・ギフティッド」が学力テスト98パーセントタイル以上、認知テスト・IQテストで99パーセントタイル以上という基準となっている。

上3人がこの「ハイリー・ギフテッド」プログラムに通っている。

この6年間ほど通ってきた中で様々思うことがある。私自身は上の「ギフテッド」の定義にある「先天的」「生まれつき」という言葉をあまり信じていない。そして多くの子が「ギフテッド」と見なされるポテンシャルを持っていると思う。家の場合は4歳くらいから文字や数などの抽象的概念を学び始めたのだけれど、子供たちの「やる気」「楽しみ」を中心に据えながらもいくつかの教材も試してきた。この4歳以降のやりとりがなければ、5~6歳で受けたテストが「ギフテッド」の基準を満たすことなどなかっただろうと確信している。周りを見ても同じような状況だと感じている。ふってわいたような「先天的ギフテッド」なんて多分このプログラムに通う約150人(年長から6年まで)中数人もいるかどうかなのじゃないだろうか、ひょっとしたらいないかも。これはあくまでも個人的な感覚なのだけれど。

じゃあ「ギフテッド」を「作り出した」のじゃないか、となるわけだけれど、子供たちの興味に答えないことを選択することが、より自然で「先天的」なのだろうか。小さな子の「知りたい、できるようになりたい」欲求はとてつもない強いものだと私は感じている、そしてそれを伸ばす方向へと手伝うのが親の役割なのだと。またその「とてつものない欲求」がギフテッドの特徴ともされるのだけれど、そんな欲求も、周りの接し方で伸びもすれば萎えもする。ここからが「先天的」というような境界を見つけ出すことは不可能であろうし、そしてそんなことに果たしてどんな意味があるのだろう。

プログラムの内容については、詰め込みでなく掘り下げ考えることを重視し、その子のレベルに合わせ学年を飛び越えて学ぶことができる。「退屈させない」ためにチャレンジ満載、方式を教えるよりも方式を考え出すような教え方、ストレートに答えを教えるよりも「なぞなぞ」のような形式。低学年から解剖したり(イカやムースの目や)、様々な分野のかなり専門的な用語も学び、福祉関係のボランティアが授業に取り入れられていたり、と毎日濃い授業内容。進む速度も速く「だいたい通常の学校が3日かけてすることを1日で」と担任の先生が言っていた。教師は皆「ギフテッド教育」専門の資格をもっている。

クラスは少人数、感情面社会性をケアする専門家も配属されている。

夫と私がこのプログラムを選んだ大きな理由が、このカリキュラムの内容そして待遇のよさだった。生徒一人一人がより信頼され尊重されている(先生によって確かに色々あるけれど)。

私が強く思っているのは、子供は「そう扱われることでそうなっていく」ということ。以前このブログに書いたことがあったけれど、イギリスで行われた実験に、学期始めに最下位と最高位のクラスを教師に入れ換えて教えたところ、学期末には最下位と最高位が入れ換わっていたというのがある。一人一人が尊重され「ギフテッド」(与えられたgift)として扱われるのなら、子どもたちはまさしく「ギフテッド」になっていくのじゃないだろうか。

昨夜こんな記事(10月3日のもの)を見つけた。「ギフテッド」という境界を設けることへの批判、そしてDuke大学での実験が紹介されている。10000人の生徒を対象に「ギフテッド」とされる生徒を教えるメソッドを使ったところ、しばらくして「ギフテッド」と見なされる基準に20パーセントの生徒が達したと、通常のメソッドのクラスでは10パーセントだったのに対し。

一人一人が「ギフト」として扱われること、それは教育の根幹にあるべきなのじゃないだろうか。そして「一律のテスト」なんかで掬い上げられた一部だけを「ギフテッド」と呼ぶことのナンセンス。

私自身「ギフテッド」という枠組みに疑問を持ちながらも、そのカリキュラム内容や待遇ゆえに、待ったなしで成長し続ける子供たちをひとまずは通わせている状態だ。子供たちも今のところ楽しそうに通っている。プログラムは高校まで続いており、その後の進路は様々と聞く。大学へ行かない生徒もいる。

一人一人誰もが持っている「ギフト」を最大限伸ばしていくには? 自身に問い続けていきたい。