鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<808> 240527 ねえ、おぼえてる?

2024-05-27 19:17:39 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 表題の「ねえ、おぼえてる?」というのは最近知った絵本の題名。母親が父親と離婚してしまい、母親と二人の生活を始めた男の子の話だが、その内容については割愛する。

 ねえ、憶えてる?とは何とも素敵な言葉だ。親しい人との会話を始めるきっかけとしては最適なのではないか。
 私の両親はすでに亡くなってしまったが、彼らが生きていた頃、毎週末に顔を見に行っていた際によくこの言葉を使っていたことを思いだした。

 残念なことに晩年になると彼らの記憶もあやふやになってきて、色んな記憶がごっちゃになってしまっていた。それでも「ねえ、憶えてる?」ときりだすと、いくつかの他愛のないストーリーを嬉しそうに語っていた。
 全く関係のない旅行の話であっても、「そうだね、そんな事があったね。」と相槌をうつと満足そうに眼をつぶって、記憶の引き出しの中から風景だったり会った人だったり、食べたものだったりを引っ張り出していたのだろう、実に満足そうな笑顔を見せたものだ。
 後悔しても遅いのだが、もっと父親や母親と「ねえ、憶えてる?」と話せばよかった。

 人間の記憶というのは都合よく出来ていて、つらい思い出は遠くの方に押しやって、楽しい思い出だけ手元に残しておくように出来ている。
 もちろんそれは私にも当てはまり、両親との思い出は(もちろんつらい事もあったが)楽しいものしか残っていない。もう何十年も昔の他愛のない思い出が生き生きとした色彩や音、香りまでもともなって蘇ってくる。不思議なのはそんな現実の思い出とともに、ほんの数秒の間に見た夢の思い出も混ざっている。
 布団の中でそんな優しい思い出たちをたどりながら、微睡むのである。多分いくつになっても変わらない、至福の時間である。

 妻はものすごく記憶力が良く、彼女に「ねえ、憶えてる?」と聞くと私が完全に忘れ去っている事柄まで詳らかに語ってくれる。話をする際の楽しそうな顔を見ると、改めて誰かと時間を共有するのは良いものだ、とつくづく思う。そうして、ほとんどの場合「そうだね、そんな事があったね。また旅行で行きたいね。」という話で締めくくられる。
 いずれはお互いに少しずつ記憶力が衰えていくだろうが、その時でも「ねえ、憶えてる?」と笑いあえるような暮らしをしたい。

 この素敵な言葉、ぜひ沢山使ってみて欲しい。

 ねえ、おぼえてる?



<807> 240520 忘れない事と忘れる事の差は

2024-05-20 18:38:53 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 今回はメモリーの話。 

 パソコンのメモリー。CPUが演算処理する間、一時的にデータを記憶する装置でギガバイトやテラバイトという単位であらわされる。

 今会社で使用しているデスクトップのメモリーは8ギガバイト。20年前に使っていた会社のでかい筐体のPCは256メガバイトだった。1ギガバイトは1,024メガバイトだから、当時の32倍である。どうりでどんなでかいデータを扱ってもサクサク動くはずだ。
 昔,でかいエクセルのデータを扱ってしょっちゅうPCが止まってしまうので、仕事をほとんどしない上司のPC(512メガバイト)を開け、メモリーをこっそり1枚引っこ抜いて勝手に自分のPCに増設したことがあったっけ。仕事なんかほとんどしていない上司だからばれないだろうと高を括っていたら「なんか最近パソコンがしょっちゅう止まるんだけど・・・。」とシステムの連中に電話しやがった。
 社内のシステム屋がPCを確認して、「512MB仕様だったのにメモリーが減ってますよ!」と騒ぎになり真っ先に私が疑われた。懐かしい。

 さて。

 最近の大容量パソコンとは違い、人間のメモリーは悲しいほどに少ない。特に私はメモリーが少ないうえにCPUの処理スピードも遅い。恐らくどこぞの基盤が傷んでいるに違いない。
 もうすぐ人生57週目に入るのだが、すでにメモリーカードが満杯になっており、新しい事を憶えようとするとどこかで古い事が押し出され忘却の彼方に消えてしまう事が多くなった。もしかしたらメモリーの容量自体がさらに少なくなっていくのかもしれない。全部で2バイトくらいしかないのか。

