鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<769> 年頭に思う事が浮かばないので

2022-01-26 18:19:22 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 忙殺されている間に1月も終わろうとしている。とりあえず、明けましておめでとうございます。
 
 このところあまり良い事もなく下ばかり見て過ごしている。なんとか死なない程度に暮らしていけているのを「ありがたい」として生きていかなければならないのだろう。
 皆さんにおかれても、なんとか世知辛い世の中に殺されることなく毎日を生き抜いて欲しい。寝る前に布団の中で「なんとか今日も生き延びた」と思い、それを幸せと呼ぶようなつつましい幸せを握り明日も生きれば、いつか笑って話せる日が来るかも。

 世の中は上を見ればキリがないが、下を見てもキリがない。世の中の基準に照らして、いったい自分がどのくらいのところにぶら下がっているのか時々ふと考えてみる事がある。そしてすぐに「考えてみたところで何が変わるわけでもない。」と思い直して今日も地下鉄に揺られている。
 コロナの第六波がすぐ身の回りまで来ており、会社でもあちこちで発症したり濃厚接触者になったりで、テレワークで家に引っ込む人が増えている。東京では毎日1万人を超える感染者が増え続けているのだから、遅かれ早かれ私も感染するに違いない。症状が出ない(または症状が極めて軽い)人も多いそうだから「うつっても仕方ないか」と諦めている自分がいる。

 さて、閑話休題。

 お袋さんは12月末にリハビリ病院を追い出され、特別養護老人ホームに入るために順番待ちをすることになった。その間有料老人ホームの世話になることに。 
 コロナの影響で面会することも出来ないが、アマゾンで購入したアレクサという、テレビ電話機能を備えたツールを枕元に置かせてもらい、ベッドの上で横になっている時だけ顔が見えたり声をかけられるようになった。

 お袋はこの2年で一気に老け込み、歩けなくなったり痴呆が進んだり。テレビ電話越しに声をかけても10回に1回反応するかどうか。声をかけてもテレビから垂れ流される映像を見ていて、こちらを見ようとしない。このツールはこちらから話しかけない時は写真を次から次へと映している。フォトアルバムには、お袋がまだ若かったころの白黒写真や、私や兄がまだ幼かったころの写真、若い頃の親父も一緒に映った家族写真などを登録しておき、次から次へと我が家の歴史を写すような設定にしてある。
 お袋には、まだ楽しかったころの写真を見て、家族が幸せだった時間を夢の中で過ごして欲しい。それとも今のお袋にはそれすら無理なのかも。

 この頃よく思うのだが、人間を人間たらしめるのは「自分以外の存在との関係」ではないか。お袋を見ていてそう考えるのだが、自分のアイデンティティーをすべて失った時、人は人として生きる事を諦めてしまうように思う。母親は子供がいるから母親を頑張れるのだし、父親は家族がいるから今日も会社に行く。子供は親に褒められようと勉強を頑張り、夫を亡くした奥さんは同じような境遇の奥さん連中と旅行に行くことを楽しみに今日も掃除機を動かす。
 そういったものを全て失った後に、空っぽの体を維持しようと最低限の栄養を摂取して「死なない程度に生きる」事は果たして「生きる」という事なのか。親父の世話を終えて、子供たちは巣立ち、掃除すべき家から離れ、話していた近所の方達とのつながりを手放したお袋は「生きなくてはいけない」と考える事をやめているような気がする。生きることを終えているような気がしてならない。

 それでも。
 差し入れのプリンにお袋の名前を油性ペンで書き(ほかの入居者に食べられないように)レジ袋に入れて施設の方に渡す短い時間、窓越しにお袋の顔を見かけて手を振る。(コロナの影響で面会は禁止されている。)介護の方が「息子さんが手を振っていますよ。」と声をかけたのだろう、お袋が弱々しく手を振った。彼女はマスクをした息子の顔を認識できたのだろうか。

 じゃ、また。