超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

子供が切れる=発振の恐怖

2009-12-05 06:34:50 | Weblog
雰囲気に合わせる(KYする)、
これは自己を否定し、それを肯定することだから、自己も社会も発振する。
即ち、自己を否定することを生きる。

だから切れる子供が正常で、切れない子供が異常だ。
だから社会が子供を切れないようにしなければならない。

*。
この背後にあるものは、異常なエチケット社会だ。

批判無用、これで人も社会も発振する。

しゃかいは主張と批判の正反二成分からなる。
ここに調和振動が発生する。

    *。
エチケット社会は調和振動禁止の世界だ。

こうしていい気持ちになる。
それは感情の発振だ。

これが異常なのだ。

*。
耐性は批判によって成立する。
これをエチケットで締め出す。

批判を許さないことが、エチケットである。
これはファシズムである。

批判は一切無用、これこそ敵味方の排除社会である。

雰囲気に合わせる社会は、異常なのだ。
耐性を無くして、耐性を求める。
多様性に反する。

*。
即ち、自己否定の肯定を人間責任とする。

あまりにも過敏な初期への依存性、
これで世界は狂ってしまった。

    *。
子供を狂わせて、これを制裁する。

制裁するのが異常なのだ。

この自己の異常を見えない社会、
即ち、自己否定の肯定の責任、
この異常を見る社会が正常だ。

拡張ゲーデルの不完全性定理09.12.05

2009-12-05 05:46:50 | Weblog
ゲーデルの不完全性定理は次のように言い換えることが出来る。

文章は無矛盾でも矛盾でも書ける。

従って、現実の文章には、唯一つだけ正しい文章が存在する。

*。
即ち、文章と現実は階型が違う。
こう取ればパラドックスとなる。

文章と現実は、不確定性原理で、遮断されている。
こう取ると、不確定性原理の問題となる。

*。
文章上無矛盾であっても、
それは現実の現象の無矛盾を意味しない。

無矛盾の文章は、現実の無矛盾を意味しない。

無矛盾の文章は、現実の文章の無矛盾を証明しない。

   *。
私は嘘は申しません。

即ち、日本人はゲーデルの不完全性定理を知らなかった。

*。
文章と現実の現象が、区別されていなかった。
意識が、母親と臍の緒で繋がっていた。

日本人は現実に生まれていなかった。

*。
ゲーデルの不完全性定理を知って、現実に生まれる!

ゲーデルの不完全性定理が日本人のイニシエーションだった。
即ち、臍の緒切りだ。

*。
日本人は母親の臍の緒で生きていた。

これを切って出産する日本忍者だ。

秀吉を殺した時 日本は始まる

2009-12-05 05:16:26 | Weblog
日本はまだ始まっていない。
感動伝説「草履物語」に引きこもっているからだ。

草履伝説は、自分が見えない日本人の特徴だ。

自分が見えない日本人は、立身出世・官能・人情に自閉する。
これは秀吉の言いなりなることだ。
即ち、国家に言いなりなる、
即ち、自分が無く、秀吉の奴隷になることだ。

日本人は秀吉の奴隷や家畜だ。
感動伝説をその欠陥を知り、自ら脱出した時、日本は始まる。

日本人は日本が見えない。
その為秀吉伝説や靖国に自分を祭るのだ。

即ち、日本の否定を肯定することを日本責任とする。
日本人を捨てることを、無私無心といい、
そこに上支配が実現する。

  *。
感動や立身出世、幸福や成功は、人間否定の肯定である。

最高裁の共産主義活動禁止は、無効である。
これを守らせることは出来ない。
これが国民の決定である。

即ち、国家原理主義は間違っていても正しいのであり、
国民の決定は正しくても間違っている。

*。
最高裁の決定は無効であり、
守ることの出来ない決定である。

即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことやっている。

ゲーデルの不完全性定理に反することは出来ない。

これが国家原理主義を壊した。

*。
悪法は法ではない。

これがゲーデルの不完全性定理である。

悪法も法である時代はゲーデルの不完全性定理で終わった。

     *。
日本はゲーデルの不完全性定理で、日本を脱出した。

ゲーデルの不完全性定理が日本忍者の背負い投げ一本であった。

*。
ゲーデルの不完全性定理こそは、自分を見ることだ。

最高裁の判決は、自分を見ない人の言い掛かりだ。

無効な法を無効にすることが、良心良識である。
即ち、最高裁は、良心良識を無効とした。

即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことをやった。

*。
法に人間精神を無効にすることは出来ない。

即ち、国家原理主義の時代は終わった。

    *。
国家批判するジャーナリズムの時代は終わった。

国家が無くなったのだ。

国家は自動プログラムで出来ることだ。

*。
世界は人間性不動点追求の時代に入った。

国家を生きるのでなく、人間性を生きる時代に入った。

これが負のエントロピーを食べることだ。

*。
人間性時代の始まりと、日本の始まりが一致した。
これが日本忍者の仕事だからだ。