鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<662>

2015-06-02 16:33:58 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 今年で入社25年目になる。そして先日48歳の誕生日を迎えた。

 いくつかの部署で様々な仕事を経験し、そこそこの経験値を積んできた。気持ちは常に前向きで、目の前に立ちはだかる壁が高くても逃げることなく真っ向勝負してきた。そんなアグレッシブな気持ちに身体は応えてくれていた。

 ところが、最近気持ちに対して体力が少しずつ追いつかなくなってきた。ここぞと言う時に、爆発力が発揮できなくなってきたのだ。車のエンジンで例えると、アクセルをベタ踏みしても回転数が高回転域まで回らなくなってきた、そんな感じだ。若い頃はモリモリとトルクが発生したのに、なんだか頼りない。
 心はあせり始め「おい、体よ、どうした!?ついてきてないぞ!」と疑問詞を投げかけるようになってきたのだ。順調に行けばあと13年以上は働かなくてはならないのに、こんなんで大丈夫なのだろうか?

 入社した頃は48歳のオヤジ連中を見て、「わー48歳ておっさんだー。疲れきっているー。あんなにはなりたくないねー。」と思っていた。実際自分が48歳になって「まだまだ行ける!余裕だぜ!」と強がってみても、体が少しずつ悲鳴を上げるようになった。
 夜7時を過ぎると、集中力が持続せず「モウ今日ハソロソロ限界デス。」と身体が白旗を揚げる。8時になると身体が勝手に「本日ノ営業ハ終了デース!」と帰り支度を始めるようになってきた。以前は9時10時まで仕事をぶん回していたのに。

 そろそろ仕事の仕方を変える時期にさしかかってきたのかもしれない、というのは分かっている。このペースで仕事をするのにはもう若くないのも分かっている。
 多分、22歳と48歳では同じ仕事でも処理スピードを変えるべきなのだろう。しかしそんなマニュアルがあるわけではなく、なんとなく現実に迎合して「まあ、こんなものだろう。」と諦めながら仕事を続けるのだろう。長年酷使してへたれてきたエンジンを思いやって、すこしずつアクセルを踏む足を緩めるべきのかもしれない。

 言葉を変えれば「諦める」ことになるのだが、それは致し方ないのだろうか?なんとも歯がゆいばかりである。世の48歳はどうしているのだろうか。身体にあわせて心もペースダウンするのが正しいのか。

 うーむ、誰か教えて欲しいものだ。