靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

内面の平安?

2013-05-26 06:22:10 | 思うに
ユダヤのターニャという世界観に、人には動物的魂と神的魂があるというのがある。動物的魂は、五感に快い物質的な欲求をもっともっとと求めるのに対し、神的魂は、内面的な成長を望み、常により良くあろうと志向する。

動物的魂と神的魂の葛藤、そのせめぎあいが心を乱す。

ジョギングをして体も心も軽くしようとする自分と、布団に潜ってずっと寝てた~い、寒いから嫌だ~、めんどくさ~いという自分、腹八分目にしようと思う自分と、もっともっと食べた~い、もっと飲みた~いという自分。

鍵は、動物的魂をトレーニングしていくこと。「育てる」という視点。といって、無理やり一気に鋳型に押し込み抑え込んでも、そうすることで子供が歪み荒れてしまうように、一時大人しくなったかに見えて反動で爆発することも。一気にでなく、少しずつこつこつと積み重ねていく。小さな子が一日で成人することなく、何日も何年もかけ育てられていくように。

動物魂は、この世をこの肉体を持って生きるための、活発なエネルギーの源となるもの。潰してしまうのではなく、調和してエネルギーを生かし合う。

動物魂をトレーニングするのにいいと感じるのが:

・続け、習慣にすること。

ジョギングも、初めの一週間一ヶ月は動物魂からの反発も大変なものだけれど、三ヶ月もすれば、しない方が何だか心地悪くて動物魂の方からジョギング行こうよ~となってくるもの。また腹八分目や夜はあまり食べないことを続けていれば、夜たくさん食べたりすると、次の日も胃が重くて不快になるもの。

・常に少し我慢させること。

常に少し無理する、少し我慢した状態を続ける。階段をつま先で上ったり、姿勢に注意したり、もっと食べたいというところで止め、心地よくない場所に出かけたり、苦手な相手と過ごしたり、得意でないことを毎日少しだけし続けたり、ここちよ~くありた~いという動物魂の望むまま望むだけでなく、少し我慢した状態を習慣にしておく。無理させすぎないよう加減をはかりつつ。


動物的魂と神的魂が調和している状態、それが内面の平安。

動物的魂を育てるというイメージ、とても役に立っていると感じています

宇宙飛行士、高く高く星を見上げて

2013-05-19 09:12:08 | 思うに
週の半ば、ネイティブ・アラスカンの「姉」が、朝電話をくれる。「父」がERにと。記憶があいまいで、誰が誰かもわからなくなっていると。点滴を口で噛み切ろうとしているとも。

その同じ日の夜、「父」の記憶が戻った!と知らせ。まるで何事もなかったかのように普段の「父」に戻ったと。

ほっとした声で、近況を話し始める「姉」。


初めて月に降り立ったアポロ11の乗り組員、宇宙飛行士Buzz Aldrin氏の講演会に、ネイティブ・アラスカンの成績優秀な子供達とその親が招かれ、息子君と出席したのだと嬉しそうに。

Aldrin氏、自身が欝とアルコール中毒に苦しみ克服した体験を赤裸々に語り、参加者皆、大いに勇気付けられたと。

ネイティブの人々を取り巻く厳しい状況。アルコール中毒で村が全滅というところも。

「姉」と話していても、身近な周りに問題が溢れている。「姉」自身も、ホームレスからの移行福祉施設に息子君と暮らしている。何度か訪ねたことがあるけれど、ホテルのように、きれいに整った施設。


高く星を見上げて 例え沼地に足をとられそうになったとしても あの宇宙飛行士のように 星を見上げて

大きくなり力をつけるのならば 沼を 澄んだ泉に変えることもできるかもしれない

どろどろとした沼に足をとられ ばたりばたりと倒れていく人々を 洗い清め 再び歩き続ける力を 蘇えさせることもできるかもしれない


「姉」の息子君の、太陽のような笑顔を思いつつ。


小さな村の戦争博物館

2013-05-19 09:10:02 | 思うに
先週末から昨夜まで一週間出張に行っていた夫。

滞在していたアラスカのある小さな村。第二次世界大戦時に、軍が用いた建物が残っている。ビーチには錆びた戦車なども置き捨てられ、あちらこちらに大戦時の跡が。その建物を改造し、第二次世界大戦時に用いられたモノを集め、博物館を作ろうという運動をしている人に会ったと。博物館という目的のためなら、建物を使ってもいいという許可も政府からおりたところ。

インターネットで呼びかけ、様々なモノが送られてきている。ジャケット、帽子、ブーツ、水筒などなど。大戦時に祖父が遣っていたものだけれど、屋根裏部屋に眠らせるよりは、博物館に展示していただいた方が、そう、全国から少しずつ集まっていると。

