鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<787> 230119 お袋が会社にやってきた話(夢十夜の五)

2023-01-19 18:47:33 | 短編小説

 ある日会社の事務所に行くと、私の机の椅子に母親が座っている。

 驚いて「どうしたの?」と聞くと、なんでも暇だからお前の働く職場が見たくなった、というような事をごにょごにょ言っている。不思議と周囲は別に気にも留めないようだが、私としても仕事があるのであまり母親の相手はしていられない。

 なんだか手持無沙汰な様子でそわそわしながら座っている。お袋が読めそうな雑誌があるので、「これでも読んでいてよ。お昼になったらご飯を食べに行こう。」と話すと、そうだねえ、そうしようかねえ、と答える。

 そうしてあっという間にお昼になった。「お袋、じゃあご飯を食べに行こうか。すぐ下の階が社食だからそこでも良いかい?」と聞くと、もじもじして周囲をチラチラ見ている。
「でも、会社でお昼を食べると、ずいぶんかかるんだろう?今日はあまり持ち合わせがなくってねえ。」と小さな声で恥ずかしそうに言う。どうやらあまりお金を持っていないらしい。

「心配しなくて良いよ。昼飯くらい奢ってやるよ。」と言うと、お袋の顔がパッと明るくなった。「そうかい、悪いねえ。」

 そうして二人で連れ立って社食に向かった。


 そこで目が覚める。短い夢だった。

 今まで夢に出てくるお袋はほとんど忙しくしていた。夢の中で私が実家に行くと決まって料理を作っており、「おまえが来るって言ってたから料理しているんだよ。夕飯まだだろ?」などとてんぷらを揚げていたり、鍋をかき回していたり。
 晩年、実際には起きる事も出来なくなっていた母親だったが、夢の中では「いつまでも寝ていられないよ!おまえに夕飯つくらなけりゃいけないだろ?」と。夢の中のお袋はいつでも元気だった。

 生きている間は、祖父の面倒を見て、二人の息子の面倒を見て、親父を看取って。ずっと忙しくて休む間もなかった母親だが、あの世に旅立ってようやく一息つく事ができて息子とお昼ご飯を食べに来たのだろう。

 翌朝、お袋の遺影の前にみかんと甘いものを供えた。


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