鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<692>

2016-06-18 18:47:11 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 東京都知事が辞職に追い込まれた。

 まあ、年間総給与額2,500万円という高給取り(仕事の内容から考えてその妥当性その他は別として)が、たかだか100万や200万の端た金をネコババしたのが一般民衆の逆鱗に触れたのはしようがない。都民の税金を使うのは許せん、というのは分かる。

 だが、その一方で。
 誰が次の都知事になるのかは別として、選挙は金がかかることに関して無知蒙昧な市井のひとたちはどう考えているのか。都知事選にかかる費用は50億とも言われている。そのお金はいったい誰のカネで賄われているのか?(まあ、これはすでにあちこちで言われていることだが。)

 それともう一つ。
 本当に都民は都知事になる人は「清廉潔白な人物でなければならない」のだろうか?断言するが、「本当に清廉潔白であろうと考える奴は政治家として成功しない。」
 狡猾であったり、腹の中にドス黒いコールタールのような物を抱え込んでいたり、誰かを蹴落として、あるいは誰かをトラップにかけてのし上がっていくのが政治家である。逆にそうでなければ偉くはならない。そんな政治家がスキャンダルを抱えずして政治活動を行えると、本当に市井の人々は信じているのだろうか?
 
 それこそ無理な話である。昔から政治家にカネとオンナはつきものだった。マスコミもそれを知っていた。我々だって知っていた。それでも政治家として日本を突き進むべき方向に導いてくれれば、それで良かった。些末な事には目をつぶるような、そんな風潮だった。かつてマスコミには暗黙のルールがあって、無知蒙昧な人民を啓蒙する役割があったのでは?

 それが今では。芸能人のスキャンダルを記事にして、アホな読者に読ませているゴシップ記者と、揚げ足をとるようにして、政治家のスキャンダルばかり書いて喜んでいる政治記者との間に、いかほどの差があるのか?
 政治家のスキャンダルにしか興味を持たない我々もアホだが、そのアホに喜んでもらえるような内容しかひねり出さない筆力の無いマスコミにもかなり食傷気味である。

 さらに。
 マスコミに「ねえ、都民のみなさん、知事はこんな事をしているんですよ?これって許せないですね?ね、許せないってみんな言っていますよ?あなたも本当は許せないですよね?」と踊らされている感が強いのは、私だけではないはず。本当に都民すべてがこの公金無駄使いに対してそんなに立腹する必要があるの?マスコミの役目ってその程度のものなの?
 
 日本のマスコミは大丈夫か?
 もっと言えば、そんな些末なスキャンダルに対してしか政治不信を見いだせない日本人は大丈夫か?




<691>

2016-06-13 18:30:28 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 先日49歳になった。「49歳のおっさん」になったのだ。

 友人とくだらない話をしつつ酒を呑んだ帰り、ふと冷静になって考える。自分が入社したばかりの頃、「49歳のおっさん」ってどんな存在だっただろうか。ものすごく年上で、まあ老けてて人生の苦労を両肩に乗せている存在。家族や家のローン、仕事上のトラブル、人間関係、その他もろもろが彼らにのしかかり、疲れ切ってよれよれ。そんなイメージだった。
 そうは言ってもそれらを抱えたまま激務に耐え、さらに後輩を育てている彼らが自分たちにとって頼もしい上司だったのもまた事実。

 さて、自分はどうだろう?今の自分達はかつての自分から見て頼れる存在になり得たか?