なぜそんなことを始めたのか、こんな小さな村にそんなものを作ってどうするんだ、そう首を傾げ遠巻きに見る人々も多い中、漁や飛行機のメカニックやで生計をたてつつ、三人の子をワイフさんとホームスクールしながら、第二次世界大戦博物館実現に向け、走り続けている。

実父が軍人だったというその人、「なぜ?」という問いに、「この村に生まれ、軍人の子として育てられ、これが、私に与えられたミッションなのだと思う。次世代に繋げる為に」と。

博物館への具体的構想を話す様子は、情熱に溢れ。周りからどんな反応を受けようが、何ものも止められないほどの勢い。内の奥深くから突き動かされ、進み続ける。「とにかくunstoppableで、ピュアでね」と夫。

そんな時に、何かが形になっていくのかもしれないな、そう思いながら夫の話に耳を傾けて。

北の果ての小さな村にできるだろうその博物館、いつか訪ねてみよう、そんな話をした夜。

町で出会うまぶしさに、感謝をこめて

2013-04-21 05:03:00 | 思うに
木曜日の夜、長女のブラスバンド・コンサートがあった。アンカレッジ市の公立小学校は、六年生になると皆、ブラスバンドかオーケストラかの練習をすることになっている。この日は、アンカレッジの東地区にある小中高校が合同で発表会。

それまで楽器に触ったこともなく楽譜が読めなかったような子も、皆立派に演奏していた。全ての子にこんな機会が与えられ、ある程度なかなか聞けるような演奏ができるようにしてしまうなんて、すごいことだなと感心した。

小学校数校を合わせた小学校部門、三十代くらいの男の先生が指揮を取る。この先生がまた素晴らしかった。曲の雰囲気に合わせサングラスをかけてみたり、一旦終わったと観衆が拍手を始めたところ「じゃじゃ~ん」とエンディングを入れてみたり、トロンボーンの子達に立ち上がってリズムに合わせた動きをさせてみたり、その表情や仕草一つ一つが生き生きとエネルギーに溢れ、先生自身が心から楽しんでいる。そして子供達の笑顔も生き生きと輝いていた。

自分がしていることを、楽しんでいる人は輝いている。

自分がしていることに、喜びを見出している人はまぶしい。

演奏に合わせ、座席の一番前に座っていた小学校高学年くらいの体格のいい男の子が踊り始めた。ダウン症のその子の隣で、お母さんが、その子の動きの一つ一つに大きく頷きながら、一緒にリズムを取っている。そのお母さんの笑顔が、まぶしかった。

こんなまぶしさが、はっと私を中心に戻してくれる。

ああ、また随分と逸れてしまっていた、そう我に返る。

町で出会うまぶしさ。小学校の廊下ですれ違う掃除夫のおじさんの笑顔、「私に任せたら学校中ぴっかぴかになっちゃうよ」と胸を叩いていた。スーパーのレジで、勢い良くキーボードを打ち、レシートを渡しながら「今日もよい日を!」と歌うように言うおばさんのまぶしい笑顔。

喜びを見失わない人々。喜びは、常に幾層にも重なり、目の前に溢れている。

そして人から借りたメガネでは、そんな溢れる喜びを見出せない。

あのまぶしい笑顔に、感謝を込めて。



高校の体育館にて


日本太鼓の演奏も!

この高校生バンドを率いる日本人女性、先生としての他にも個人的に西洋と東洋の音を合わせた音楽活動をしている。昔私が働いていた職場の同僚男性の娘さんでもあり。元同僚夫婦を思い浮かべながら、その子育てを想いながら。こうして大好きなことに生き生きと取り組む彼女の姿、輝いてました。

「安心場」という救い

2013-03-24 02:58:34 | 思うに
親のどっしりとした佇まい、太陽のようにカラカラとした笑顔に、子供達は安心するもの。

大丈夫よ、どんとこい、そんな肝っ玉母さんの笑顔。

からっと空気をかえ、大丈夫よと明るく元気に接しているうちに、子供達もああ大丈夫なんだと元気になっていく。暗闇に一緒にはまり込むよりも、暗闇を背に、太陽に向かって歩く姿勢を見せる。

そうはいっても、私自身、もう元々弱弱なんです。そんな線が細いことでどうするのだと、自分を自分で叱咤しつつ今でも進んでいる状態。

今回の次男の件でも、心が痛くて。あげく心臓がちくちくしだし、やばい心臓病?と思いきや、「ちくちく」という痛みは精神的なものである場合が多いと聞いたとたん、ちくちくが消えたり。

こんな私が、日々走り回り笑顔で五人を育てていられるのも、心の奥にある「安心場」のおかげです。安心場に戻り、癒され、また進み続ける力をいただき、この感覚をはっきりと感じることがなかったのならば、私はとっくに潰れていたでしょう。私はこの安心場の温もりに生かされているのです。