 強烈な刺激を伴ってメモリーに書き込まれた案件であれば記憶しておけるのは当たり前だが、子供の頃に体験した、どうでも良いような事を数十年経ても憶えているのはどういう仕組みだろうか。ほんの数秒みただけの夢の内容まで憶えているのはさらに不思議である。

 子供の頃、しょっちゅう熱を出す子供だった私は、水枕に頭を乗せよく同じ夢を見た。
 夏の夕暮れ時に、古い町並みの間を抜ける細い道を歩いている。足の下はアスファルトではなく乾いた土で、歩くたびに土ぼこりを上げてザッザッと音がしている。左側は白く長い土壁がどこまでも続いており私の足音以外全く音がしない。
 どれだけ歩いても誰にも出会わない。ただ長い影をひきずってトボトボを歩いている。ようやく土塀が切れたところで左に曲がると誰かの家の軒先が見えるが人の気配がない。庭の切れ目まで行くとはるか下に細い川が流れているのが見える。私はあきらめてもと来た細い道にもどり、
また延々と歩き続ける。そんな夢だ。
 キリコの絵を初めて見た時、自分の見た夢に似ている事に驚いた事がある。誰もいない町でタガ回しをしている女の子と町の向こう側の影だけが見える、有名なアレである。見ているものを不安にさせる。

 文字にしてしまうとなんていう事も無い夢だが、夢の中の私はただただ不安である。不安は子供の私にとって恐怖と同じであった。目が覚めるとひどく汗をかいていて、ああ夢で良かった、と独り言ちる。
 こんなくだらない夢を憶えているよりも、もっと他に憶えておくことがあるだろうと思うのだが、私の少ないメモリーの中でこの記憶はいつまでも居座っている。

 できれば楽しい記憶だけ憶えておきたいものである。亡くなった両親に関してもそうだが、毎日の生活の中に時々起きる、ささやかだが幸せに感じる瞬間だけを大切にメモリーに刻み付けておきたい。
 いつかさらにメモリーの容量が少なくなったり、CPUの処理スピードが遅くなってしまう事は避けられない。その時に嫌な記憶は全て無くなっていて、幸せな記憶だけに包まれていれば、どんなに幸せだろう。 

 そんな事を考えて、自分の脳みそに保管できない言葉たちを鼠丼の外付けハードディスクに収めている。

 じゃ、また。


<806> 240516 傷つきたくないから選択しないという選択もある

2024-05-16 19:22:16 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 先日、社内で2歳年上の先輩と話した時の事。

 その方は親の残した家もあり、独身でそこそこのお金を持っている。ウチの絶望印刷会社の株もかなり持っており、老後は悠々自適の様子。

 結婚するしないという話になり、「一人でいると寂しい時がありませんか?」という質問をしたところ、「一人はいいよ、気楽だ。」という答えが返って来た。
「寂しいか寂しくないか」という問いだったが、「気楽で良い」という答えにすり替えられている。気楽で良いかどうかなんて聞いていない。
 まあそこを突っ込まないのが大人のルールなので、そうですか、と言って他の話題に。

 私の場合何度も失恋してそれなりに傷ついたりしたのだが、それでも数年間一人暮らしをしているうちに猛烈に「一人は寂しい」と思うようになってしまった。そのタイミングで父親の知り合いから今の妻を紹介されて、その後なんだかんだあった末に今一つ屋根の下で一緒に暮らしている。
 会社から疲れて帰った際に「お帰り。」と言ってもらえるのは何よりの癒しになる。疲れが吹っ飛ぶというのは言い過ぎだが、ホッとできる。
 
