鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<647>

2014-05-31 17:34:43 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 昨日47歳になった。

 知る人ぞ知る「ねずみホ-57号通信」から始めた拙サイトだが、いつの間にかこんな歳になってしまった。もう何年ネットに駄文を垂れ流し続けているのだろうか?もしかして誰かが未だに読んでいるかもしれないという淡い期待を胸に続けているのだ。サイトを始めたころは(アラビアンナイトを模して)1,001回でやめようと思っていた。始めたころは結構なペースで更新していたのであっという間に終了~、と思っていたのだが、このペースだと死ぬまでに終わりそうにない。

 おっさんの誕生日なんてめでたくもないだろうと考えていたのだが、驚くことに何人かから「誕生日おめでとう」のメールが送られてきた。その中にはこの「鼠丼」の読者(推定一億人弱)から送られてきたものが一通あった。携帯へのメールだったのですぐにレスポンスを返したのだが会社からの帰り道、そのメールを見てなんだか気持ちがほっこりし、殺人的な仕事の忙しさを束の間忘れさせてくれた。もーちゃんありがとね。
 なんとも言えない、恥ずかしいようなくすぐったいような不思議なこの感触はなんだろう。別に普段会話を交わしているわけでも会っているわけでもないのにメールという、目に見えない細い糸のようなツールでつながっているという、この感じが私は好きだ。手紙だと書くのもポストに投函するのも面倒だが、携帯やPCだと手軽に言葉を紡ぎだせる。かしこまって文脈を考えたりしなくても何度もデリートして書き直せ(打ち直せ)る。

 手紙に比べて気持ちがこもってないなどと言う輩もいるだろうが、私はそんな事はないと思う。何度も言葉や文章を推敲できるし、書き直せない(こともないが)書き文字と違って気持ちを的確に表す言葉も何度でも打ち直すことができる。手書きの手紙と比べて自由度がはるかに高いと思う。

 ウィンドウズXPのウチのPCのセキュリティーを心配した奥さんが、新しいPCを買ってくれたこともあって久しぶりに更新しているのだが、PCに向かってキーを叩いている間は束の間普段の生活を忘れられる。会社での仕事のことだったり、まだまだたっぷり残っている家のローンであったり。
 PCに触り始めたころから文章を紡ぎだしていた私だが、鍵盤を叩いているこの瞬間はあのころのままの自分だ。ネット上の隅っこのほうで文章を垂れ流すのは気持ちの良いマスターベーションのようなものなのだ。その時々の瞬間に自分の感じたありのままの考えを残せるこの場所は、実にありがたい。枯れた古井戸に小石を投げ込むようなこの行為だが、まだまだ続けられるうちはおつきあい願いたい。

 ということで、また次回。