この「安心場」とは、私自身が創りあげた妄想にしてはあまりにもリアルで、確実に私自身の感情から心の状態から身体にまで影響を及ぼし。とにもかくにも、たただだありがたいとしかいいようがない救いです。


どうしようもないことというのはあります

それらどうしようもないことを受け入れ 自分にできる限りのことをしようと進んでいく 

その力の源 それが 私にとっては この心の奥の安心場です

カルチャーショック、オークションに無礼講に

2013-03-03 01:45:08 | 思うに
水曜日の夜、長男の学校で「演奏会&ケーキオークション」がありました。


中学校では、数学英語社会科学のコア授業の他に、三つ授業を選択することになっているのですが、長男が選んでいるのが、体育とビジネス技術とジャズバンド(トロンボーン担当)。この日は、オーケストラ、コーラスのクラスとこのジャズバンドクラスとの合同演奏会でした。長男の通う中学校にはスペイン語やロシア語のイマージョンなどもあり、様々なバックグラウンドを持った子供達が一緒に演奏。

ジムに入ると熱気。クラッシックやジャズの調べ、その演奏の間に行われるケーキ・オークション。父母親戚や料理学校から寄付されたケーキがその場で父母親戚により落札されていきます。

こんなケーキセットや、


こんなケーキセット。


近くで見るとこんな感じ。


確かに「おおっと」思わず声をあげたくなる美しさではありますが、これら三つほどのセットが五百ドル、六百ドル(五・六万円程)という値段で次々と落札されていきます。中には三つのケーキを1500ドル(15万円程)で落とした夫婦も!(しかもその夫婦、毎朝学校への送り迎えを交代でしている知り合いだと分かり、私椅子から転げ落ちそうに)。

またそのオークションの司会者達のしゃべりもDJ並みの上手さ。よく見ると、えっ、あれって、普段あの物静かな○○先生?! 数学の先生や英語の先生だったり・・・。長髪のロッカーなウィグなんかつけて分かりやしません、別人格。

8年生からの選りすぐりメンバーともなるとジャズも結構よくて、合間の滑らかなしゃべりとで、一瞬ホテル会場でのオークションパーティーか何かに参加している気分に(参加したことないですが)。

そして最後に、PTAの方がクリームいっぱいのパイを片手に持っていらして、司会者に渡します。大歓声の中、次々と落札しようと躍起になる父母親戚。そのパイ、五百ドルで落札! 何の変哲もないパイに五万円強! すると校長先生が真ん中に進み出て、「今日は本当にありがとうございます!」とお礼を言い始め、

その挨拶が終わると、会場中ざわざわと総立ち。

何が起こるかと思いきや、その落札した夫婦の娘さんにパイが渡され、その女の子、嬉々として至近距離から校長先生の顔面にそのパイを投げつけたああああ! 大歓声。顔からシャツからクリームまみれの校長。Iフォン片手にその様子を写真に取りまくる生徒達!(すぐにフェイスブックにソーシャルネットにと写真掲載する中学生。一昔前からは考えられない!)。


校長の顔に投げつけさせるために五万で娘にパイを買う・・・、呆然としながらも、普段ルールも厳しく、セキュリティーガード(生徒だけ集めた演奏会では校長だけでなくガードさんにも顔面パイをしたそう!)なんかも廊下に立ちまくり、かなりきちきちしたシステムの中、山積みの課題に取り組む中学生、こうしてお祭りドンちゃん騒ぎで上下構造むちゃくちゃ無礼講になる時があるのもいいのかもしれないなあと。中学生にもなれば、こんなジョークもちゃんと理解できるでしょ、そんな雰囲気もなかなか悪くない、そう感じました。

この日のファンドレイジング額、ケーキ以外にもベークセールや寄付などで19000ドル(200万近く!)だそうです。全て来年度の音楽授業に用いられるそう。

それにしても、日本の公立学校で育った私には、何から何まで、かなりのカルチャーショックでした。

願いが叶うとき

2013-02-24 03:14:08 | 思うに
ああなったらいいなあ、こうなったらいいなあ、日々様々な願いを抱くことがあるけれど、「強く望み続けるより願いを手放した時に願いが叶う」といったことを聞くことがあるよねえ、昨日の友人達との「ビジョンミーティング」でそんな話に。確かに「まあどちらでもいいかな」という状態になると、ふっと叶うことがあるよね。執着を手放すということだよね、などなど。

