鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<705>クリスマスプレゼントと言えば

2016-11-17 18:28:32 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 毎年この時期になると新聞の折込広告の中に、玩具の写真がちりばめられたものをちらほら見るようになる。勿論この年になってそのような広告に心躍るようなアレでは無いのだが、幼少の頃は心ときめかせて眺めていた記憶がある。

 別に貧乏な家庭に育ったわけではないが、母親が1枚数円の宛名書きのような内職をやっていたのを目の当たりにしていた事もあって、澄んだ目をして「あれ買って!これ買って!」などと叫ぶような子供ではなかった。デパートの玩具売り場で「買ってくれなきゃ動かない!」と駄々をこねるような真似もした事がない。

 そんな幼少時のささやかな楽しみが新聞の広告の中にこうした広告を見つけることだった。4歳年上の兄と頭を突き合わせて広告を覗き込み、「お前は何が欲しい?俺はこれが良いな。」「お兄ちゃんそれね。じゃあ僕はこれ!」と玩具を指差し、いつまでもうっとり眺めていたものだ。
 眺めていれば満足で、実際に母親にねだった事はほとんど無かったのではなかったか。先日母親とふとそんな話になった折、「そんな事はない。何も買ってあげなかったなんて人聞きの悪い事を言うもんじゃない。」と言われ、なんだ幼少期の自分を可愛そうな子供に仕立て上げていたのかも、としばし反省。

 先日新聞の折込広告の中にトイザラスの広告を見つけた。昔の単純な玩具は姿を消して、ラジコンやらドローンやら、何やらハイテクな玩具が並んでいる。本当に最近のガキはこんな玩具で遊んでいるのか、生意気な。
 何千円もするような玩具がところ狭しと並んでいるのを見ていたところ、奥さんが「何か欲しいものがあるの?」と後ろから覗き込んできた。幼少期のくだりを話したところ、「よし、ラジコンを買おう。」と言い出した。

 いやいやラジコンを買っても走らせるところが無いよむしろドローンのほうがほらこれはすごいんだよカメラも付いていてどうせ買ってもらうのならこっちが良いなでも8,000円もするし・・・と指差し話し始めた自分を白い目で見ている奥さんに気づき、急に我に帰る。

 来年50歳になる自分の中に、あの頃から少しも変っていない幼少期の自分がまだ
いるようだ。

 じゃ。
 









<704>年末と言えば

2016-11-14 18:20:43 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 まだ11月半ばなのに何が年末だ!とお怒りの貴兄に。おっしゃるとおりなのだが、年末とは唐突に来るものではなくひたひたと音を立てずにゆっくり、しかも着実にやって来るものなのだ。私のなかでは一年は「年始」「期末1(3月)」「ゴールデンウィーク」「お盆休み」「期末2(9月)」「年末」という6個の区切りで構成されているので、「期末2」が過ぎたら次にやって来るのは「年末」なのである。

 閑話休題、奥さんが唐突に「第九(合唱付き)」を聞きたいと言い出した。ベートーヴェンなる古の音楽家が作った、あの「第九」である。いつの頃からか日本における年末の風物詩になった、あの「第九」である。
 恥ずかしながらクラッシック音楽には全く造詣が深くない私としてはあまり興味のわかない話だったので「えー、第九?興味ないなー。」と返答したが、彼女が訥々と話し出したのでとりあえず聞いてみると。

 彼女の実家は東京の松蔭神社駅前商店街で魚屋をやっており、両親ともに店に出ずっぱりの状態。長女であるところの奥さんが家庭内の諸雑務を切り盛りしていた。年末に休みを取らないという父親の方針で彼女は自分の時間をほとんど捻出できなかったらしい。子供の頃から社会人になっても、周囲の友人が過ごしている「年末らしいすごし方」をしたことが無かった。
 結婚したのだから人並みの奥さんが過ごしているような年末を迎えさせろ、「第九」を聞きに行ってもバチは当たらないだろう、というものすごい飛躍した理屈に押し倒されて「う、うむ、では行こう」ということになった。

 本当は「NHK交響楽団」の演奏を聴きに行きたかったのだが、並びの席がとれなかったのとチケット代が高すぎたのとで泣く泣く諦める。ランクを少し落として東京都交響楽団という日本の交響楽団(人気ランキング6位あたり)の年末コンサートのチケットを購入。何を基準のランクなのか分からない。(以前、もらったチケットで行ったオーケストラが酷かったのだが、東京都交響楽団というオーケストラなら名前も聞いたことがあるし、途中で寝てしまうこともあるまい。)

 奥さんが満足してくれることを切に願うばかりである。

 じゃ!