靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

苦しみと夜明けはセット、私の課題

2013-01-13 01:17:21 | 思うに
 苦しく悲しい時を越え、夜明けが訪れた体験をいくつか思い出してみると、暗闇を通ったことで、かけがえのないものを手に入れた場合がほとんどだと思い当たります。それを手にするには、どうしてもその苦しみを通ざるえなかったとさえ思えます。

 最も貴いものを手にしたのも、今までで最も辛く苦しかった体験の一つを通してでした。最も貴いもの、それは一言で表すことの難しい「感覚」ですが、ここでは「安心場」という言葉を用いてみます。


 三人目の子を妊娠中に、精神と身体を病みました。毎晩恐怖心と不安感で眠ることができなくなり、パジャマで裏庭を徘徊するしかありませんでした。しばらくして回転性のめまいも始まりました。元々ジェットコースターなどの乗り物は大の苦手で、一度高校生の時に友達に誘われ試して以来、もう一生乗るまいと決めていたくらいでしたから、右も左も上も下も分からなくなり物凄いスピードでぐるぐると回り続けるめまいに対する恐怖心は、とてつもないものでした。また立ち上がろうとするならば、すぐに吐いてしまいます。吹き飛ばされないよう(傍から見ていると吹き飛ばされるわけがないのですが)、震えながら必死に布団にしがみつき、ただただ発作が治まるのを待つだけでした。

 そんな状態が毎日のように続き、車の運転もできず、二人の幼い子を抱え、もう二度と普通の生活を送ることできないのかと打ちのめされていました。それでも医者から出された薬は、お腹の子に何かあったらと心配で手をつけることができず、玄米菜食などの食事療法を続けました。やがて寝込むしかないほどの大きな発作の回数は減っていき、小さな発作がより頻繁に起きる状態へと、少しずつ変化が見られ始めました。五分ほど目を閉じじっとすることでやり過ごすことのできる発作が、日に数度起きるという状態になった頃、鍼治療を試しました。すると最初の治療の三日後にぴたりと発作が止まり、有難いことに、無事出産を迎えることができたのでした。最初の発作から半年程のことでした。小さな発作は、その後もまれに起こることがありましたが、やがて完全に消えていきました。

 それでも、真夜中に不安感や恐怖心に襲われることは、頻度は減りつつあったものの、出産後も数年続くことになります。この恐怖心というのは、原因を明確に突き止めることができるものではありませんでした。例えば、今日はなんて楽しく幸せな時を過ごしたのだろうと微笑みながら眠りについたとしても、真夜中突然目が覚め、不安と恐怖でいたたまれなくなるといった有様でした。それは日常に散りばめられた不安や恐怖の芽を凝縮したもの、敢えていえば、死への恐怖と言えるものだったのかもしれません。眠ることもできず、じっとしていることもできず、頭を抱え震えながら歩き回るしかなかったのです。

 この恐怖心と、次第に恐怖心が静まっていく状態とを、何度も行き来する内に見出した感覚が、「安心場」でした。そしてこの「安心場」の感覚がよりはっきりするにつれ、真夜中わけの分からない不安感や恐怖心に襲われることを、恐れなくなっていったのです。「きた」、と感じるたびに、この「安心場」に戻ればいいのだと分かり始めたのです。「安心場」に戻ることで、どんな暗闇や重みに囲まれていようと、次第に明るく軽くなり、再び安らかな気持ちで眠りにつけるようになっていきました。そして徐々に、真夜中にそんな恐怖心に襲われることも、無くなっていったのです。


 暗闇は光に気がつくためにあるのだと、体験から信じています。暗闇と絶望があったからこそ、光の存在に気がつくことができたのです。繰り返しの暗闇の体験こそが、光を探し当て、そこへ戻る力を与えてくれました。

この「安心場」をどう子供達に伝えていくか? それが私の課題です。

今の私なりの答えが、親の無条件の愛と受け入れが、子供の「安心場へ辿り着く力=安心力」を育んでいくということです。

探索探究を続けていきます。

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4 コメント

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Unknown (テッサー)
2013-01-17 12:54:05
この間は、長男君のアドバイスありがとう!
うちの息子、興味深く聞いていたよ。
「大きくなるにつれ強くなる」っていうの、実感わかないみたいだったけど、そういうもんかなって少し納得した様子。
ユーモアね、うちの子も大好き。
笑いって大事だね。

