靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

水羊羹!

2011-10-24 00:38:00 | 
賑わう台所。


友人が作りながら調べてくれた、「ゼラチン」と「寒天」と「アガー(agar agar)」の違い。

ゼラチン: 牛や豚の骨や皮に含まれるコラーゲン。弾力があり口中で溶ける。常温で溶ける。
寒天: テングサやオゴノリなどの海藻。弾力があまりない。常温で溶けない。
アガー:スギノリやツノマタなどの海藻。食感はゼラチンと寒天の間といったところ。常温で溶けず冷凍保存可。

この日は、

アガー!

(タイ語で飾られた「テレホンブランド」なるタイ産)

で水羊羹を作ってみた。アガーはこちらのアジア食材店で購入可能。

水に溶かし沸騰させ型に。

そして外へ。


出来上がり!


おいし~い。寒天で作ったより柔らかく感じる。


子ども達は、

友人読み聞かせ、


ピアノ演奏。

「恐れ」から「しない」より

2011-10-21 23:44:11 | 子育てノート
「こうしないとお化けがきて連れてかれちゃうよ~」「こうしないと怖いおじさんがやって来るよ~」そんな言葉が子ども時代むちゃくちゃ恐かったのを覚えている。

「恐れ」から何か物事を「しない」ようにするというより、「楽しい嬉しい気持ちよい」から何か物事を「する」という方向で導くようにしていくといいように感じている。「こうした方が楽しい嬉しい気持ちよい」という感覚を何度も体験させてやる。そうした「嬉しさ(joy)」をしっかり体験するほど、そうしなかったときの状態は「心地悪さ」として感じられるようになっていく、そうしなかった結果を恐ろしく飾りたてる必要もなく。玩具をシェアして皆で遊ぶ楽しさ、友達が笑顔になったときの嬉しさ、壊すより作ることの楽しさ、物を大切にしたときの温もり、手伝いの楽しさ。

少し大きくなったら、実際の結果を体験させるようにしていく。朝遅くまで寝ていたら慌しくゆったりとできずこんな焦った気持ちになりおまけに遅刻する、少しずつ毎日ピアノ練習しないとレッスン近くに必死で焦って音楽を楽しむどころでない、部屋を片付けないとぐちゃぐちゃとして気持ちよくない。ゆったりできる朝、音楽を楽しめる状態、すっきりとした部屋の気持ちよさ、そういった状態気持ちとのコントラストを体験しながら、自身で選択していけるように。

と理想はそうなのですが、限られた時間に詰まった予定、なかなか難しい場面もあり。「こうしないとこんな恐ろしい目にあうよ~」の即効的威力その便利さにまだまだ頼ることも。

「あのさ、これだけ言ってもしないなら、もうママ怒るしかないから」

静かな声であるほどより恐ろしく・・・。(笑)

「理想」を進む方向として掲げつつ。一歩一歩。

体罰がいいとかいけないとか

2011-10-21 23:43:16 | 子育てノート
メキシコ人の友人Yはいつも腰に木べらを携えていた。

腕白な息子君が何か悪さをすると、木べらを掲げ怒鳴りながら手首を叩く。隣で情けない顔をして息をひそめ固まる私。(笑) 

その息子君達、すくすくと元気で明るい母親思いの好青年に育っている。

体罰がいいとかいけないとか、というより、多分それをする親の気持ちがどこにあるかなのだろう。突き抜けた無条件の愛情のようなものがあるかどうか。

その友人から学んだこと。

「胎内記憶」

2011-10-20 00:32:07 | 子育てノート
胎児は30週くらいから記憶力を持つことが分かっている。オランダの実験で、100人の妊婦に低音(低音であるほど羊水を伝わりやすいらしい)の刺激を与えたところ、初めは驚いた反応を示した胎児も何度目かには驚かなくなったという。一ヶ月間ほどの短期間記憶(short-term memory)から始まり、多分もっと長く覚えていられるのだろうとのこと。また30週以前の胎児はこの低音には反応を示さなかったけれど、刺激を変えることで記憶力があることが分かってくるのかもしれない、と。妊婦が頻繁に見ていたテレビの主題歌を記憶している反応を示したり、妊婦のおなかに向かって読み聞かせを続けた父親の声を覚えていると思われるような新生児もいるという。(Scientific American 2010, Live Science 2009)人間の脳の仕組みに似ているとされるニホンザルの実験でも、胎内にいるときから母親の声を記憶し始めていると推測されるようなものもある。(『0歳児が言葉を獲得するときー行動学からのアプローチ』正高信男)

確かに新生児でも母親の声を聞き分けていると自身の体験を通して感じた。母親の声を聞くと顔を向けようとしたり落ち着いたり。母親の声の記憶が胎内にいたときから始まっているかどうかというのは分からなかったけれど。

言葉を話し質問の内容もよく分かるようになってくる3歳頃、子ども達に聞いてみたことがある。「ママのお腹の中にいたとき何してた?」皆スラスラと答えた。本当に覚えていてそう言っているのか想像の世界から話しているのかは定ではなかったけれど。「泳いでた」「寝てた」「食べてた」、「猿の上に座ってたの」というわけの分からないものもあった。

