鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<812> 240910 バブル育ちの還暦がファンダンゴしている話

2024-09-11 18:44:25 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 前回4万円の練習用ギターを衝動買いした話を書いたが、先週末、還暦の先輩のバンドのお手伝いをしてきた。4時間の会の内、結果的には2時間程度ギターを弾いてきたのだが還暦パワーに驚かされた。

 バブル期を謳歌した方たちにふさわしい「バカ騒ぎ」を展開していた。生バンドの演奏がほとんど聞こえない程の声で盛り上がり続け、フリーマイク(誰でも歌ってね、という企画)だったこともあって、曲のイントロが流れる度に「俺も!」と出てきては大声で歌いだす。机の上はビールやワインや日本酒や焼酎などで埋め尽くされ、単なる宴会がメインの様相を呈していた。
 まあ、同級会の延長のようなものなので、これはこれで良いだろう。大騒ぎは一向に収まらず、演奏する曲が15曲程度でなんとか無理やり閉幕させてしまって撤収作業へ。キャンディーズからピンクレディー、中森明菜にゴダイゴ、甲斐バンド、と懐かしい歌謡曲のオンパレード。

 会が終わっても還暦軍団の興奮は収まらず店の外でしばらく騒いでいたが、二次会のカラオケ大会へと出かけて行ったようだ。

 私達が会社に入ったころ、60歳はもっと老けていたように思う。年老いて元気もなければ皮膚はカサカサで潤いもなく、言ってみれば
しょぼくれたおじいさんやおばあさんだった。
 ところが今回集まった還暦の方々は中学生がそのまま年だけ重ねたようだ。見た目は老けているが元気に満ち溢れ、ノリは中学生の
それである。

 初めは彼らのバカ騒ぎを一歩引いて冷めた目で見ていた私だが、なんだかうらやましくなったのかもしれない、返ってから数少ない友人に「久しぶりに飲みにいかないか?」とメールを送った。ほどなく返事を送ってくれた彼に感謝してみたり。

 じゃ、また。

<811> 240802 30年ぶりに新しいギターを買った話

2024-08-02 18:56:50 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 先日30年ぶりに新しいギターを購入。アマゾンでポチっとやってしまった。

 まだ若い頃はお金が無いのもあって、お茶の水の楽器街に行って何軒も楽器屋を回って店員さんに試奏させてもらって、悩んでなやんだ挙句に買わずに帰った。翌週思いなおしてまた同じ店に行って買ったものだ。
 
 今ではアマゾンでポチっと。ほぼ衝動買いである。

 今、家にはギターが6本あるので、7本目のギターである。奥さんに言わせるとなんでそんなに必要なの?という話になるのだが、違う。根本的に間違っている。分かっていないな~。必要だから買うのではなく欲しいから買うのである。

 さて。

 なぜ買ってしまったかというと、30年前に会社の忘年会で一緒にバンド演奏した先輩から、「8月末に同級会で生演奏のカラオケ大会をするんだけどギター手伝ってよ。」と頼まれたのである。4時間かけて30曲くらい演奏するらしい。その先輩はあたまがおかしいのだ。4時間立ちっ放しで演奏って腰を痛めるでしょうが今年57歳だよ。
 勢いで「やりましょう!」と言ってしまったからもう遅い。立って演奏するのに大切なギターだと傷つける可能性があるのでぶつけて傷ついても良い安いギターを購入、という運びになったのである。

 で、今回購入したのがなんと中国製の4万円のギター。中国人が作るギターってどうなのよ、と一瞬思ったがレビューを見ても「そこそこ」らしいので、悩んでいるうちに右手が勝手にポチっとやってしまったから仕方がない。
 なんといっても軽いのだ。通常のギターの半分程度。なるほど確かに軽い。クオリティも思った以上に良い。しかもサイレントギターという奴で音がほとんどしない。夜弾いてもご近所に迷惑が掛からない。(まあ電気ギターって電気通さないともともと音があまりしないのよ。)

 というわけで、会社から帰って飯を食べた後、奥さんに怒られながらチャカチャカやっている57歳。ちなみに演奏する曲はキャンディーズや中森明菜だって。そりゃそうだよね。先輩の同級生だから皆さん60歳です。ヒデキ還暦ぃ~!

 じゃ、また。



<810> 240730 トイレを掃除してくれる方に挨拶を

2024-07-30 18:48:59 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 通常どこの会社でも同じだろうが、うちの会社も清掃業者と契約していて毎朝トイレに行くと業者の方がトイレを正装してくださっている。

 往々にしてそうなのかもしれないが、(それともたまたまなのか)清掃してくれている方はまだ若い女性である。東南アジア出身と思われる顔立ちで、こちらから「おはようございます。いつも綺麗にしてくれてありがとうございます。」と声をかけると片言の日本語で「オハヨウゴザイマス。アリガトウゴザイマス。」と返してくれる。

 若い女性の前でパンツをおろすのは恥ずかしくはないか、と問われると勿論恥ずかしいので、朝はうがいと洗面(汗かきなので、この時期は会社に行くとまずうがいと洗顔を済ませる。)だけにして、トイレを出るやいなや尿意をがまんして他のトイレに行くようにしている。
 
 最近では朝トイレで顔を洗っていると「オハヨウゴザイマス。」と向こうから声をかけてくれるようになった。何人かでローテーションを組んでいるようで、違う女性であることも。いずれも東南アジア系の顔をしているが、みな挨拶してくれるようになった。

 私の知る限り(恥ずかしいのも手伝ってか)彼女たちに挨拶するのは私だけだ。彼女たちの間で「朝3階のトイレで掃除していると挨拶してくる日本人がいる。」という話が出ているかもしれない。もしかしたら「そのうち下半身を見せつけるかもしれないから注意しないとね。」と噂しているかもしれない。まあお見せするほどのものではないので、残念ながらその機会はないだろう。