マチカちゃんの精神症状、医者では何か病名付いたり薬処方されたりしたの?
めまいは良性の回転性めまいだったのかなって思うけど、大変だったね。たいてい放っておいても数週間~数か月で良くなるものなのかもしれないけど、しんどいときは1分でも長く感じるし、希望を失いそうになるよね。
異国で慣れない育児と睡眠不足で心身ともに限界だったのかな。

この間、がんを患ったジャーナリストの鳥越さんが「無病息災」より「一病息災」って書いてて、そうだなーと思ってたけど、マチカちゃんも辛い病の時代があったからこそ、より心構えや体調に気を付けるようになって、今みたいに元気になったのかな。

私が訪問看護に行ってる人の中には、「病気であること」を無意識的に望んでいるかのような人もいるのね。病気であれば、つらい社会に出なくてすむ、人から気遣ってもらえる、できないこと・したくないことの言い訳にできる・・・みたいな。本人は病気そのもので苦しんではいても、本当に自発的に健康を取り戻したいと思っているように感じられなかったり。
そうやって心身のバランスをとりつつ生活せざるを得ない人もいるんだけど、少しずつ関わりながらその人の強みを活かせるようにするにはどうしたらいいのかって思うのね。マチカちゃんが自らの気づきで回復過程へ進んだこと、そこへ近づけるよう、私たちケアにあたる人間が少しでも「安心場」を提供できたらいいのかな、と思ったりしました。

うまくいえないけど、いろんな気付きをもらってます。
ありがとう!!息子さんにもよろしくね。
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Unknown (よっちゃん)
2013-01-17 20:19:05
めまいや精神を病んでいたって話はチラッと聞いたけど、けっこうひどいものだったのね…

私も数年前に、突発性のめまい症になり周りにはわからないしでも、本人は見た目以上に辛いしでしんどかったのを覚えています。

食生活を見直したのもその頃からですか?

私も最近は、野菜中心のメニューにしています。
旦那が不摂生がたたりダイエットしてるの。
夏から旦那が20キロ痩せました。(笑)

私は変わらないの(# ̄З ̄)

※同窓会コミュと私の日記覗いて下さい。
懐かしい面々が沢山登場してます。
返信する
テッサーさん、コメントありがとうございます! (マチカ)
2013-01-20 05:22:51
何だか答えになっていないような答えだったけれど、子供同士だと何となく伝わるのかもしれないね。笑い、家でも潤滑油です、物事を違う角度から眺めらて軽くなったり、互いの関係がスムーズになったり。

何らかの病名をもらったりはしなかったの。妊娠中で産婦人科にだけは定期的に検診には出かけていて、めまい止めや精神安定剤や睡眠薬みたいなものを出されてはいたけれど。結局それらには手をつけられなかったのだけれどね。耳鼻科もすすめられたけれど、結局受診しなくて。精神の方は、昼間は見た目も普通で、受け答えも正常にできてるし、妊婦に時々ありがちな精神不安定さの症状だと思われたんじゃないかな。

実は当時保険がなかったのも大きくてね。保険なしで本格的な検査をしたら十万単位でお金が飛んでいく。見習い研修医が診てくれる福祉施設に出向いたこともあるけれど、かなり頼りなくてね。めまいの原因は耳にあるだろうから、耳を掃除してみたいとも思う、というようなことを言ったら、だったらシャンプーを耳にたらして頭を振ってみるといい、とアドバイスされたりね。何だかコメディーショーの会話みたいだったよ。(笑) そんなこともあって病院にはあまり近づかない状態だったのよ。昔はヒッピー的だったけれど、今はきちんとした保険もあって、より安定した暮らしをしてるから心配しないでね。(笑)

こちらの保険制度は厳しいものでね。お金によって受けられる医療レベルもかなり違ってくる。変えていこうとする動きはあるけれどね。

回転性めまい、辛かったよ。ぐるぐる回る乗り物系本当に苦手だったしね。ネットとかで調べると、「メニエル氏病」のようなものかなと思ったけれど、完治しないとか書いてある場合もあってね。実際に診断されたわけじゃないからよく分からないのだけれど。とにかくきつかったです。

確かに異国の地での育児、二番目は産後翌日に退院して三日目から家事してたからね、生後四ヶ月から外での仕事も始めたりして、睡眠不足、過労、葛藤ストレスは相当のものだったと思う。

