日本はまだ始まっていない。
感動伝説「草履物語」に引きこもっているからだ。
草履伝説は、自分が見えない日本人の特徴だ。
自分が見えない日本人は、立身出世・官能・人情に自閉する。
これは秀吉の言いなりなることだ。
即ち、国家に言いなりなる、
即ち、自分が無く、秀吉の奴隷になることだ。
日本人は秀吉の奴隷や家畜だ。
感動伝説をその欠陥を知り、自ら脱出した時、日本は始まる。
日本人は日本が見えない。
その為秀吉伝説や靖国に自分を祭るのだ。
即ち、日本の否定を肯定することを日本責任とする。
日本人を捨てることを、無私無心といい、
そこに上支配が実現する。
*。
感動や立身出世、幸福や成功は、人間否定の肯定である。
最高裁の共産主義活動禁止は、無効である。
これを守らせることは出来ない。
これが国民の決定である。
即ち、国家原理主義は間違っていても正しいのであり、
国民の決定は正しくても間違っている。
*。
最高裁の決定は無効であり、
守ることの出来ない決定である。
即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことやっている。
ゲーデルの不完全性定理に反することは出来ない。
これが国家原理主義を壊した。
*。
悪法は法ではない。
これがゲーデルの不完全性定理である。
悪法も法である時代はゲーデルの不完全性定理で終わった。
*。
日本はゲーデルの不完全性定理で、日本を脱出した。
ゲーデルの不完全性定理が日本忍者の背負い投げ一本であった。
*。
ゲーデルの不完全性定理こそは、自分を見ることだ。
最高裁の判決は、自分を見ない人の言い掛かりだ。
無効な法を無効にすることが、良心良識である。
即ち、最高裁は、良心良識を無効とした。
即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことをやった。
*。
法に人間精神を無効にすることは出来ない。
即ち、国家原理主義の時代は終わった。
*。
国家批判するジャーナリズムの時代は終わった。
国家が無くなったのだ。
国家は自動プログラムで出来ることだ。
*。
世界は人間性不動点追求の時代に入った。
国家を生きるのでなく、人間性を生きる時代に入った。
これが負のエントロピーを食べることだ。
*。
人間性時代の始まりと、日本の始まりが一致した。
これが日本忍者の仕事だからだ。
感動伝説「草履物語」に引きこもっているからだ。
草履伝説は、自分が見えない日本人の特徴だ。
自分が見えない日本人は、立身出世・官能・人情に自閉する。
これは秀吉の言いなりなることだ。
即ち、国家に言いなりなる、
即ち、自分が無く、秀吉の奴隷になることだ。
日本人は秀吉の奴隷や家畜だ。
感動伝説をその欠陥を知り、自ら脱出した時、日本は始まる。
日本人は日本が見えない。
その為秀吉伝説や靖国に自分を祭るのだ。
即ち、日本の否定を肯定することを日本責任とする。
日本人を捨てることを、無私無心といい、
そこに上支配が実現する。
*。
感動や立身出世、幸福や成功は、人間否定の肯定である。
最高裁の共産主義活動禁止は、無効である。
これを守らせることは出来ない。
これが国民の決定である。
即ち、国家原理主義は間違っていても正しいのであり、
国民の決定は正しくても間違っている。
*。
最高裁の決定は無効であり、
守ることの出来ない決定である。
即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことやっている。
ゲーデルの不完全性定理に反することは出来ない。
これが国家原理主義を壊した。
*。
悪法は法ではない。
これがゲーデルの不完全性定理である。
悪法も法である時代はゲーデルの不完全性定理で終わった。
*。
日本はゲーデルの不完全性定理で、日本を脱出した。
ゲーデルの不完全性定理が日本忍者の背負い投げ一本であった。
*。
ゲーデルの不完全性定理こそは、自分を見ることだ。
最高裁の判決は、自分を見ない人の言い掛かりだ。
無効な法を無効にすることが、良心良識である。
即ち、最高裁は、良心良識を無効とした。
即ち、出来ないことをやり、
やってはならないことをやった。
*。
法に人間精神を無効にすることは出来ない。
即ち、国家原理主義の時代は終わった。
*。
国家批判するジャーナリズムの時代は終わった。
国家が無くなったのだ。
国家は自動プログラムで出来ることだ。
*。
世界は人間性不動点追求の時代に入った。
国家を生きるのでなく、人間性を生きる時代に入った。
これが負のエントロピーを食べることだ。
*。
人間性時代の始まりと、日本の始まりが一致した。
これが日本忍者の仕事だからだ。