靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「恐れ」から「しない」より

2011-10-21 23:44:11 | 子育てノート
「こうしないとお化けがきて連れてかれちゃうよ~」「こうしないと怖いおじさんがやって来るよ~」そんな言葉が子ども時代むちゃくちゃ恐かったのを覚えている。

「恐れ」から何か物事を「しない」ようにするというより、「楽しい嬉しい気持ちよい」から何か物事を「する」という方向で導くようにしていくといいように感じている。「こうした方が楽しい嬉しい気持ちよい」という感覚を何度も体験させてやる。そうした「嬉しさ(joy)」をしっかり体験するほど、そうしなかったときの状態は「心地悪さ」として感じられるようになっていく、そうしなかった結果を恐ろしく飾りたてる必要もなく。玩具をシェアして皆で遊ぶ楽しさ、友達が笑顔になったときの嬉しさ、壊すより作ることの楽しさ、物を大切にしたときの温もり、手伝いの楽しさ。

少し大きくなったら、実際の結果を体験させるようにしていく。朝遅くまで寝ていたら慌しくゆったりとできずこんな焦った気持ちになりおまけに遅刻する、少しずつ毎日ピアノ練習しないとレッスン近くに必死で焦って音楽を楽しむどころでない、部屋を片付けないとぐちゃぐちゃとして気持ちよくない。ゆったりできる朝、音楽を楽しめる状態、すっきりとした部屋の気持ちよさ、そういった状態気持ちとのコントラストを体験しながら、自身で選択していけるように。

と理想はそうなのですが、限られた時間に詰まった予定、なかなか難しい場面もあり。「こうしないとこんな恐ろしい目にあうよ~」の即効的威力その便利さにまだまだ頼ることも。

「あのさ、これだけ言ってもしないなら、もうママ怒るしかないから」

静かな声であるほどより恐ろしく・・・。(笑)

「理想」を進む方向として掲げつつ。一歩一歩。

体罰がいいとかいけないとか

2011-10-21 23:43:16 | 子育てノート
メキシコ人の友人Yはいつも腰に木べらを携えていた。

腕白な息子君が何か悪さをすると、木べらを掲げ怒鳴りながら手首を叩く。隣で情けない顔をして息をひそめ固まる私。(笑) 

その息子君達、すくすくと元気で明るい母親思いの好青年に育っている。

体罰がいいとかいけないとか、というより、多分それをする親の気持ちがどこにあるかなのだろう。突き抜けた無条件の愛情のようなものがあるかどうか。

その友人から学んだこと。