鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<757> マッチ売りの少女からマッチを買ったので2

2021-04-16 19:39:11 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 昨日、マッチ売りの少女からマッチを買った話を書いた。

 家で開けられなかった袋を会社で恐る恐る開けてみる。なかから出てきたのはBianco Cuore と書かれたセロファンのひねり包装。チョコである。ビアンコって書いてあるところを見るとベトナム製ではないだろう。ネットで調べてみるとなんのことはない、イタリア製でそこらへんのスーパーで売っていそう。

 二袋入っていて全部で12個。2,000円払っているので一個167円。どんだけ高いんだよビアンコ クオーレ!白いハート!場末のスナックでチーママが「あら、いらっしゃい。久しぶりね。いつものでいいの?はい、おつまみ。」と出してくる「突き出し」だってもっと安いぞ!
 実際には一粒40円くらいで袋入りで売っているらしい。そりゃそうだ、一粒167円で買ったのはスケベ心を出したオッサンの自業自得。ベトナムの女の子は悪くない。今頃、「あのおっさん、バカじゃねーの?500円で買ったチョコを2,000円で買いやがった!日本のスケベおっさん、ちょろいねー!」と笑っているに違いない。

 で、まあせっかく買ったことだし、食ってみるかビアンコ・クオーレ(やや巻き舌で)

 ・・・あまい。

 めちゃくちゃ甘いぞ、くっそ甘い!頭痛がするくらいの甘さ。イタリア人はこんな甘いチョコ食いながらフェラーリやアルファロメオを作っているのか!あまりの甘さに眩暈を覚えつつ
こりゃ食えんわ、と近くに座っている連中に配ることに。
 たまたま渡した女性が、「私も昨日市ヶ谷の駅で声をかけられましたよ。」だって。
 下手な日本語が書かれたカードに「コロナで仕事ないです。お菓子買ってください。」と書かれていたそうだ。「もちろん速攻で無視して帰りましたよ、えー、買っちゃったんですか?何スケベ心出してんですか。良いカモですね。」と笑われた。

 どうやら、東京のあちこちで同じようなマッチ売りの少女が現われているらしい。もしかしたら組織犯罪か?反社会的勢力の資金稼ぎなのカモ?いたいけなアジア人少女を使ってチョコレート輸入業者を抱き込んだ巨大な反社会的勢力の巨大組織の陰謀に加担してしまったのカモしれない!カモ!

 コロナが蔓延する東京で、用心しつつ感染におびえながらマスクをして通勤していた私が思わぬところで組織犯罪の毒牙にかかってしまったようだ。すでに私(カモ53歳オス)の情報は組織のサーバーに登録されてしまい、第二、第三のトラップが仕掛けられているカモしれない。
 家の35年ローンがあと25年も残っているというのに、アジアンハニートラップにあっさりと引っ掛かり、イタリアの白いハートで虫歯になってしまい、妻からは汚いモノ(カモ53歳オス)を見るような目で見られ、世間からは罵られ、いずれ会社にもばれて、社会からも抹殺されてしまうに違いない。中央線のホームから身を投じる日も近いカモ。

 という訳で今日は隣の駅で降りて歩いて帰ることに。帰りに帽子とサングラスを買います。

 じゃ!

<756> マッチ売りの少女からマッチを買ったので1

2021-04-15 22:46:59 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 つい先ほどの話。仕事を終えて8時過ぎに最寄り駅を降りる。出口のところで若い女性が声をかけてきた。かごにマッチを入れており、「おじさん、マッチを買わない?」
 新手の売春かと一瞬疑った。私が「わかった。一つもらおうか。」と答えると、かごの中からマッチを取り出し私の手を取りながら、「ありがとう、おじさん、じゃあこのマッチで私のハートに火をつけて!」とやおら服を脱ぎ始めた。

 ええっと、どこからか妄想になっている。

 そうだ、最寄り駅の出口の所で若い女性が声をかけてきたあたりで事実が妄想にすり替わったのだまったく油断ならん!
 声をかけてきた女性は東南アジア系と思しき顔立ち。マスクはしているがぱっちりした目、浅黒い肌、丸っこい鼻、典型的なベトナム人だ。
 手にはカードが。つたない字で「コロナでしごとなくなりました。おかしをかってください」とある。職業訓練性として連れてこられて働いているうちは良かったが、仕事がなくなって収入がなくなったのかもしれない。近くに東南アジアの女性たちの寮があって大量の若い娘が流入してきたことがあったが、そのうちの一人か。
 
 希望にあふれて日本にやってきたのにコロナのおかげで生活が厳しくなり、こんな物乞いのようなことをしているのかもしれない。
「大変だね、どこから来たの?」と英語で聞くと案の定「ベトナム。」と答えた。財布から千円札を一枚出して「じゃあ、一つもらうよ。」と彼女から袋を一つ受け取った。中には包みに入ったチョコレートがいくつか入っている。原価は二百円程度だろう。私はしまいかけた財布をカバンから取り出し、千円札をもう一枚彼女に渡した。「明日の朝ごはんの分だ。」
 彼女は始めびっくりした様子で、続いて小さな声で「ありがとうございます。」と言ってうれしそうに笑った。おそらく「ありがとうございます。」は彼女が日本に来て最初に憶えさせられた日本語だ。

 私が立ち去ろうとすると彼女が大きな声で「God bless you!!」言うのが聞こえたので振り返って「You too!」と声をかける。
 そうして彼女は走り寄ってきてやおら服を脱ぎ始め、「明日の朝の分だなんて、そんなに待てない!」とやおら服を(妄想なので略)

 この話を奥さんにしたものかどうか悩んだが、「チョコにコロナの菌がついているかもしれないじゃない!そんなチョコ食べないで!」と言うにきまっているのでカバンの中にしまったまま明日会社で食べることにしよう。
 先ほどの娘がいう。「明日の朝のぶんだなんて、そんなに待てない!」

 じゃ!