「一病息災」、本当にそう思います。この辛い苦しい時期があったからこそ、身体や心の持ち方により気をつけるようになった。どういった方向へ向かうと、自分を病ませることになるのかが少しずつ見え始めた。そして普通に生活できることのありがたさを日々ひしひしと感じられる。この時期を経て、手に入れたものの大きさははかり知れないと思ってるのよ。

「病気である」ということに依存する気持ち、分かるように思います。私も子供時代からそんな傾向があったかもしれないな。とにかく病気がちだったからね。意識では健康でありたいし病気は苦しくて勘弁して欲しいのだけれど、深い部分では病気であることを望んでいたようなところがある。

自分を振り返っても、「自分を助けようとしない者を、他人が助けることはできない」んだとつくづく思います。穴から出たいと言う人に、ロープを垂らしたり下から持ち上げて這い上がるようにしたとしても、本人がよじ登ろうという気持ちがないとどうしようもない。テッサーさんが訪問看護を通して感じることのあるジレンマはそういったことなのかなと思います。

私自身は、3つのことが助けになったと感じてます。

1.心身共にがつんと強烈なパンチをくらったこと。もうこんなに苦しい心や身体は勘弁して欲しいと心の奥底から病気に懲りた。

2.子供の存在。物理的に病気になっている暇がないということもあるけれど、私が病気になっていたらこの子たちは一体どうなっちゃうんだろうと、フォーカスが自分から子供へ、「もらう」から「与える」へ、こうシフトできる存在に出会えたことに感謝してます。

3.「安心場」を見出したこと。依存を「安心場」のみに移行させることで、病気など他への依存が断ち切られた。「安心場」を何にも依らない真空の場とするためには、日々精進する必要があると思っています。

どうやったら穴への依存を断ち切り、本人によじ登ろうという意志を起こさせられるか。それはフォーカスを自分から他者へとシフトさせられる存在に出会うこと、もらうより自分が何ができるか与えられるかと考える習慣をつけていくこと、そして「安心場」という一人一人の内にある真空の場を見出していくこと、自分をかえりみるとそういうことになると思うのだけれど、私も探求を続けていきますね。

長くなっちゃったけれど、私も本当にたくさん気づかされました。いつもありがとう。

ここのところ日本は随分寒いと聞くけれど、あたたか~く過ごせますように。今週も良い日々を!感謝をこめて。
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よっちゃんへ、コメントありがとうございます! (マチカ)
2013-01-20 05:47:28
よっちゃんも突発性難聴や回転性めまいを体験したんだよね。発作がないときには至って普通に見えるものね。私も近い周り以外には、ほとんど気づかれていなかったと思う。お互い治ってよかったね。

そうだね、食生活をより整えていこうと思ったのもこの時期からかもしれない。なかなか完璧とはいかないけれど、「より良い方」をできるだけ選ぶようにしています。

よっちゃんも最近食生活見直しているんだね。野菜中心、私たちぐらいの年齢になってくると、それが身体にフィットする気がしてるよ。時々肉も美味しくいただく、ぐらいが私にはちょうどいいです。あと夜は少しだけのほうが次の日の調子もいい。口に入れる一つ一つを大切に味わい楽しんでいけたらなと思ってます。

夏から20キロ!?すごいね。昔から変わっていないというコメントを読んだけれど、だったらよっちゃんはよっちゃんのままで十分じゃない。家は夫がダイエットかなり必要です。と先週友人たちと話していたらエキソサイズマシーンを譲ってもらえることに。数日中に友人宅へ取りに行ってきます。その譲ってくれるカップルはダイエットプログラムに二人で入り、みるみるスリムに健やんになってます。「マシーン、絶対家にあってもしないよ」というお墨付き。(笑)

同窓会、のぞかせてもらいました。26人で「今年はこじんまり」という言葉に驚いたよ。懐かしい面々、雰囲気たっぷり楽しませてもらいました。参加したわけじゃないのに、何だかしばらく余韻に浸ってたよ。いつか参加できるの、楽しみにしてるね。こんな楽しみができたのも、よっちゃんのおかげ。毎年本当にお疲れ様。

今週も仕事に育児に、無理しすぎないで元気にね。良い日々を!ありがと~!
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