鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<809> 240710 もう思い残すことはない、と母は言った(夢十夜の九)

2024-07-10 19:05:48 | 短編小説

 こんな夢を見た。

 今住んでいる家に、お袋がやって来た。夢の中での彼女の年齢は毎回違うのだが、今回はずいぶん若く、私とあまり変わらないように感じる。
 色々と話していると、いつの間にか兄が横で寝転がっている。なんだかよく分からないが文句を言っているようだ。母親がなだめているようだが、カーペットの上でごろごろしていてなんとも見苦しい輩である。
 いい年をしてみっともないとかなんとか母親が言うので、私も兄に向かっていい加減にしないか、というような事を言っている。

 ふと母親が私の結婚の事を話し始めた。いつになく元気で初めて妻が挨拶に来た日の事やら、結婚式の事など事細かに憶えている。
 亡くなる前の母親はほとんど何も憶えていなく、目に光が無かったが、この日の彼女はずいぶん元気そうだった。
 
 ひとしきり話し終わると、彼女は「ああ、これでもう思い残すことはないねえ。」と確かに言った。となりで聞いていた私はびっくりして「なんだ、どうしたんだ。いきなりそんなことを言うから驚くではないか。」とまじまじと母親の顔を見つめた。

 彼女はニコニコしながらもう一度「もう思い残すことはないよ。」と言った。

 そこで目が覚めた。短い夢だった。まだ夜中で部屋は暗く、隣では妻が寝息をたてている。

 何度も母親は夢に出てきたが、「思い残すことはない。」などという言葉を聞くのは初めてだ。

 母親が亡くなったのは2022年の年末だったが、ずいぶん昔のような、つい最近のような、不思議な感覚である。頻繁に(頻繁という言葉しか思いつかないくらい)夢に出てくるせいもあるだろう。本当に3日とあけずにある時は母親だけ、ある時は父親だけ、そしてある時は夫婦そろって、本当によく夢に出てきた。
 だが、「もう思い残すことはないよ。」と笑って以降、一週間以上夢に出てこない。

 お袋さんよ、いかに思い残すことはないと言っても、夢に出てくるくらいの時間はあるだろうよ。また息子に会いに来てくれ。夢の中でゆっくり思い出話をしよう。



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