 そもそも人間という生き物は極めて社会性の高い動物で集団生活を営むことが大前提に作られているので、どう考えたって皆一人で生きていくのは寂しいに決まっているのだ。実家で親と一緒に暮らしている間には気づかないだろうが。
 仕事終わり、疲れて電車に揺られて最寄りの駅を出て真っ暗の部屋のドアを開ける時。テレビの下らない番組を見ながら、思わず笑ってしまってその声に反応する者がいない時。布団に入って「お休みなさい。」と言いあえる者がない時。美味しいものを食べて「美味しいね。」と言いあえる者のいない時。

 誰もが経験しているその寂しさを埋める相手(男でも女でもどっちでも良い)がいないという瞬間は、何物でも埋める事ができない。それを分かったうえで誰かと一緒に暮らさないのはなぜなのか。

 恐らく「告白して失敗した時のみじめな自分を認めたくない」からに他ならない。皆傷つきたくないのだ。あるいはそのような場面を想定して「もしかして失敗するのであれば、初めから選択するような場面は避け」ているのだ。

 マッチングアプリがその良い例。どうしても「誰かと結婚したくて」それでも自分が傷つくかもしれないのであれば、そんな「危険なプロセス自体を経ずに「初めから自分を選んでくれるかもしれない良い条件の人を探して貰えば良いじゃん」というもの。
 自分に合う(かもしれない)相手、自分の理想(を満たすような)相手を他人任せにしてしまう。タイムパフォーマンスが良いと言われればそれまでだが、その裏には自分が傷つかないように予め自分のレシピを紹介しておいて「私はこんな者ですが、もしよろしければ連絡ください。できれば良い条件のかた」としておけば、いちいち会って確認して失望したり傷ついたりしなくて良い、という打算が。(成功する確度が非常に高い、というのもあるが。)

 以前マッチングアプリで結婚した会社の後輩に聞いてみたことがあった。「だって、条件に合う人を自分だけで探すのって、時間の無駄じゃありません?マッチングアプリで自分の情報を知っている人と会えば、成功の確率高くなりますよね。」と言われぐうの音も出なかった事があったが、その裏には「傷つくのイヤだもんね。」という本音もあるに違いない。

 先の先輩もそうだ。「傷つきたくないから予め選択するような局面に自分をおかない」のですよね?傷つく自分を想定しているから恋愛しないのですよね?
 それでもやはり、年老いた時に隣に自分の事を考えている人がいないのは、寂しいとは思いませんか?

 大きなお世話と言えば大きなお世話か。

 じゃ、また。



<804> 240403 春はさなえの季節です なので

2024-04-03 19:18:02 | 日記
 毎度!ねずみだ

 子供の頃、春になると、は~るはさなえの季節ですぅ、というCMがこれでもか、というローテーションでテレビで流れていた。
 1975年から1982年の間に流れていた井関農機(ヰセキ)のCMである。うら若き桜田淳子が太もももあらわに稲を植えている姿にドキドキしたものである。いんや~ねずみも歳をとりました。
 
 それはそれとして、春は出会いと別れ、そして旅立ちの季節である。かく言う私も20221に異動願いを出し、まだ設立して間がない事業部へと移った。人生いたるところに青山あり、である。
 異動願いを出すのにはそれなりに決意が必要であるが、歳を経てからだとさらに気合と根性が必要である。通常誰もが「現状維持と安定」を望みがちで、事なかれ的に日々が過ごせれば良いと考える。経験者なら分かると思うが歳をとってから異部署でゼロから始めるのは、希望よりも不安の方が多い。
 
 それでも。金銭面やしがらみやら仕事の実績、家庭事情など数えきれない程のファクターを精査して、その結果たとえ僅差でも異動を選んだのであれば異動した方が良いのだ。

 同僚の女性、定年までもう少し、という方がこの4月から全く畑違いの部署に異動した。本人の希望なのでウェルカムな異動である。
 私のところに挨拶にきたので、「上手い所に飛び込んだね。」というと彼女はびっくりした様子を見せた。前の部署ではバリバリに仕事をしていた方なので、移動先を聞いて周囲からは「なんでまたそんなところに?」と驚かれたそうだ。ネガティブな周囲からの意見の中で「うまい所に飛び込んだね。」というポジティブな感想をしたのが私一人だけだったらしい。

