鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<796> 230710 親父が二晩続けて夢に出てきた話<夢十夜の八>

2023-07-10 19:09:43 | 短編小説

 こんな夢を見た。

 実家に帰ると、お袋が死んで以降空き家になっているはずの家の灯りが点いている。鍵をあけて居間に行くと親父が座っている。浅黄色の開襟シャツを着てニコニコしている。

 私は驚いて、「なんだ親父、ずいぶん前に亡くなったはずだろう。」と親父に問うた。
 親父はなんだかすまなそうに「いやいや、実は訳あって死んだことにしていたが、あれは嘘だったのだよ。」と照れた笑いを浮かべている。確かに病院のベッドの上で息を引き取る親父を見たので、そんなはずはないのだがなあ、と独り言ちる。
 そうは言っても親父が生きているのは嬉しい事なので、「まあ、何にしても良かった。」と伝えた。
 
 親父、久しぶりじゃないか。どうだい、と聞くとニコニコ笑うばかりで一向に話そうとしない。

 そうこうしているうちに目が覚めてしまった。

 翌日、また同じように親父の夢を見る。

 同じように「親父、確かに死んだと思ったのだが、生きていたのか。」と問うと「ああ、用事があって来たのだ。」と答えた。
 ところが、またしてもその用事とやらを一向に話す様子がない。ただニコニコと笑うのみである。
 結局、親父が何の用事があって家に戻って来たのか話さぬうちに夢から覚めてしまった。結局何を伝えたかったのか聞きそびれる事に。

 翌朝妻にその事を話すと、「二週間空いたから実家に行ってみたら。」と言う。
 普段は一週間か二週間に一度、かならず実家を訪れ、雨戸をあけ空気を入れ替え、祖父と祖母の位牌に線香をあげているのだが、たまたま土曜日に用事が重なり、実家を閉めたままである。墓参りは毎週おこなっているのだが、親父が二晩続けて夢に出てくるくらいだから、何か伝えたかったに違いない。もしかしたら、空き家に空き巣でも入ったか。
 何やら嫌な予感がするので、取るものも取り合えず実家へと急いだ。 

 住む者のいない家は空気がよどんでいる。湿った空気が重い。

 雨戸を空け空気を入れ替える。仏壇の水を入れ替え「じいさん、ばあさん冷たい水でも飲んでくれ。」と、おりんをちーんと鳴らす。部屋の中は別段変わったこともなく、お袋の生前のままである。
 何も代わり映えがしない部屋のままだったので親父の奴、何を伝えたかったのだろう、としばし考えるが、やはり思い当たることがまるでない。

 帰りがけに郵便受けの中から、郵便物やら詰め込まれたチラシやらを引っ張り出す。二週間空いたので、チラシが相当溜まっている。その中に親父宛てのダイレクトメールが。定期的に買っていた静岡のお茶屋からのものだった。

 そうか、これか。

 親父は生前お茶が好きで、何度かこのお茶屋から頼んでいた。考えてみれば墓参りの際に、墓前のお猪口には水しか入れていない。お茶なんぞ、ついぞ注いだ事がない。

 「そうか、親父、お茶が飲みたかったのか。」と思わず声に出す。

 墓に出向き、飲んでいたペットボトルのお茶を二人分のお猪口に注ぐ。「親父、お袋、確かにこう暑い毎日が続くと冷たいお茶が欲しくなるのも無理はない。気付かなくて悪かった。」
 
 今度親父が夢に出てきたら、お猪口に注いだお茶は旨かったかどうか聞いてみる事にする。


<了>



<795> 230705 花のある生活というのは

2023-07-04 18:58:33 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 近所の巨大スーパーに妻と買い物に出かけた際の話。

 併設されている小さな花屋に立ち寄った際に「花のサブスク、始めませんか?」という張り紙が目に入る。最初の月は2,500円かかるのだが、2か月目以降は月に1,000円で毎日小さな花瓶に花が一つ二つ入ったものを持って帰れる、というものである。

 オリジナルの花瓶(と言っても100均で売っているに違いない)に入れて持ち帰り、花瓶が空いたらその花瓶と交換で新しい花が貰えるというもの。なんのことはない、花を他の花瓶に移せば、皆毎日花を貰いに来られる。毎日花瓶を持ち歩くのもどうかと思うが、それでも月に20回貰いにくるとすれば一日あたり50円である。プチ贅沢、というやつか。

 興味のない私が「花なんて、どうなのよ。」と妻に言ったところ、「毎日入れ替えて花瓶を持ってくれば、一日33円で済むのよ?お得だと思わない?」と俄然乗り気である。
 まあ、そのくらいのお金に困るような生活はしていないので、「じゃ、始めてみれば?」とお任せにする。

 で、それ以来我が家の食卓には小さな花瓶に花が1輪か2輪飾られるようになった。花屋で余った花を捨てる前に再利用していたりするのかもしれないが、貰ってくる方ではそんな経緯はどうでも良い。花は花である。
 初めは「花なんてどうなの?」と思っていた私だが、実際毎日のように違う花が食卓の上に佇んでいるのを見るのは、悪くない。いや正直言うと、かなり良い。会社から帰ってきて食卓の上に花があると癒される。

 お袋が年末に亡くなってしばらくバタバタしていた。妻にも本当に世話をかけた。その妻もようやく心に余裕ができたのかもしれない。考えてみれば親父が亡くなって以降、兄夫婦が何もしないので毎週二人で奔走した。そのお袋も天国に旅立って半年。花を買いたい、という心持ちになってくれたのは嬉しい限りだ。

 夕食や土日の朝食の際に花を見ながら、「うん、花のある生活って、良いね。」と言う度に妻は得意げに「そうでしょう、私の言ったとおりでしょ。」と言う。そうだ。妻の言う通りにしておけば間違いはない。

 食卓の花瓶にささやかな幸せが。

 じゃ、また。