 彼女たちは家族のもとを離れ、遠い異国の地でトイレ掃除を生業にしているのかもしれない。恥ずかしいのを我慢して男性トイレも掃除しなければならないのは抵抗があるに違いない。それでも生活を切り詰めつつ、最低賃金の中から家族に送金しているのだろう。

 そんな彼女たちには敬意を払わなければ、と考えている。

 かくて私は今日も「トイレに来たのはうがいが目的なのであって、決して排尿するために来たのではないのだ。」という顔をしつつ、本当は尿意を我慢しながらうがいと洗顔を済ませると他のトイレに向かうのだった。初めから他のトイレに行けばよいのではないかという突っ込みをうけそうだ。まさにその通り。

 じゃ、また。

<809> 240710 もう思い残すことはない、と母は言った(夢十夜の九)

2024-07-10 19:05:48 | 短編小説

 こんな夢を見た。

 今住んでいる家に、お袋がやって来た。夢の中での彼女の年齢は毎回違うのだが、今回はずいぶん若く、私とあまり変わらないように感じる。
 色々と話していると、いつの間にか兄が横で寝転がっている。なんだかよく分からないが文句を言っているようだ。母親がなだめているようだが、カーペットの上でごろごろしていてなんとも見苦しい輩である。
 いい年をしてみっともないとかなんとか母親が言うので、私も兄に向かっていい加減にしないか、というような事を言っている。

 ふと母親が私の結婚の事を話し始めた。いつになく元気で初めて妻が挨拶に来た日の事やら、結婚式の事など事細かに憶えている。
 亡くなる前の母親はほとんど何も憶えていなく、目に光が無かったが、この日の彼女はずいぶん元気そうだった。
 
 ひとしきり話し終わると、彼女は「ああ、これでもう思い残すことはないねえ。」と確かに言った。となりで聞いていた私はびっくりして「なんだ、どうしたんだ。いきなりそんなことを言うから驚くではないか。」とまじまじと母親の顔を見つめた。

 彼女はニコニコしながらもう一度「もう思い残すことはないよ。」と言った。

 そこで目が覚めた。短い夢だった。まだ夜中で部屋は暗く、隣では妻が寝息をたてている。

 何度も母親は夢に出てきたが、「思い残すことはない。」などという言葉を聞くのは初めてだ。

 母親が亡くなったのは2022年の年末だったが、ずいぶん昔のような、つい最近のような、不思議な感覚である。頻繁に(頻繁という言葉しか思いつかないくらい)夢に出てくるせいもあるだろう。本当に3日とあけずにある時は母親だけ、ある時は父親だけ、そしてある時は夫婦そろって、本当によく夢に出てきた。
 だが、「もう思い残すことはないよ。」と笑って以降、一週間以上夢に出てこない。

 お袋さんよ、いかに思い残すことはないと言っても、夢に出てくるくらいの時間はあるだろうよ。また息子に会いに来てくれ。夢の中でゆっくり思い出話をしよう。



<808> 240527 ねえ、おぼえてる?

2024-05-27 19:17:39 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 表題の「ねえ、おぼえてる?」というのは最近知った絵本の題名。母親が父親と離婚してしまい、母親と二人の生活を始めた男の子の話だが、その内容については割愛する。

 ねえ、憶えてる?とは何とも素敵な言葉だ。親しい人との会話を始めるきっかけとしては最適なのではないか。
 私の両親はすでに亡くなってしまったが、彼らが生きていた頃、毎週末に顔を見に行っていた際によくこの言葉を使っていたことを思いだした。

 残念なことに晩年になると彼らの記憶もあやふやになってきて、色んな記憶がごっちゃになってしまっていた。それでも「ねえ、憶えてる?」ときりだすと、いくつかの他愛のないストーリーを嬉しそうに語っていた。
 全く関係のない旅行の話であっても、「そうだね、そんな事があったね。」と相槌をうつと満足そうに眼をつぶって、記憶の引き出しの中から風景だったり会った人だったり、食べたものだったりを引っ張り出していたのだろう、実に満足そうな笑顔を見せたものだ。
 後悔しても遅いのだが、もっと父親や母親と「ねえ、憶えてる?」と話せばよかった。

 人間の記憶というのは都合よく出来ていて、つらい思い出は遠くの方に押しやって、楽しい思い出だけ手元に残しておくように出来ている。
 もちろんそれは私にも当てはまり、両親との思い出は(もちろんつらい事もあったが)楽しいものしか残っていない。もう何十年も昔の他愛のない思い出が生き生きとした色彩や音、香りまでもともなって蘇ってくる。不思議なのはそんな現実の思い出とともに、ほんの数秒の間に見た夢の思い出も混ざっている。
 布団の中でそんな優しい思い出たちをたどりながら、微睡むのである。多分いくつになっても変わらない、至福の時間である。

 妻はものすごく記憶力が良く、彼女に「ねえ、憶えてる?」と聞くと私が完全に忘れ去っている事柄まで詳らかに語ってくれる。話をする際の楽しそうな顔を見ると、改めて誰かと時間を共有するのは良いものだ、とつくづく思う。そうして、ほとんどの場合「そうだね、そんな事があったね。また旅行で行きたいね。」という話で締めくくられる。
 いずれはお互いに少しずつ記憶力が衰えていくだろうが、その時でも「ねえ、憶えてる?」と笑いあえるような暮らしをしたい。

 この素敵な言葉、ぜひ沢山使ってみて欲しい。

 ねえ、おぼえてる?