 彼女が異動を決めたのにはこんな背景がある。

 今までの部署では出張のために家を空ける事が多く、娘さんが(相談したい時に相談したい母親がほとんど家にいなかったという理由で)不満が募ってとうとう不登校になってしまったそうだ。もちろん娘さんが不登校になった経緯はもっと複雑だったろう。それでも相変わらず忙しすぎて、そんな娘と向き合えなかったらしい。
 それでこれを機に出張の無い職種への移動を願い出たそうだ。これからは毎日定時に帰り娘と向き合う時間を確保したい、という。

 今までの実績が勿体ないというのが周囲の認識だったらしいが、私からすれば、娘さんと向き合う時間を最優先にしたいのであれば、その他のファクターなんぞ、クソみたいなものだと思う。彼女がそう判断したのであれば、周囲はそれを評価してあげるべき。

 長い間会社で人生をすり減らしていると、価値観は変わってきてくる。若い頃どうしても手に入れたかったものが歳をとってからは全く意味のないものになったり、逆に若い頃意味を持たなかったものが歳を経てからは大切にしたいものに変わったり。
 私自身、こうして定年まであと数年を残すだけになってみると、両手に乗るだけの、自分にとって純粋に価値あるものだけを少しずつ手に入れれば充実した余生を過ごせる、そんな気がする。

 だから、年相応に変わって来た「自分にとって価値あるもの」を手に入れるためには、全く畑違いの部署へは、気合を入れてえいっ!とばかりにジャンプして飛び移ってしまえば良い。 

 今回の結論。は~るはさなえの季節ですぅ、と同時に出会いと別れ、そして旅立ちの季節でもある。 

 じゃ、また。


<803> 240201 旧友からの手紙は嬉しいものである

2024-02-01 19:36:11 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 学生時代の旧友から会社のアドレス宛にメールが来た。

 以前属していた職場の後輩が旧友の会社に訪問した際に、〇〇会社なら(私の)名前を知っているかな?と聞かれたらしい。よせばいいのに後輩は「知ってます!めちゃくちゃお世話になりました!」と言ってしまったらしく、旧友から私の会社アドレスにメールが届く、という運びに。

 学生時代。当時はバブル期だったこともあって、将来に対する不安などというものとは無縁な4年間を過ごした。就職なんてなんとかなるだろ、というノリだった。
 その友人が山形から出てきてワンルームマンションに住んでいたこともあって、あっという間にたまり場になっていた。私達はしょっちゅう遊びに行き、夜中まで(というか明け方まで)麻雀を打ったりビリヤードに行ったりギターをつま弾いたり。

 あれから35年が過ぎ去り身体は衰えてしまった。しかし気持ちはいつまでも歳をとらないので、あっという間に当時に引き戻される。 

 いや、懐かしい。本当に懐かしいの一言に尽きる。

 仲間でもなく同士でもなく、親友でもなく。
 「ただの友達」という響きが良い。関心と無関心の間、しがらみの有る無しのちょうど間。つかず離れずの、本当にちょうど良い距離に居てくれるのが「友達」である。

 この歳になると友達があらたにできる事は少ない。(友達という関係になるにはある程度エネルギーが必要なのかもしれない。)別に大事にしてもしなくても奴は友達である。何年も会わずとも友達である。それはこれまでもこれからも変わる事はない。おそらく彼も同様に思っているだろう。

 今はお互い忙しい身体だし家族の事もあるので、なかなか時間を共有する事はできないのが実態だが、ギターが共通の趣味である。(なんでも電子ピアノを購入したらしい。)
 引退したら、ギターを担いでそのへんの公園で再会して「歌本(歌詞とコード進行だけの簡単な譜面のようなもの)」を手に懐かしのフォークソングや歌謡曲をハモってみたい。

 その後でそのあたりの居酒屋で再会を祝すのだ。

 話す内容はあの頃と同じレベル。
 くだらない話と、下ネタと、サークルの女の子の話と、中学生レベルのダジャレ。そしてまたくだらない話。

 誰も仕事や家族の話なんか一切しないのだ。普段の生活にぶら下がったヘビーな話は必要ない。

 それが、ただの友達。

 じゃ、また。