 どう考えても当時の彼らの足元にも及ばないような気がしてならない。確かに「いつまでもピュアな心を忘れない少年のような」中年にはなったかも知れない。(少年の頃からおっぱいとお尻が好きで、今でもそれは変わらない、という意味。)会社の若い女の子から声をかけられてデレデレしたり、もしかしたら何か起こるのではないだろうか、などとテレビドラマのようなことを考えてどきどきしたり。(不整脈かも。)飲み会での話題は未だに中学生レベル。下ネタとジョーク。
 だが、その一方で正しいものは正しいと感じ、間違ったことは納得できない。納得しないと「てこ」でも動かない。

 まあ総合的に考えると、残念ながら当時の私は今の私を尊敬してくれそうにない。変わらないのが良いのか悪いのか、変われないのか変わろうとしないのか、未だに分からない。

 まあ、それも良かろう。世界中の49歳に乾杯だ。


<690>

2016-06-02 19:20:30 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 四月に入社して全体研修をしていた新入社員が配属される時期がやってきた。例によって新人研修に少し携わっていたので「新しく配属されたら、報告に来てください。」と話してたのを憶えていたのだろう、6人の新人がワラワラとやって来て「○部○課に配属されました。今後とも宜しくお願いいたします。」と入れ替わり立ち代り丁寧に挨拶してくれた。

 新入社員の教育に携わるようになってかなり経つ。その度に「どうか一日でも永くこの会社で働いて下さい。そして会社生活を充実したものにして下さい。それが私からのお願いです。」と言い続けてきた。
 誰でもそうであろうが、会社で自分の居場所を見つけるのは中々難しい。自分が望むような職務につけるのは数少なく、その仕事で満足のいく結果を出し続けることができるのは更に少ない。沢山の人達が心折れて会社を去り、会社に残った人達の多くが暗い目をしながら流されるように会社生活を送る。

 新人達の目は一様に澄んでいて、希望に満ち溢れている。一人ひとり挨拶してくれた彼らが、この絶望的な現実の中で自分の居場所を見つけ、少しでも充実した会社生活を送ってくれる事を願ってやまない。

 自分も入社した頃は澄んだ目をしていたのだろうか?あまりにも昔過ぎて憶えていない。

 なんやかんやで、先月末に49歳になった。


<689>

2016-06-02 12:33:44 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 ヒロシマの件がクローズアップされすぎて、サミットはいつの間に開催されたの?と言った感があるが、それくらいオバマ大統領の広島での演説が凄かったということだろう。特筆に価する。

 大統領就任時の演説も凄かったが、今回のも負けず劣らず凄かった。(私が知らないだけで彼の演説は毎回凄いのだろう。)
 誰もが指摘しているが、彼の言葉はまるで「詩」であり「小説」だ。
 要約してしまえば、「誰が何をしたかというのは置いといて、とにかく悲惨な過去を忘れてはいけない。誰が悪いとかは置いといて、日本人や韓国人や捕虜のまま死んだアメリカ人、原爆で命を落とした彼らのことを忘れないようにしよう。その一方で二度と悲しい惨劇が繰り返されないように、核の脅威は廃絶せねばならない。」というような内容なのだろうが、並べられている美辞麗句だけを見ると、ファンタジーであり歌であり、とにかく美しい。
 どこまで側近が考えているのか(あるいはオバマ大統領は全くタッチしていないのか)知らないが、その言葉はかつて教会で司祭者が無知蒙昧で純情な市民を判りやすい言葉を使って美しい歌で導いたのに似ている。

 為政者と司祭者は、その<Magic spell>を求心力にして人心を惹きつける必要がある、という一点においては同じキャラクターだ。特に宗教がある国においては。

 翌日の新聞に全文が掲載されていたが、二度三度と読み返してしまうような内容だ。

 彼の話し方(「語りかけ方」という言い方が正しい。)が、また上手い。慈愛に満ちた眼差しで聴衆を見渡し、ゆっくり言葉を区切りながら。父親のように力強く、母親のように優しく。被災者をハグしたあたりも物凄い芝居がかっていながら嫌味を感じさせない。天性の役者なのかもしれない。

 あれでは日本国民が振り上げた拳のやり所を失うのも道理と言うもの。日本中が骨抜きにされた17分間だった。

 ここでどこかの総理大臣を引き合いに出すのはあまりにも無情か。