昨夜寝る前、リラックスしてその日あった出来事などを皆で話しているとき、ふと2歳の次男に聞いてみようかという話になった。皆で説明するも、次男さっぱり質問の意味がのみ込めないよう。「あ?ママのお腹?中に?赤ちゃん?」ひとつひとつの単語の意味がうまく繋がらない。「ママのお腹ポヨポヨ」と最後は満足げに私にもたれて眠ろうとする。(笑) 

他の子達が話し始める。「ママのお腹にいたときのこと覚えている気がするんだよね」

「内戦があってね、カノンの砲弾が飛び交う中を逃げ回ってた」
「山の中で花を摘んでいて、墓石が見えた」
「大きな部屋の壁中に絵を描いてた」

12歳、10歳、7歳の上3人・・・。4番目はポワンとした顔をして聞いている。一見普通にふ~んと聞きながらも、内心「あなたたち一体何を言い出すんだい」とかなり激しく驚いていた私。(笑)

寝る前のしっとりした時間、表情からその場で作っているようにも見えず。多分どこかで見た映像とごっちゃになっているのじゃないかとも思うけれど。何だか微妙に今の3人の雰囲気と重なるようでもあり。

皆で不思議な気持ちになった夜。

日々立ち上がる力

2011-10-20 00:29:28 | 出来事や雑感や (その他)
昨日午後三女は週1のプレスクール3時間。

次男と2人の時なんて今まで数えるほどしかなかった。というか他の子が学校へ行き1番下とだけ過ごすというのは、12年間で初めてのようなもの(三女が生まれる3日前に長女が学校へ行き始め次女と2人で3日だけ過ごしたのみ)!

いつも三女と絡み合って遊んでいる次男、その相手を全部私がするんだなと覚悟していたものの、結構次男との2人を楽しんでいる自分がいる。食材の買出しを済ませ次の用事へと向かう途中次男カーシートで眠り始める。駐車場に車を停める。この用事は何とか明日にまわそうか。1時間もすればまた夜眠る直前までノンストップで予定が詰まっている。ぽっかりと空いたような静かな時。

ヴィジョンを書き出し整理。今年中、来年、その後。

これなら何とかできそうという目標から、まだ達していないその目標の先まで。今は夢のようにも思えることだけれど。

ヴィジョンが日々立ち上がる力をくれる。

とても貴い時だった。

「報酬がもらえる!」

2011-10-18 00:59:06 | 子育てノート
「よいことをすれば報酬がもらえる!」 こちらでは子ども時代からそんな報酬制で物事がなりたっていると感じることが多い。

学校でもいい点をとったりいい行いをしたらポイントがもらえ、いくつかポイントを集めたらプレゼントやピザパーティーとなったり、スーパーの館内放送でも「行儀よくカートに座って下さい、いい行いには大抵報酬が待ってますよ」というのが流れたり、「これだけ聖書の言葉を覚えたらこんな賞品がもらえます」と最新式のゲーム機器なんかを並べている教会もある。

日本で育った私には「報酬のため」ということにどうしても否定的な気持ちをもってしまうのだけれど、こちらでは「よいことをすれば必ず報酬がある」という価値観を、むしろ積極的に子ども達に教えていこうという姿勢が行き渡っているように感じている。

だからといって、一般的日常的なこの徹底した報酬制に相対するようにボランティアなどの「無償の奉仕」もこちらの社会ではとても盛ん。それが単に物質的な報酬から「天国へいくため」、「自分が救われるため」という目に見えない報酬に変わっただけということでもないようにも思う。

価値観文化異なる多様な社会をまとめあげるのに、「報酬」が手っ取り早いということがあるのだろう、そして「無償の奉仕」が盛んなことでうまくバランスが取られているという面もあるのかもしれない。

なかなかこのあからさまな「報酬のため」には馴染めないけれど、「ポーカーフェースを装い腹の底で報酬に期待」よりはよほど分かり易くはある。

「報酬のため」を徹底的に知っているからこそ、「無償」ということがどういうことなのか知るということもできるのかもしれないな、などどとも思いつつ。

子供のお金やりくり

2011-10-18 00:58:57 | 出来事や雑感や (子育て)
小学校で行われたアートクラフト・フェアへ。次女のクラスのフィールド・トリップ資金集めのために出されたブースの手伝いに。

ジムとランチルームにところ狭しとブースが並ぶ。クラスごとの資金集めのブースもあれば、個々人が作ったアートクラフトを売るブースも。

プロフェッショナルなアーティストもいれば、自分の作品を売る子ども達もいる。ガムテープで作った財布、植物の写真をポストカードにしたもの、ヘアバンドや髪飾り、スカーフ、プロも顔負けの作品に驚く。