<755> オンライン飲み会をやってみたけど

2021-04-14 22:39:07 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 全国の皆さんはコロナが蔓延している世の中で、いったいどのように楽しんでいるのだろうか?勿論一人でご飯を食べたり出かけても、それはそれで楽しい。
 さて、お酒を飲む時はどうしているのか?

 東京の方達はどうやらコロナを恐れていないらしく、週末ともなれば普通にでかけているらしい。密をさけてくれ、ステイホームを!と都知事が御願いしても、まあ私だけだったら大丈夫じゃね?と思っているらしく、週末の繁華街はすごいことになっている。最近大阪も凄いことになっているらしいが、あっちはおっさんが朝から晩まで飲んだくれて大きな声で騒いでいるので仕方がない。おかげで見事にコロナ感染者はまた増加傾向にある。
 
 で、久しぶりに友人と飲もうということになり、実際にとある店で飲んだのだが。大きな声で話そうものなら周囲の目が気になってしまい、話が弾まない。ひそひそ声で話すだけである。隣のテーブルの叔母さん達がでかい声で話していて、飛沫が飛んでくるのではなかろうか、と冷や冷やしながら飲んでも盛り上がらない。
 要は飲んだ気がしないのだ。

 では今流行りのオンライン飲み会というのをやろう、ということでLineを使って画面越しに乾杯。自宅の食卓の上にワインとつまみを用意してさあ始めましたオンライン飲み会。しかし。
 なんだろう、この面白くもない飲み会は。静かな部屋に私の声だけがぼそぼそと響く。(当然向こう側も同じだろうが)やはり飲み会というのは、ある程度の喧騒の中で時折店員さんを呼び止め身体によくない食べ物を追加注文したり、店のどこかで嬌声がはじけたり、そんな中でぐだぐだと下らない話をするのが楽しいのだ。自宅で静かに品行方正に飲んでも面白くない。
 帰りがけに、じゃ、また。と言って別れてぼーっとしながら電車に揺られて家に向かうのが正しい飲み会であって、画面越しに「どうよ、最近?」などと聞かれても「いや、実はね。」などと話せないのだ。

 まあ、そうは言っても感染を恐れながら飛沫の飛び交う飲み屋で飲むのも怖いのが事実。また次回もオンライン飲み会になるのだろう。(酒を飲まないという選択肢はないらしい。)

 じゃ!


 

<754> 死んだ親父の歳を数えるという言葉はないので

2021-04-02 19:04:56 | 日記

 毎度、ねずみだ。

 4/1は親父の誕生日だった。生きていれば85歳になる。もう鬼籍に入って1年と3ヵ月である。相続手続き、お袋の入退院やら老人ホーム入所やらで、本当にバタバタしていて、最近ようやく一息つけた感がある。

 先日親父の墓前で「いんやー、本当に大変な一年だったよ。」と話す。
 この年になると、私の周囲でも何人も亡くなってあの世に行ってしまっている。忙殺される日々の中で時折思い出すことはあっても、だんだんその頻度が減っているのも事実。

 私がよく引き合いに出すこんな話が。昔に見た夢だったかもしれない。

 私はどこかの競技場のトラックを回りながらゆっくり走っている。遠くに日が落ちかかってぼんやり暗くなっているところを見るとどうやら夕暮れ時のようだ。暖かくも寒くもなく心地よい微風を頬に感じる。
 一周回ってくると一つ歳をとる。もう何週走った事だろう。確か54回目だ。

 向こうに手を振っている人がいる。夕暮れの薄暗さも手伝って遠くからだと良く見えないが、その人の前までくると顔がはっきりと分かる。41歳の若さで亡くなった友人だ。私が39歳の夏に膠原病がもとで亡くなってから、彼女はずっと41歳。相変わらず控えめな彼女がトラックの脇に佇み微笑んでいる。
 すぐに彼女の歳を追い越してしまい、トラックを回って彼女の前を走りすぎているうちに彼女はずいぶん年下になってしまった。「相変わらず若いままだね。」と言葉をかける。
「もう私の事なんか忘れてしまったでしょう。」「いや、忘れることはないよ。」

 亡くなった叔父や叔母の顔も見えてきた。彼らの前に差し掛かると「元気でやっているか?仕事は慣れたか?」と声をかけられる。「何を言っているんですか叔父さん。私はもう54歳になりますよ。」と返す。
 その横に昔飼っていた柴犬と一緒に親父が立っている。細い眼をさらに細くして「色々と世話になったな、元気でやっているか」と声をかけてくるので、しばし足を止め話す。お袋を老人ホームに入れたことを詫びると、「しょうがないことだ。気にするな。」と頷いてくれる。「金がかかるだろう。いざとなったら家と土地を売れば良い。」と言うので「ありがとう、親父。そうさせてもらうよ。」と返した。

 そうこうしているうちに、さらに日が落ちてくる。名残惜しいが私は再び走り始める。

 怒涛のような毎日に流されないように、私は再び走り始めなければならない。生きていく限り走り続けなければならない。

 一年かけてトラックを一回りして、また彼らの顔を思い出す。