よしっ、バイリンガルに育てるぞ~、いやいや夫の母国語はスペイン語だからトライリンガルに! そう長男が生まれる前、そして赤ちゃんのときには思っていた、当たり前のことのように。
ところがふたを開けてみると、簡単ではなかった。結局今の子どもたちの状態はというと、日本語を理解はするけれど、口から出るのは英語中心。日本語の読み書きは何度も覚え何度も忘れを繰り返している。
海外でのバイリンガル教育が成功するかどうかは、日本語に接する機会をいかに増やすかにかかっているのだと思う。日本語メディア、日本語の本読み聞かせ、日本を訪ねる、日本語コミュニティで過ごすなど。「母親とは日本語のみで」というメソッドをよく聞くけれど、日本語に接する機会がほとんどない状態で、「母親とは日本語のみ」としてもかなり無理があると体験を通して学んだ。
今の家の状況は日本語に接する機会が圧倒的に少ない。ネットで何か調べ物する以外メディアはほとんど使わない生活(DVDを週に一度見るか見ないかテレビは繋げてない)、日本語の本だけは実家から送ってもらい読んできたけれど、残念ながら日本には諸事情から10年近く帰っていない、日本語コミュニティも学校に通う上の子達にとっては年に1.2度の行事参加のみ。あらゆる情報に英語でのみ接するという状況。この環境で「母親とは日本語のみで」とするのなら、私に話すことは「あれとって、これが食べたい」というような日常的なことのみになるだろう。子どもたちがその日体験し読み聞きし学んだことは全て英語で入っている。「こんなことが書いてあった!こんなことを知った!」と興奮して話す子どもたちを前に、「それらを共有しより深めたり調べたり」ということを、「それらを日本語で表す練習」より優先するようになっていった。限られた時間や体力や経済力の中での選択。
下の子たちも少しずつ大きくなり、最近になって、私自身もう一度子ども達の日本語・スペイン語教育に向き合ってみようかという気持ちになっている。バイリンガルやバイリテラシーではなく、第二第三外国語として。日本語は一応私自身は話し続けているので今でも理解はしているけれど、話し、簡単な読み書きくらいはできるように。スペイン語も親戚とコミュニケーションがとれるほどに。
何かの科学雑誌で大脳の一部にウェルニッケル野(上側頭回の後部)というのがあり、ここで言語中枢神経が開発されるのだけれど、その中枢は異なる言語によって区分けされていると読んだことがある。そしてその区分けが開発されるには、通常その言語を母国語とする人々が話すスピードで1000時間ほど聞きこむ必要があると、その中枢の情報蓄積を元に、話す、読む、書くという順番で発達していくと。子どもたちを見ていて理解はしても話さない、というのはこういう言語習得のメカニズムがあったのか、と納得したのを覚えている。
上2人、夏からスペイン語を今月から日本語を夫と私の友人たちから習い始めた。楽しんでいるようだ。私自身も英語に引っ張られつつある話し言葉を見直し(私自身が両言語とも弱い「ダブル・リミテッド」状態になりつつあったり・・・。笑)。家族でスペイン語だけ話す時間、日本語だけ話す時間を週に一度一時間ほどずつでも取り入れようと夫と話し合っている。
National Clearinghouse for bilingual Education の“If your child learns in two language”によると、日常会話習得にはだいたい1~2年、学習言語習得に関しては5~7年ほど時間がかかるという。これは海外の異なる言語を話す地域からこちらの学校に入ってきた子どもを対象にしていて、違う言語を母国語としつつ英語社会で英語を学んでいくという状況で、ということなのだけれど。その言語に囲まれて暮らしたとしても学習言語取得にこれほどかかるというのに驚いた。
道のりは遠そうだけれど、英語で築かれた言語思考体系の基礎の上に、外国語として日本語・スペイン語がどれほどのっていくか、楽しみにしている。