知り合いの子どもは、釜(kiln)を買ってもらい、その釜で作ったガラス細工を売ることで親に釜購入代金を返済していると言っていた。キラキラとカラフルなガラス細工作品の並ぶブースにはたくさんの人だかり。「こういう色でこういう形で」と注文も受け付けていた。

子ども時代から「何かを売ってお金を稼ぐ」という光景をこちらではよく見かける。夏になると道路わきでレモネードを売っていたり、ガレージセールでクッキーを売ってみたり。少し大きくなれば、労働力を売って近所の芝刈りや洗車のアルバイトを受け付けたり、ベビーシッターも13歳から法律的に可能(CPRのトレーニング必須)。

スポーツチームや学校の資金集めも盛ん。修学旅行もまずは資金集めから、ということもよく聞く。こういった場合も大人だけでなく子ども達が中心となって資金を稼ぐ。

子ども時代から現実的なお金のやり取りを通し、お金を稼ぐことの楽しさ&大変さやりくりの仕方を体験していく。いいことだと思っている。


ブースが並ぶ。


フェイスペインティングで資金稼ぎする高校生。長男初フェイスペインティング。


豆の入った袋を投げ穴に入ったら賞品!というブースの手伝い。


父兄が持ち寄った賞品のカップケーキ。目玉や芋虫がのって、ハロウィン一色!


今日の夢

2011-10-18 00:55:36 | 
遠くに光が見える。光に向かって進んでいく。光に近づくほど息苦しくなっていく。それでもまるでベルトコンベアに乗っているかのように、ゆっくりと身体は光に向かって進んでいく。

苦し~

自分の外側からポロポロと剥がれ落ちていく。剥がれ落ちたもののなかにはてっきり内側にあると思っていて自分がとても大切にしていたものもある。とまどいながらも少しずつ軽く楽になっていく。残ったものを見つめ、ありがたいという気持ちが溢れる。


そんな自分の姿が映った画面を見ている自分。画面の下に文字が流れる。

「持っていけるものと持っていけないものがある。日々光に照らし合わせ整理整頓。」

手の中のリモートコントロールのスイッチを押すと目の前の画面が消える。背伸びをしてベッドの温もりに。「残ったもの」を抱きしめつつ。

星空の下に建つ小屋

2011-10-16 01:04:07 | 出来事や雑感や (行事)
この時期ユダヤ・コミュニティーを通り過ぎると、家々の前に小さな小屋のようなものが建っているのに気がつく。「スコット(Sukkot)」という行事を祝うため。

「スコット」はヘブライ語でこの小さな小屋を指す「スッカ」の複数形。「スッカ」はエジプトを脱出し奴隷から解放された後40年間砂漠をさまよった時の住居「幕屋(tabernacle)」を意味する。

ユダヤの人々は7日間この小屋の中で食事し眠る。「スッカ」の天井は葉や枝で覆われていて、空が見えるようになっている。便利な生活を離れ質素な小屋で星を眺めながら眠ることにより、砂漠でさまよう生活でさえいかに守られていたか、普段当たり前になっている便利な暮らしも「旅の途中の仮の住まい」でしかない、ということを思い出す時とされている。

キャンプをして星空を眺めながらテントに眠るとき、同じようなことを思い出すことがある。今の当たり前としている生活を全く別の視点から眺めている感覚。

この「スコット」の間、ユダヤの人々は以下の「4つのもの」を「6方角(東西南北上下)」に振るという祈りを繰り返す。
1.Lulav (לולב) –ナツメヤシの葉付き枝
2.Hadass (הדס) –キンバイカ(myrtle)の葉付き枝
3.Aravah (ערבה) – ヤナギの葉付き枝
4.Etrog (אתרוג) – シトロンの実

この「4つのもの」は「4種の人々」「身体の4つの部位」を象徴しているとされる。

1.lulavー味はあるけれど匂いがない。トラ(ユダヤの聖典、広義には人生についての知恵が記された書全てがトラ)を学ぶけれど良い行いのない人々。背骨。
2.hadassーいい匂いがあるけれど味がない。良い行いがあるけれどトラを学ばない人々。目。
3.aravah ー味も匂いもない。トラも学ばず良い行いもない人々。口。
4.etrog ーいい味もいい匂いもある。トラを学び良い行いのある人々。心臓。

ユダヤではこの「4種の人々」が世界の成り立ちに不可欠だとする。身体の成り立ちにこの4つが必要なように。この「4種の人々」の多様性が世界を成り立たせるのだと。


またキャンプへいきたい、大自然の中で星空を眺めながら眠り、そんなことを思いつつ。

プレスクール初日

2011-10-16 01:03:04 | 出来事や雑感や (子育て)
友人の開いたプレスクール、三女がお世話になることに。

自然の素材の玩具に囲まれたウォルドルフ・スタイル。


お人形がのっぺらぼうなのは、子ども達が様々な表情を想像できるように、と聞いたことがある。


散歩。


お絵かきして、歌うたって、遊んで食べて、三女、とても気に入ったよう。来週のプレスクールの日、今から楽しみにしてます。