靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「報酬がもらえる!」

2011-10-18 00:59:06 | 子育てノート
「よいことをすれば報酬がもらえる!」 こちらでは子ども時代からそんな報酬制で物事がなりたっていると感じることが多い。

学校でもいい点をとったりいい行いをしたらポイントがもらえ、いくつかポイントを集めたらプレゼントやピザパーティーとなったり、スーパーの館内放送でも「行儀よくカートに座って下さい、いい行いには大抵報酬が待ってますよ」というのが流れたり、「これだけ聖書の言葉を覚えたらこんな賞品がもらえます」と最新式のゲーム機器なんかを並べている教会もある。

日本で育った私には「報酬のため」ということにどうしても否定的な気持ちをもってしまうのだけれど、こちらでは「よいことをすれば必ず報酬がある」という価値観を、むしろ積極的に子ども達に教えていこうという姿勢が行き渡っているように感じている。

だからといって、一般的日常的なこの徹底した報酬制に相対するようにボランティアなどの「無償の奉仕」もこちらの社会ではとても盛ん。それが単に物質的な報酬から「天国へいくため」、「自分が救われるため」という目に見えない報酬に変わっただけということでもないようにも思う。

価値観文化異なる多様な社会をまとめあげるのに、「報酬」が手っ取り早いということがあるのだろう、そして「無償の奉仕」が盛んなことでうまくバランスが取られているという面もあるのかもしれない。

なかなかこのあからさまな「報酬のため」には馴染めないけれど、「ポーカーフェースを装い腹の底で報酬に期待」よりはよほど分かり易くはある。

「報酬のため」を徹底的に知っているからこそ、「無償」ということがどういうことなのか知るということもできるのかもしれないな、などどとも思いつつ。

子供のお金やりくり

2011-10-18 00:58:57 | 出来事や雑感や (子育て)
小学校で行われたアートクラフト・フェアへ。次女のクラスのフィールド・トリップ資金集めのために出されたブースの手伝いに。

ジムとランチルームにところ狭しとブースが並ぶ。クラスごとの資金集めのブースもあれば、個々人が作ったアートクラフトを売るブースも。

プロフェッショナルなアーティストもいれば、自分の作品を売る子ども達もいる。ガムテープで作った財布、植物の写真をポストカードにしたもの、ヘアバンドや髪飾り、スカーフ、プロも顔負けの作品に驚く。

知り合いの子どもは、釜(kiln)を買ってもらい、その釜で作ったガラス細工を売ることで親に釜購入代金を返済していると言っていた。キラキラとカラフルなガラス細工作品の並ぶブースにはたくさんの人だかり。「こういう色でこういう形で」と注文も受け付けていた。

子ども時代から「何かを売ってお金を稼ぐ」という光景をこちらではよく見かける。夏になると道路わきでレモネードを売っていたり、ガレージセールでクッキーを売ってみたり。少し大きくなれば、労働力を売って近所の芝刈りや洗車のアルバイトを受け付けたり、ベビーシッターも13歳から法律的に可能(CPRのトレーニング必須)。

スポーツチームや学校の資金集めも盛ん。修学旅行もまずは資金集めから、ということもよく聞く。こういった場合も大人だけでなく子ども達が中心となって資金を稼ぐ。

子ども時代から現実的なお金のやり取りを通し、お金を稼ぐことの楽しさ&大変さやりくりの仕方を体験していく。いいことだと思っている。


ブースが並ぶ。


フェイスペインティングで資金稼ぎする高校生。長男初フェイスペインティング。


豆の入った袋を投げ穴に入ったら賞品!というブースの手伝い。


父兄が持ち寄った賞品のカップケーキ。目玉や芋虫がのって、ハロウィン一色!


今日の夢

2011-10-18 00:55:36 | 
遠くに光が見える。光に向かって進んでいく。光に近づくほど息苦しくなっていく。それでもまるでベルトコンベアに乗っているかのように、ゆっくりと身体は光に向かって進んでいく。

苦し~

自分の外側からポロポロと剥がれ落ちていく。剥がれ落ちたもののなかにはてっきり内側にあると思っていて自分がとても大切にしていたものもある。とまどいながらも少しずつ軽く楽になっていく。残ったものを見つめ、ありがたいという気持ちが溢れる。


そんな自分の姿が映った画面を見ている自分。画面の下に文字が流れる。

「持っていけるものと持っていけないものがある。日々光に照らし合わせ整理整頓。」

手の中のリモートコントロールのスイッチを押すと目の前の画面が消える。背伸びをしてベッドの温もりに。「残ったもの」を抱きしめつつ。