ところがふたを開けてみると、簡単ではなかった。結局今の子どもたちの状態はというと、日本語を理解はするけれど、口から出るのは英語中心。日本語の読み書きは何度も覚え何度も忘れを繰り返している。
海外でのバイリンガル教育が成功するかどうかは、日本語に接する機会をいかに増やすかにかかっているのだと思う。日本語メディア、日本語の本読み聞かせ、日本を訪ねる、日本語コミュニティで過ごすなど。「母親とは日本語のみで」というメソッドをよく聞くけれど、日本語に接する機会がほとんどない状態で、「母親とは日本語のみ」としてもかなり無理があると体験を通して学んだ。
今の家の状況は日本語に接する機会が圧倒的に少ない。ネットで何か調べ物する以外メディアはほとんど使わない生活(DVDを週に一度見るか見ないかテレビは繋げてない)、日本語の本だけは実家から送ってもらい読んできたけれど、残念ながら日本には諸事情から10年近く帰っていない、日本語コミュニティも学校に通う上の子達にとっては年に1.2度の行事参加のみ。あらゆる情報に英語でのみ接するという状況。この環境で「母親とは日本語のみで」とするのなら、私に話すことは「あれとって、これが食べたい」というような日常的なことのみになるだろう。子どもたちがその日体験し読み聞きし学んだことは全て英語で入っている。「こんなことが書いてあった!こんなことを知った!」と興奮して話す子どもたちを前に、「それらを共有しより深めたり調べたり」ということを、「それらを日本語で表す練習」より優先するようになっていった。限られた時間や体力や経済力の中での選択。
下の子たちも少しずつ大きくなり、最近になって、私自身もう一度子ども達の日本語・スペイン語教育に向き合ってみようかという気持ちになっている。バイリンガルやバイリテラシーではなく、第二第三外国語として。日本語は一応私自身は話し続けているので今でも理解はしているけれど、話し、簡単な読み書きくらいはできるように。スペイン語も親戚とコミュニケーションがとれるほどに。
何かの科学雑誌で大脳の一部にウェルニッケル野(上側頭回の後部)というのがあり、ここで言語中枢神経が開発されるのだけれど、その中枢は異なる言語によって区分けされていると読んだことがある。そしてその区分けが開発されるには、通常その言語を母国語とする人々が話すスピードで1000時間ほど聞きこむ必要があると、その中枢の情報蓄積を元に、話す、読む、書くという順番で発達していくと。子どもたちを見ていて理解はしても話さない、というのはこういう言語習得のメカニズムがあったのか、と納得したのを覚えている。
上2人、夏からスペイン語を今月から日本語を夫と私の友人たちから習い始めた。楽しんでいるようだ。私自身も英語に引っ張られつつある話し言葉を見直し(私自身が両言語とも弱い「ダブル・リミテッド」状態になりつつあったり・・・。笑)。家族でスペイン語だけ話す時間、日本語だけ話す時間を週に一度一時間ほどずつでも取り入れようと夫と話し合っている。
National Clearinghouse for bilingual Education の“If your child learns in two language”によると、日常会話習得にはだいたい1~2年、学習言語習得に関しては5~7年ほど時間がかかるという。これは海外の異なる言語を話す地域からこちらの学校に入ってきた子どもを対象にしていて、違う言語を母国語としつつ英語社会で英語を学んでいくという状況で、ということなのだけれど。その言語に囲まれて暮らしたとしても学習言語取得にこれほどかかるというのに驚いた。
道のりは遠そうだけれど、英語で築かれた言語思考体系の基礎の上に、外国語として日本語・スペイン語がどれほどのっていくか、楽しみにしている。
トライリンガル応援してます!
なるほどな~って。子どもはもっと習得が早いように思ってたけど、同じなんですね。
外国語の習得は言語の基本となる母語があって初めて成り立つものだと信じています。あとは個人の努力。
長男くんと長女ちゃんの成長が楽しみですね!