この「どちらでもいいな」という状態というのは、単に何もせず「どっちでもいいや」ということではなく、願いを実現するためにやれるだけのことはやり尽くした末に、ああもうここまでできることはしたのだから、叶うのならばこれほど嬉しいことはないけれど、でももし叶わなくても納得して受け入れられるな、という「どちらでもいい」なのではないかなと。完全燃焼した「どちらでもいい」。それに行動を起こし、できる限りのことをし尽くすのならば、結果的に叶う確率も確実に高くなるでしょう。座って、寝転んで、待っているだけでは実現しない。そうしてじっと棚から牡丹餅を待ち始めると、おかしくなっていく。

あとやはり、その願いというのがどれほど周りのためになるかというのも大きいんだろうね、と友人。確かにもし周りに何らかの貢献する部分があるのならば、その願いを助ける流れが生まれることもあるのでしょう。

できる限りのことをしているのならば、結果はもうどうでもいいと思える瞬間を体験するもの。そんな瞬間を積み重ねて。

「自分にできる限りのことをし続ける」、もうそれだけです。日々、こつこつと。

「望みのコア」を理解しようとする

2013-02-03 02:50:30 | 思うに
サルなどの霊長類の研究では、霊長類は単独行動から進化を経て集団行動へと移っていったことが分かっています。そしてそれらの動物は、集団で暮らすようになって初めて、葛藤やストレスというものを感じるようになったと言われています。

 ヒトも、もし一人で生きていけるのならば、何の葛藤を抱えることもないのかもしれません。他人の目や考えを気にすることなく、自分のしたいことを、好きなだけ好きなときにし続けていればいいのですから。それでも人は、一人で生きていくことはできません。一人の人が生きていくために、どれほど多くの人々の働きや助けが必要となるでしょう。家の中を見回したとしても、何一つとして自分一人で作り上げたものなどありません。人は持ちつ持たれつで頼り合い、助け合って生きていく必要があります。

 人が集まれば、何らかの葛藤が生まれます。人と人との間の葛藤というのは、いつの時代にも世界中のどの地域でも見られた、普遍的な問題です。大昔から現代に至るまで、個人レベルでも、地域や国などの集団レベルでも、世界中から争いや紛争が絶えたことはありません。

 ミディエーターとして活躍し、世界中いくつもの扮装危機を回避させた人類学者のW.ユーリー氏(William L. Ury)は、「人は、そろそろ感情的反射的な反応を繰り返すことから卒業し、反応する前に一呼吸置き、平和的な解決を意識的に選択する方向へと向かう時ではないだろうか」と言います。国レベルでも個人レベルでも、「平和的解決に至らない葛藤はないと今でも信じている」というユーリー氏の言葉は、大きな希望を与えてくれます。

「平和的解決」とは、互いが納得する着地点を見つけるということです。自分と相手が共に満たされる着地点はないかと模索することです。それには自分が何を求めているのかを整理し、相手が本当に望むものを理解しようとする必要があります。最初に望んだものと、着地点で手にするものとは、全く同じものではないかもしれません。それでも「根本的なところ(コア)」で互いの望みが満たされるのならば、葛藤は解決へ向かいます。こういった姿勢を普段の日常生活から心がけていくよう、子供達に教えていけたら。

心がけたい流れ

望みを伝える。
 ↓ 
互いの「望みのコア」を理解しようとする
 ↓
互いの「望みのコア」が満たされるよう、発想豊かに創造的に互いが納得する着地点を見出す。 



例えば:
「私はトマト・スパゲティが食べたい」
「僕は焼肉がいいなあ」
「トマトっぽい酢っぱ味のあるパスタ系を食べたい気分なんだよね」
「僕は最近肉を食べてないから、今日は肉を食べたい気分」
「じゃあミートソース・スパゲティというのはどうかな」

「ミートソース・スパゲティ」は「トマト・スパゲティ」とは似て非なるものですが、トマト味のスパゲティではあります。また相手にとっても、「焼肉」とは全く違うものですが、「最近肉を食べてないからとにかく肉を」という望みは満たされます。なぜそれを望むのかということを吟味することで、「トマト味のスパゲティ」や「とにかく肉」といった、「望みのコア」が見え始めます。トマト味のローストビーフにカルボナーラでもいいですし、トマトサラダに豚肉をたっぷり入れた焼きそば(ちょっとパスタから離れすぎるでしょうか)という手もあります。「いや、必ずしもトマトでなくとも酸っぱ味が欲しいのだ」ということならば、ねぎ塩豚レモンたっぷりパスタや、牛肉レモン塩パスタなどもいいでしょう。こうして必ずしも最初に提案し合った「トマトソース・スパゲティ」や「焼肉」でなくとも、互いが納得する着地点を見つけることができる場合もあります。


