超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

可視化の問題

2009-12-30 07:00:37 | Weblog
日本の司法や警察は、神を殺した組織である。
問題は際限なく展開する。

現在の無実死刑の一部は、
狭山事件と砒素カレー事件だ。

ここで問題になってることは、
狭山事件では、始め家宅捜査した警察官は、鴨居に刃物はなかったことを確認している。
それを法廷で証言するといっている。

それらを裁判官が拒否している。

砒素カレー事件でも、四回目の捜査で、砒素を発見している。

これらは証拠を警察官が後で、置いたことの自白だ。

*。
従って、捜査も可視化しなければならない。

すると担当警察官会議も可視化しなければならない。
すると可視化用と非公式の正式会議がもたれる。
これも可視化する。

*。
すると裁判員よりも、警察の第三者観察が必要ということだ。

これを避けるために、裁判員を置いた。

これが畜生役人の本音だ。

可視化不可欠の時代に、裁判員でごまかそうとしている訳だ!

*。
神を殺したお上には対応がない!
そういう問題だ。

捩れの理由

2009-12-30 06:33:20 | Weblog
国家と国民、国益と個人、
五票格差合憲と一票の権利、
無罪と死刑、
いたるところで捩れる。

そして国家は誤っていても正しく、国民は正しくても誤っている。
即ち、国民の否定が国家の肯定となる。

    *。
何故こうなるのか。

交わらない平行線が妄想だからだ。

*。
ユークリッド幾何学自体妄想だ。

これを公理化した公理論的集合論は、その無矛盾は証明されない。
つまり交われない平行線は、妄想である。

*。
ところで免疫は異物排除である。
だが実際は、異物に殺される人間だ。

排除は原則であって、
病気ではこれが成立しない。

病気可能性にあって、
即ち、病気可能性、即ち、平行線は交わることもある。

そこで交わらない平行線を主張する。

即ち、例外はない。

   *。
国家原理主義は、この例外を認めない。

それが捩れの原因だ。

国家も病気になるとか、狂気に落ちることがある。
それを認めないから、捩れる。

*。
ゲーデル数は、矛盾と無矛盾の交点だ。
これで矛盾と無矛盾が、接合される。

ここで矛盾と無矛盾が、一点で交わる。

かくして、矛盾は無矛盾で、無矛盾は矛盾となる。
矛盾と無矛盾の同一化が、論理の発生点となる。

*。
お上日本はその精神現象を知らない。

単一原理と多様性の交点がある。
それが妄想であった。

    *。
その交点こそは、言葉の発生点だ!
言葉以前は真であり、言葉以後は妄想である。

言葉のある世界と、言葉のない世界、全く違う。

*。
言葉のない命を、言葉で書く。
言葉は矛盾があるから言葉である。

言葉は言葉のない世界の射影だ。
だから何でも出来る訳がない。

*。
日本人は文字を持っていなかったため、言葉以前を知っていた。

これが日本忍者の特性だ。

人間存在の理法 妄想は排除である

2009-12-30 05:38:04 | Weblog
現代は妄想の世紀である。
その結果、小説や映画にしか感動はなくなった。
生命現象がすべて排除された。

この世は、金と官能と感動が支配する。
その対偶は、暴力と腐敗と差別である。

*。
殺すか殺されるかの日本力学は、
いじめ殺すかいじめ殺されれるかの力学となった。

この世を行き抜かなければならない。
この世で魂の安らぎを求めねばならない。

その結果、現世は悪党の世となり、
人は魂に安らぎを求める。

魂の安らぎの対偶は、悪党支配である。

  *。
魂の安らぎは、自分さえよければいいというエゴイズムであった。

ヨーロッパは、皆で魂を安らげる社会を作った。
これが弱者を殺さない社会だ。

*。
ヨーロッパでもいじめ殺しは盛んだ。

少年による殺人事件は、日本の数倍から数十倍である。
少年殺人は、魂の叫びではないか。
日本の事例から推定される。
日本には魂の叫びはない。

まだヨーロッパには、現実で何かする。
日本では非現実に逃走する。

*。
社会が行き詰った。

国家原理主義は、殺人の強要だ。
日本では自殺の強要だ。

死による解決しかない。

     *。
現実の土俵を割らないヨーロッパと現実を逃亡した日本だ。

ヨーロッパは悪党をのさばらせない。
日本は悪党支配となる。

*。
日本は悪党支配だ。

民主党になった日本も、小沢第二自民党支配だ。

魂の置き場所は、悪党であった。

*。
悪党を食って、これを栄養に、日本忍者は活動する。

虐げられたものは幸いである。
人間としてしなければならないことが出来る。

これがゲーデルの不完全性定理だ。

      *。
虐げられたものは、人間としてしなければならないことが出来る。

やってはならないことから、遠ざけられる。
神の祝福を得る立場だ。

これが人間性不動点だ。

*。
ここで生命現象を生きられる。
即ち、生の世界だ。

妄想の世界は、人間性特異点であった。
即ち、死の世界であった。

*。
生の世界は、恐れなき冒険の世界だ。
これが生命現象だ。

言葉を使わないで生きよ。

   *。
生命の意味を見つける文学こそは、生きる価値のない人を生んだ。

即ち、生きる意味は、妄想であった。
生きる価値のない人間を作り、その排除を生きるのだ。

*。
そこに生まれた感動ことは、秀吉の草履伝説だ。

秀吉を殺せ。
日本は始まっていない。

秀吉を殺して、日本は始まる!

   *。
この世は、誹謗・中傷・罵倒の世界だ。

これが負のエントロピーだ。

これを食べて生きる時、生の文明が生まれる。

*。
これが人間存在の理法であった。