我が家は「ママとは日本語で」を頑なに通しています。やはりこれは環境による差異はあるのでしょう。そして、日本語補修校にも長男だけですが(補修校が遠方に移転したため断念)1年通わせました。「ママとは日本語で」は、私の場合、子供たちの言語発達のためもそうですが、私自身の精神安定のためのほうが比重を占めているかもしれません。文化宗教習慣食事多くのことが違う場所で、ここでの生活は知らず知らずのうちにかなりの精神的な負担となっているようです。その中で、身近に自分の言語で話せる相手が必要だと感じていました。単なるコミュニケーションに留まらず、その先にある日本文化、相槌や相手の話を聞く姿勢などが付加価値としてついてくるので、こういう理由で習得している子供たちはある意味母親にとっても子供たちにとっても気負いなく習得できているのではないかと思っています。
子供たち同士、父親とは英語で、そして私とは日本語でコミュニケーションをとっています。
言語が異常に多く存在する国。子供たちは学校で第一、第二そして上級生となると第三言語習得を余儀なくされます。疑問を感じざるを得ません。
私も子供が生まれた頃は、バイリンガルは当たり前と張り切っていましたが、バイリンガルどころかトリリンガル、マルチリンガルの世界に実際いるとその必要性を疑問視しています。もちろん、家族とのコミュニケーションなどの現実的目標があれば別ですが、学校の必修科目となると無駄に時間を費やしすぎてはいないか?と感じるようになっています。ちなみに長男9歳です。
すみません、ちょっと違う意見、感じていることを書いてしまいました。
帰ってくれば2週間程滞在しますが、小学校5年生の男の子なのでおじいちゃんたちが遊ぶのも限界があり、周りの子供はみんな学校で居ないしで、暇をもて余してしまうそうで、そんな時ご近所さんから小学校入学を提案されて問い合わせてみたら、あっさり入学を許可されたみたい。
もちろん勉強には全くついていけないみたいですが、日本語の上達がめちゃくちゃ早いそうな。
あと漢字習得が飛躍的に伸びたそうです
友達もできるし、お金もかからないし親もつかの間の里帰りを満喫出来るしで、毎回帰国が待ち遠しくなったみたいよ
マチカさんちは簡単に帰国ってわけには行かないだろうけど、長い夏休みに上の子供たちだけ実家に預かってもらい小学校入学ってのはどう!?
本文にある資料によると、「子どもでも」ということみたいですね。
>外国語の習得は言語の基本となる母語があって初めて成り立つものだと信じています。あとは個人の努力。
「言語の基本となる母語があって初めて成り立つ」そう体験を通して感じました。両言語とも弱く複雑な思考がうまくできない「ダブル・リミテッド」に陥る可能性は確かにあるのだなと感じました。
あとは「努力」、確かに! やる気をいかに継続できるかにかかってますね。
mayuさん家の息子君のこれから、楽しみにしてます。mayuさん夫婦をモデルとして、きっと何言語も操るように育っていくのでしょうね。
ありがと~。Have a wonderful weekend!
>単なるコミュニケーションに留まらず、その先にある日本文化、相槌や相手の話を聞く姿勢などが付加価値としてついてくるので、
確かに! その言葉を操るとは、その言葉以上のものがあると私もつくづく思います。日本語をきちんと習得できている息子さんたち、本当に幸せだと思います。
日本語補修校も通われたんですね! 日本語、日本文化に触れるためのとても貴重な場ですね。ここアンカレッジにもあります。スケジュールやその他諸々の事情から家は行かせていないのですが、週5日現地校に通い、土曜日に補修校と頑張っている子ども達が何人かいます。
インドでは地域によって言語が様々で千以上の異なる言語がある、と聞いて驚愕したことがあります。小学校のカリキュラムでも第三言語まで習得するんですね。そちらで暮らしていくのなら狭い限られた地域でのみ話されている言語を習得するのも確かに実用的ですが、もし将来的に他の地へ移られる予定なら確かに疑問に感じてしまうという考えよく分かります。
多くの言語に小さなときから触れることによって息子君たちの言語学的な興味も深まるということはあるのかもしれませんね。またそちらの言語も日本語も操れ現地の文化的背景にも詳しいという息子君たちのような存在は地球上でもかなり希少。架け橋のような役割も果たせるのかもしれませんね。確かにいい面もあるでしょうが、それでも現実的に言語習得には時間もエネルギーもとられるわけで、mirumiruさんの悩まれること私なりに分かります。
目の前で日々育っていく子供たちに今本当に何が必要なのか、私も日々見極めていくのに試行錯誤しています。
そちらの状況、言語習得に関する考え、シェアして下さってありがとうございます。mirumiruさんの息子さんたちがスクスクとたくましく育っていかれますよう、ここアラスカより応援してます。
語学習得でいっぱいいっぱいだろうから、勉強についていくなんてとてもとてもかもしれないけれど、日本の学校で皆で給食食べて、掃除して(これがこちらにあるといいのにとよく思うわ)、放課遊びまわって、本当に貴重な体験だろうね。その息子君、毎回帰国楽しみにしてるんだね!
実家にお世話になるというのは、色々あってとてもとても無理なのだけれど、そうだね、子どもだけお世話になるというのは家族全員で帰国というよりは現実的かな。じゃあよっちゃん家にお願いします。(笑、冗談よ)
いいアイデアありがとうね。考えてみます。よっちゃんが息子君だけこちらアラスカにおくるというの、いつでも歓迎よ。