人類学者のウーリー氏は、こんな出来事に出会ったことがあります。東南アジアのある島で、独立を目指す民族集団と政府が衝突しました。ミディエーターとして話し合いに出かけたウーリー氏は、「なぜ独立を望むのか? 独立することで何を手に入れたいのか?」その民族集団に問います。すると、独立したいという強い希望はあるものの、なぜ独立したいのかについての具体的な答えは、返ってこなかったのです。その後集団内で何度も話し合いを繰り返すことで、ようやくいくつかの具体的な望みがリストにされました。そして、「政治力を得る」「自然資源から得る利益のシェア」などの望みが掲げられたそのリストを互いに吟味すると、それらの望みは、独立することなくとも叶えられるものだと分かったのです。そこで政府は、「連立政権にする」、「資源についての法律を変える」など、可能な限りその民族集団の望みが満たされるよう国政を改革することで、内戦が収まったといいます。
 国や集団の間だけでなく、個人の間でも、自分と相手が本当に何を望んでいるのか、「望みのコア」を理解しようとする必要があります。それには普段から自分に向き合い、自分が何を大切にしたいのかを見つめる必要もあります。


 映画監督のスピルバーグ氏は、十二歳のとき「いじめ」に悩まされたといいます。思い悩んだ末、氏はいじめっ子を巻き込んで映画を作ることを思いつきます。悪役が活躍する脚本をまとめ、散々いじめられたそのいじめっ子に悪役を担当してくれないかと頼み込むのです。最初は渋っていたそのいじめっ子も、次第に乗り気になり、いつしか映画の中の悪役になりきります。そしてそれ以来、氏はいじめられなくなったばかりか、そのいじめっ子とは大の親友になったと言います。
 なぜいじめられっ子だったスピルバーグ氏とそのいじめっ子との関係は、大人になってからも続く親友へと大転換したのでしょうか? 人類学者のユーリ氏は、映画に出演することによって、いじめっ子の「本当の望み」が満たされたからだと言います。いじめっ子が弱い者をいじめることで満たそうとする本当の望みとは、周りの関心を惹きつけたい、注目を集めたい、支配したい、認められたい、見上げられたいなどと言えるかもしれません。それらの「望みのコア」が、映画の中で悪役を演じるという形で満たされたのです。映画を作るということに、子供時代から並々ならぬ情熱を抱いていたというスピルバーグ氏、相手が本当に望むものを、自分の熱意を注ぐ映画作りという方法で満たすことで、葛藤を解決することができたのです。


自分がなぜそれを望むのかを見つめ、相手の「望みのコア」を理解しようとし、発想豊かに、柔軟に、創造的に、互いが共に立つことのできる着地点を創りあげていく姿勢を、普段から子供達に身につけさせていきたい、そう思っています。

「事実だと思い込まない」という知恵

2013-01-27 02:05:02 | 思うに
ある人に対するネガティブな考えが何度も頭に浮かぶ。過去に起こったネガティブな出来事を前に並べ、しばらく距離をとって会わないほうがいいかな、そんな結論を出しかけている。

そんな時は思い切って、その人に会い、話し、笑い、その人の空気に触れてみるといい。以前もそう思うことがあったけれど、今回もそうだった。

ニコニコと微笑むその人を前に、力が抜ける。私の内に創りあげたその人の像が、徐々にぼやけていく。ぺたぺたと上から塗りたくり、凝り固めていた幻想が、さらさらと流れ消えていく。はっと我に返る。関係が動き出す。

メキシコの古代文明(Toltec)の知恵をまとめた本に、「事実だと思い込まない(Don't make assumptions」というのがあったのを思い出した。他の三つ、「完璧な言葉を用いる(Be impeccable with you words)」「常に最善を尽くす(Always do your best)」「個人的なこととしてとらない(Don't take anything in personally)」と共に、『四つの同意 』(『The Four Agreements 』by Miguel Ruiz )」としてまとめられていたのだった。

自分の脳内で勝手に思い込み、自ら創りあげたその枠内にがんじがらめになっていることがある。そんな「雑念」によって、どれほどエネルギーを漏らしているかを思う。

動き、外に触れる。

苦しみと夜明けはセット、私の課題

2013-01-13 01:17:21 | 思うに
 苦しく悲しい時を越え、夜明けが訪れた体験をいくつか思い出してみると、暗闇を通ったことで、かけがえのないものを手に入れた場合がほとんどだと思い当たります。それを手にするには、どうしてもその苦しみを通ざるえなかったとさえ思えます。

 最も貴いものを手にしたのも、今までで最も辛く苦しかった体験の一つを通してでした。最も貴いもの、それは一言で表すことの難しい「感覚」ですが、ここでは「安心場」という言葉を用いてみます。


