鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<666>

2015-09-16 18:16:52 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 都内某所にグリコのおまけみたいな狭小住宅を30年ローンで購入して、ふくれた地下鉄で核心に乗り込んで5年くらい経つのだが、別に決戦は金曜日じゃない。ドリカムよ、決戦は何曜日が正しいのだ?

 最近はどの電車に乗ってもそうなのだろうが、ほとんど全ての乗客がスマホをいじっているかスマホをいじっている。そうで無いヤツはスマホをいじっている。ぎゅうぎゅうになってもスマホをいじっている。なんか宗教みたいで気持ち悪い。私は電車の中でスマホをいじるのが嫌いでなおかつ痴漢にまちがわれないようにするため、つり革を掴んでじっと目を閉じている。
 仕事で脳みそをフル回転させるために、できるだけ電車の中では妄想したり変なことを考えたりエッチな事を思い描いたり脳みそに負荷をかけないようにしている。それでも周囲であたりかまわず話すガキ共の話がイヤでも耳に入ってきてしまう。

 女子中学生と思しき二人があたりかまわずでかい声で話している。

A:「○○(クラスの男子?)ってさあ、ヤバくない?」
B:「えー、うそ!確かにヤバい。顔とかさー、マジヤバい。」
A:「昨日とかさ、数学の時間、超ヤバかった。」
B:「やっぱそう思った?ヤバすぎて死ぬかと思った。」
A:「顔だけじゃなくて、言動とかもヤバいんだよねー。」
B:「前からあんなにヤバかったっけ?」

 という内容が延々と続く。

 なんだろう、○○君がどういう人物なのか凄く興味が湧いてきたぞ。
 
 じゃ!

 

<665>

2015-09-16 17:41:52 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 恥ずかしい話だが、この歳になっても「なじみの店」と呼べる店がほとんど無い。結婚するまでは週に8回くらい飲みに行っていたのだが、結婚後はあまり飲みには行かなくなったので、当然と言えば当然。
 本当はいっぱしのサラリーマンみたいに「いや~、顔が利く隠れ家的な店があってさ~。俺が連絡入れれば席空けてくれるよ。」などと言ってみたいものである。

 会社の近くに夫婦でやっている小さな蕎麦屋があって、そこでたまに飲んでいる。絶妙な塩サバを供してくれるので、サバがおいしくなる季節を狙って行くと、「お、久しぶり。」とちゃんと憶えていてくれる。憶えていてくれると嬉しくなってちょくちょく顔を出すようになるのだが、やがてインターバルが空くようになる。そんな事を毎年繰り返している。

 もう1軒。実家から車で20分程度の場所にある小さな洋食屋なのだが、年に数回ではとても常連とは呼んでもらえないのに、それでも顔を出すと店のマスターも奥さんも「久しぶりですね。」と迎えてくれる。
 料理の味付けが結構凝っていて、ワインだかブイヨンだかじゃぶじゃぶ入れているようで、結構味付けがしっかりしている。

 行くと大概カウンター席に案内される。カウンター席のすぐ向こう側でマスターと奥さんが働いており、事ある毎に話しかけて来る。話好きの夫婦で、要は客相手に喋りたいのだろう。
 料理を褒めるとますます饒舌になって、「カレーが余っているから食べてよ。」とか「肉多めに盛ってあるからね。」など色々サービスしてくれる。それはそれで嬉しいのだが、普段から夫婦ともに小食なので必至になって料理と格闘することに。

 家の近くに小さなイタリア料理屋があって、デザートで出すカボチャのプリンが絶品。土曜日の昼にちょくちょく顔を出すのだが、料理人がウェイトレス以外厨房から顔を出さないのでなかなか顔を憶えてもらえず「なじみの店」とは呼べそうにない。店に足を運ぶ頻度からすれば、上述の2店より頻繁なのに。
 顔を憶えてもらったところで、「ピザ1枚サービスね。」とはいかないだろうけど。

 まあ、他愛の無い話である。

<664>

2015-09-14 16:36:59 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 奥入瀬渓流に行って来た。私が国内で訪れたい数少ない場所の一つで、念願がかなった。

 まだ20代30代の頃は多少遠いところでも車で出かけており、電車やバスといった公共機関に縛られる旅行はしていなかった。端的に言うと旅行のプランを立てるのが面倒なのである。電車の時間が何分で次に乗り換えるバスの時間が何分だからこの位時間が空く。ここの時間を利用してどこ此処に立ち寄って食事をして・・・、というのが苦手である。
 
 一方、奥さんはこのあたりが得意らしく、新幹線の発車時間を見て「ここでバスを利用して此処でご飯を食べようよ。何分あるからこのバスに乗って駅に戻れば・・・」などと嬉々としている。学生に鉄道の旅を楽しむサークルに入っていただけのことはある。こういうのは奥さんに任せるに限る。

 新幹線で八戸まで行き、そこにホテルからの送迎バスが迎えに来る。事前に調べてみると八戸駅は新幹線停車駅とは思えないほど閑散としており、食事できそうな栄えている場所へはバスでの移動となった。
 八食センターという、お土産屋から海産物屋、食べ物屋まで揃う場所に着くと、港が近い事もあって海鮮が充実していた。多くの店で海鮮バーバキュー用の食材を用意しており、私達もそこで食材を調達して焼き網を前にして食事をとる事に。焼き物だけでは勿体無いので刺身もいただくことに。のどぐろとひらめの刺身を食べたのだが、旨すぎてめまいがした。

 さて、八戸の残念感と海鮮の旨さは置いといて、奥入瀬である。
 八戸からバスに揺られて100分、街を抜け田んぼを抜け、十和田湖の手前まで着く間にうつらうつらとし、宿に着くと荷物を置き早速奥入瀬渓流行きのバスに。
 夕方5時という時間と生憎の小雨交じりの雨の影響で、ブナの林の中を流れる渓流は薄暗い。まあ翌朝天候が回復することに淡い期待を抱きつつ、流れのすぐ脇のぬかるんだ歩道に降りた。
 以前にも何度か書いたが、人は海や川といったものに対峙すると、ものすごく落ち着く。理屈ではなく、DNAが欲しているのだ。目を閉じて渓流の音を聞く。雨に濡れた空気を感じ、木々の香りに包まれると、脳みそのシワが伸びるような不思議な感覚に浸ることができる。懐かしいような待ち望んでいたような、不思議な浮遊感に包まれる。

 これである。景観の良さもさることながら、待ち望んでいたのはこの不思議な感覚である。期待していたとおりの安心感に体中が喜んでいる。
 日本人は古来から水の傍で生活していた。川にしても海にしても、人間は水の音を聞くと安心する生物なのだ。
 
 映像でしか見たことがなかった奥入瀬のほとりで、翌朝モーニングコーヒーをいただいた。ホテルの粋なサービスである。川の音を聞きながらのコーヒーは格別であった。連日の雨でぬかるんだ川沿いの歩道を進むためにホテルで長靴を借りてしばし散策を楽しんだ。
 せっかくの旅だったが、一泊しかできなかった。ホテルを出た途端に「また来たいね。どう?」と問いかける奥さんに「そうだね、また来よう。いつが良い?」と返す。間髪いれず答えが返ってきた。
「紅葉の時期に来たいね。」

 紅葉の時期?来月である。まあ、来月もう一度来るのも悪くない。