毎度!ねずみだ。
冬物と夏物を入れ替えていたら、昔の手紙やら写真が大量に出てきた。どこかに紛れていた昔の記憶が一気に戻ってくる。
その中に。
平成16年の日付の、とある方からの手紙が出てきた。今から13年まえ、私がまだ37歳の頃である。その女性は私より二つ年上で、何かの拍子に鼠丼を読んで読者になり、メールのやり取りをするようになった方だった。
膠原病で入退院を繰り返していた彼女からもらった何通かの手紙がその中にあった。東京に来ることがあって、その際に一度だけ会ったのだが、残念ながらそれから2年後に亡くなってしまった。
その手紙には体が弱くなって出歩くことが少なくなったが、以前に行った海にもう一度行きたいとあった。最後に携帯に来たメールには「私の体は病気のデパートです。」と。彼女が亡くなったのはそれから間もなかった。彼女の携帯に私の電話番号があったからだろう、彼女の母親から電話があり、彼女の死を知った。
ふいに止めどなく涙があふれてきて止まらなくなってしまった。理由は分からなかったが悲しいとか寂しいとか、そういう感情ではない。今はもう亡くなってしまった彼女の文字が手紙にしたためてあり、それを読んでいる自分がどんどん年を経ている、それが不思議に思えたのかもしれない。その手紙を読んでいる間、彼女は確かに私の記憶の中で生きている。そんな突然の感情が涙のわけだった。
過去に書いた文章のなかに埋もれているがこんな事を書いた記憶が。
私たちは皆トラックをぐるぐる走っている。夜なのでトラックを照らす明かりが。一周回ってくると一つ年をとる。私より2周だけ先を走っていた彼女が立ち止まった。しかし彼女はそのトラックのすぐそばに立っていて、私に声をかけている。
彼女の前を通り過ぎ、彼女の声援を背中で聞きながら私はもう一周する。すると彼女が「もう一周で私と同じになるよ。」と声をかけた。
私はまた一周して彼女と同じ歳になった。そしてまた一周。ひとまわりする毎に彼女と会話を交わしまた一周。彼女は41歳のままで、当時39歳だった私はいつの間にか50歳になってしまった。
永遠に41歳のまま、彼女は私の中で、彼女の母親の中で、そして彼女を知る周囲のすべての人たちの中で生き続ける。
じゃ、また次回。