 三人目の子を妊娠中に、精神と身体を病みました。毎晩恐怖心と不安感で眠ることができなくなり、パジャマで裏庭を徘徊するしかありませんでした。しばらくして回転性のめまいも始まりました。元々ジェットコースターなどの乗り物は大の苦手で、一度高校生の時に友達に誘われ試して以来、もう一生乗るまいと決めていたくらいでしたから、右も左も上も下も分からなくなり物凄いスピードでぐるぐると回り続けるめまいに対する恐怖心は、とてつもないものでした。また立ち上がろうとするならば、すぐに吐いてしまいます。吹き飛ばされないよう(傍から見ていると吹き飛ばされるわけがないのですが)、震えながら必死に布団にしがみつき、ただただ発作が治まるのを待つだけでした。

 そんな状態が毎日のように続き、車の運転もできず、二人の幼い子を抱え、もう二度と普通の生活を送ることできないのかと打ちのめされていました。それでも医者から出された薬は、お腹の子に何かあったらと心配で手をつけることができず、玄米菜食などの食事療法を続けました。やがて寝込むしかないほどの大きな発作の回数は減っていき、小さな発作がより頻繁に起きる状態へと、少しずつ変化が見られ始めました。五分ほど目を閉じじっとすることでやり過ごすことのできる発作が、日に数度起きるという状態になった頃、鍼治療を試しました。すると最初の治療の三日後にぴたりと発作が止まり、有難いことに、無事出産を迎えることができたのでした。最初の発作から半年程のことでした。小さな発作は、その後もまれに起こることがありましたが、やがて完全に消えていきました。

 それでも、真夜中に不安感や恐怖心に襲われることは、頻度は減りつつあったものの、出産後も数年続くことになります。この恐怖心というのは、原因を明確に突き止めることができるものではありませんでした。例えば、今日はなんて楽しく幸せな時を過ごしたのだろうと微笑みながら眠りについたとしても、真夜中突然目が覚め、不安と恐怖でいたたまれなくなるといった有様でした。それは日常に散りばめられた不安や恐怖の芽を凝縮したもの、敢えていえば、死への恐怖と言えるものだったのかもしれません。眠ることもできず、じっとしていることもできず、頭を抱え震えながら歩き回るしかなかったのです。

 この恐怖心と、次第に恐怖心が静まっていく状態とを、何度も行き来する内に見出した感覚が、「安心場」でした。そしてこの「安心場」の感覚がよりはっきりするにつれ、真夜中わけの分からない不安感や恐怖心に襲われることを、恐れなくなっていったのです。「きた」、と感じるたびに、この「安心場」に戻ればいいのだと分かり始めたのです。「安心場」に戻ることで、どんな暗闇や重みに囲まれていようと、次第に明るく軽くなり、再び安らかな気持ちで眠りにつけるようになっていきました。そして徐々に、真夜中にそんな恐怖心に襲われることも、無くなっていったのです。


 暗闇は光に気がつくためにあるのだと、体験から信じています。暗闇と絶望があったからこそ、光の存在に気がつくことができたのです。繰り返しの暗闇の体験こそが、光を探し当て、そこへ戻る力を与えてくれました。

この「安心場」をどう子供達に伝えていくか? それが私の課題です。

今の私なりの答えが、親の無条件の愛と受け入れが、子供の「安心場へ辿り着く力=安心力」を育んでいくということです。

探索探究を続けていきます。

他者への眼差し

2013-01-06 01:36:43 | 思うに
知り合いに最近聞いた話です。

 学校への送り迎えを分担しているママさん四人グループ。その中の一人がなかなか約束を守りません。火曜日に送ることになっているのに、突然行けないと他の人に頼んだり、木曜日に迎えにいくことになっているのに、学校に現れず他の人が急遽迎えにいくことになったり。そんなことが一ヶ月以上続いた後、とうとう分担から抜けてもらおうと三人が話し合っていたところ、電話が鳴り、そのママさんが亡くなったという知らせ。病気であったことを本人は誰にも知らせたくなかったのだと。

 何て人なんだ、こんな簡単な約束も守れないなんて、無責任な人、人にばかり頼って、その人に対して湧き起こり続けたありとあらゆる不満が、一気に洗い流されていきます。


昔読んだスティーブン=コビー氏の書いたものに、似たような話がありました。

電車の中。向かいの席の子供達のマナーが最悪。シートの上に土足で立ち上がり、ふざけ合って大声で叫び。子供達に挟まれ一人の男性が下を向いて座っています。どうやら父親らしいその男性に向け、電車中の人々の非難の目が集中します。とうとうたまりかねた一人の女性が話しかけます。
「あなたはこの子達の父親ですか? どうか静かに座るようきちんと責任持って教えて下さいませんか」
するとその男性は答えました。
「すみません。実は今病床にあった妻を看取ってきたところなんです。これからどうやってこの子達を育てていこうかと途方に暮れてまして」

ここで人々のパラダイムが一気にシフトしたという話でした。



普段いかに自分の枠組みからしか相手を見ていないかということを、突きつけられます。普段いかにあの人はこうだああだと、すぐにジャッジしているか。

相手の行動の背景には、私などの想像もつかないような事情や理由があるのかもしれない。

そんな他者への眼差しを、大切にしていきたいです。

近況、そしてこれからのブログ

2012-12-23 00:49:04 | 思うに
昨日から学校も冬休み! また朝から晩まで賑やかな日々が始まります。

ホリデイシーズン、年末年始に向け行事が立て込み、普段とは違ったリズムに包まれつつあります。ブログの更新なども不定期になるとは思いますが、少しずつ日常の風景などを載せていきたいです。

先週の次女に引き続き長男長女と体調を崩し治ったかと思えば、日曜日に私も久しぶりの熱。それでも何とか動き回っていたのですが、さすがに夕方「ママもうだめだ、あとはまかせた。今日はあなたたちがリトルママね」と子供達に伝え横になりました。こんな風に寝てしまえることのありがたさ。赤ちゃんがいた時分にはこうはいきませんでした。娘達が運んでくれるジュースや果物の美味しかったこと。翌日、リトルママ達が頑張ったらしくすごいことになっていたキッチンの片付けや、妹弟の相手を盛大にしてやったのだろう部屋の片付けなどしている内に、おかげさまで回復。と思いきやその二日後の夜くらいから咳。日中は普通に暮らしているのに、夜は咳が止まらず息苦しくて寝られない状態に。しかも夫も同じ症状。これはきついと二人病院で見ていただいたところ、共に「気管支炎」と診断され、抗生物質と吸入器を処方され、ようやく治りました。

二日間ほどのことでしたが久しぶりに身体がきつかったです。子供達が学校で友達から「21日に世界が終わるらしい!」というような話を聞いてきたのですが、普段ぴんぴんしているパパとママが、ゲホゲホヨレヨレに弱っていく様子を見て、「パパとママが終わっちゃったらどうしよう・・・」と洒落にならない心配をしていたようでした。(笑)

「ここ何年か風邪もひかなくなったし」と自分の健康を過信していた面があるのですが、これでかなり謙虚になりました。普段からの体調管理を心がけつつ、休むときはしっかり休まなければいけませんね。皆さんもどうぞ「体調悪し」のサインが出たら、なかなか難しい場合もありますができるだけ休むよう心がけ、こじらせないようにお気をつけ下さい。おかげさまで子供達も元気で、私達も回復し、こうして普通に暮らせることに感謝を込めて。



ということで少し横になる機会があったのですが、今まで断片的に考えていたことを、少しまとめる時間にもなりました。これからブログに何を書いていこう、というのもそのまとめの中の一つです。

日常の身近な身の回りに気づきを見出していくこと、足元に咲く花を見出していくこと、それがこのブログで試していきたいことです。時に観念的なことや、分の分からない詩をのせることもありますが、中心となる方向性はそういうことなのだと思っています。日々周りには、はっとする瞬間が溢れていて、それら一つ一つを掬い取り書き留めていく、もっと頻繁に更新しないことには追いつかないなとは思いながらも、できるところから少しずつ。

「私自身の整理」と言う言葉を使ってきましたが、確かにそうでありつつも、こうして人目に触れる場に出す以上、読んでいただく方々に、何かを感じていただけたらという思いもあります。より他者へと伝わる形に、精進し磨いていきたいです。

また1年近く書き溜め、まとめつつある原稿を、周りの友人、プロのライターの方などにも読んでもらい始めています。まだまだ納得した形にするには時間がかかりそうですが、早朝、そして日中手に入る細切れの時間、それらほとんどを今はこちらに費やしこつこつと続けています。いつか皆様にも読んでいただけますように。

こうして書けることに感謝しつつ。読んでくださる皆様に心よりの感謝を込めて。

Happy Holidays!

子供に伝えたい教え

2012-12-23 00:48:30 | 思うに
ここ八年ほど毎週金曜日に続けているファミリーディナー、毎回バリュー(価値観)・哲学・思想・宗教的なテーマについて話し合います。

昨夜は「全てのことに意味がある」というようなテーマについて。

聖書にある「ジョセフの話」を引き合いに。子供達も映画などで慣れ親しんでいるストーリーです。

嫉妬にかられた異母兄達に奴隷に売り出されたジョセフ、エジプトで牢屋に入れられるなど試練を経、ファラオ(王)の夢の意味を「七年の繁栄の後、七年の飢餓期が訪れる」と正しく解釈したことから、エジプト中を司る地位を与えられます。ジョセフの予言どおり飢餓期に入り、ジョセフの智恵により繁栄期にためておくことのできた食物が人々に配られます。そこへ、カナンの地から食物を求めてやってきた異父兄達と再会。

アニメの映画ではこの再会に怒り動揺したジョセフでしたが、聖書の中では全く怒ることなく静かに「どうぞご自分達のされたことを悔やまないで下さい」と言ったとされています。全ては「神」の計画だったと、ジョセフが奴隷に売られ、エジプトに来ることが無かったら、これほど多くの人々を救うことができなかったと。

その渦中には「どうして私にこんなことが」「私が何をしたというのか」と意味が分からない「災難や苦しみ」も、必ず何らかの意味があって起こっている。だから目の前の人々に怒る必要もない、人々は単なる「乗り物(vehicle)」であり「役割」を果たしているに過ぎないのだから。「ジョセフの話」にはそんな教えが込められています。「結局は、『神』と私の問題」というマザーテレサの言葉などもあげて話しました。

「目の前の物事に出来る限りの力で一生懸命向き合い、起こること全てから学ぼうとすること、それがきっと私達にできることなんだね。どうしてこういったことが起こるかの意味については、その内見えてくるかもしれないし、最後まで分からないかもしれないけれど」と私。

「じゃあパパとママが気管支炎になったのも、きっと意味があったんだね」と長男長女。これで免疫がついた、これからもっと気をつけようと思うようになった、肺炎の手前で治ることができた、とアイデアを口々に。

今回の風邪というのはほんの一時の辛さで可愛いものですが、生きていると、大変なこと辛く苦しいことは起こります。子供達にもこれから様々なことが起こるでしょう。「なぜ?」という問いへの答えは生きている内に手にすることができるかできないかそれは分からないけれど、「全てはよきことのために」そう信じ、一つ一つの出来事に丁寧に向き合い自身の最善を尽くしていく、この教えは、私自身を助けてきたものでもあり、子供達にとっても大きな救いになると信じています。

ハヌカの独楽、五つのエレメント

2012-12-22 23:59:00 | 思うに
八日間続くユダヤの年末行事「ハヌカ」では、毎晩キャンドルを灯し祈り歌った後、独楽ゲームをします。独楽には四面ありそれぞれヘブライ語の文字が記され、回した独楽が止まった時点に上を向いている文字によって、手持ちのチョコレートコインが減ったり増えたりするというとてもシンプルなゲームです。ユダヤ教徒ではないのですが、毎年ハヌカとクリスマスの両方を祝う我が家、今年は三歳の次男も参加してこの独楽ゲームを楽しみました。

ユダヤ神秘主義カバラでは、人は五つのエレメントによって成り立っているとされます。ハヌカの独楽「ドレイドル」に記された四つの文字は、その内の四つのエレメントを象徴しています。

一.エゴ 二.肉体的欲求、三.理性、四.破壊的衝動

そして独楽には記されていない五つ目のエレメントが神性です。この五つ目のエレメントが、他の四つを司どり導くとされます。神性により、エゴは真我に、肉体的欲求は生き生きとした生命エネルギーへ、理性は持続可能な技術の発達へと、破壊的衝動は新たな創造へと方向付けられると。五つ目のエレメントが弱くなるほど、他の四つのエレメントは好き放題を始めます。

四つのエレメントを抑え失くそうとするのでなく、五つ目のエレメントを強めることにより、他の四つの互いに異なるエネルギーの持ち味を生かしていくという考え方、とても興味深く思っています。

67回原爆の日に

2012-08-08 00:33:06 | 思うに
私は被爆三世で(母が胎内被曝)小さな頃から亡くなった親戚の話しや、投下時そして投下後の生々しい体験を聞いて育った。

ここアメリカでは「広島長崎への原爆投下は正当最善の手段だった」という言説が主流。ナチを全体主義の悪を最小の犠牲の上に終わらせるためには、原爆投下が最良の方法だった、そうでもしなきゃもっとひどいことになっていたよ、あれが正しかったんだ。大人も少し歴史を学んだ子供もほとんどがそう思っている。「終わらせてあげたんだ」というような言い方をする方もいれば、「仕方が無かったんですよ」と辛そうに言う方も。

「民間人の大量殺戮が正当化される理由なんてないのじゃないでしょうか」
「でももし原爆投下しなかったら、もっと犠牲者が増えていたに違いないよ」
そんな「もし」を想定しての空をつかむようなやりとりも何度か。

それでも本当に少数派だけれど、絶対にしてはいけないことをしてしまった、アメリカ国民として申し訳ない、と謝られたこともある。

理解しようとすること、当たり前と思っている答えを本当にそうかと吟味してみる姿勢、様々な人々に出会いつつ、ここアメリカで8月6日を迎える度、その大切さをかみ締める。

犠牲者のご冥福を、未来の平和を、お祈りします。