毎度!ねずみだ。
最近仕事で愛知県の豊橋という所に出張する事が多い。
新幹線も止まるこの街にはしかし、突出した有名なお土産はあまりない。(そんな事を言うと怒られるかもしれない。有名な菓子のブラックサンダーは発祥の地は豊橋なのだ。)
5歳から9歳までの間、親父の仕事の都合でこの街に住んでいた。テレビ番組の間に流れるCMも地域色の強いものが多く、その中の一つにヤマサの竹輪のCMがあった。新幹線から降りてきた旅姿の二人組(屋代宇兵衛と喜多八の二人組?)が飛びつくのが箱入りの竹輪、というアニメのCMだった。新幹線が豊橋駅に停まるのがそんなに嬉しいのか、と思った記憶がある。今考えると彼らは「東海道中膝栗毛」の道中で、東京から大阪に向かう途中だったのかもしれない。
幼い脳みそに幾度となく繰り返しくりかえし刷り込まれたCMのおかげで、私は日本中の人間がヤマサの竹輪を食べているものだと
信じて疑わなかった。
東京に出てきて「東京で竹輪と言えば紀文」という現実に直面し、小学校4年生の私はあっという間に打ちのめされてしまった。
むしろヤマサの竹輪の存在は誰も知らなかった。井の中の蛙大海を知らず、と言うべきか。いや言わないか。
先日出張の帰りに義理の母と義理の妹にヤマサの竹輪の詰め合わせをお土産に買って帰ったら、全く知らないと言われた。関東では売ってないのだろうか。
閉店してしまったが義理の父がやっていた魚屋「魚竹」では小田原の竹輪を売っていたので、義理の妹も含め妻の家族は小田原以西の竹輪を知らないようだ。
さて、その竹輪。
今は亡き母親が作ってくれた弁当には、必ずと言って良いほど竹輪が入っていた。竹の切り口のように斜めに切られたその竹輪の穴には100%キュウリが入っていた。まあ言ってみればキュウリと竹輪のカプレーゼである。
他のおかずの汁気により色が移った竹輪の中に納まったキュウリを噛むと、それポリポリを音を立てた。メインのおかずはミニハンバーグだったりミートボールだったりしたが、キュウリの詰まった竹輪は必ずメインのおかずの横に切り口を上に向けて置かれていた。
先日、そのヤマサの竹輪の話を台所で妻としていた際の事。ふいにお袋が作ったキュウリ入りの竹輪を思い出した。
ふいに鼻の奥がツンとして、涙があふれ出てくる。妻に悟られないようにトイレに駆け込んだが、自分でもびっくりするほどに後からあとから涙がとめどなく流れた。
なんだろう、悲しいとかそういう類の涙ではない。ふと「ああ、もうお袋の作った、キュウリ入りの竹輪を食べる事はないんだなあ。」と考えた瞬間だった。
とにかくいきなり心をぎゅっと鷲掴みにされたような気分だった。久しぶりに流れ出る涙をそのままに、トイレに座り込んでボーっとしたまま5分ほど経った。
涙は悲しいからだけで流すのではなく、心が揺さぶられるとコップに満たされた水が揺れた瞬間に零れるように出てくるのだ。
嬉しかったり悔しかったり、もちろん悲しかったり。そのいずれも「コップに満たされた水が揺れた瞬間に零れる」現象に他ならない。
滂沱という言葉がふさわしいほど、体中の涙を絞り切って台所に戻ると妻が心配そうに、泣いていたの?大丈夫?と問う。
キュウリ入りの竹輪の話をしようかどうか迷ったが、結局しなかった。
妻の事だからキュウリ入りの竹輪を用意するに違いないからだ。そんなものを口にしたらまた号泣するに決まっている。
じゃ、また。
最近仕事で愛知県の豊橋という所に出張する事が多い。
新幹線も止まるこの街にはしかし、突出した有名なお土産はあまりない。(そんな事を言うと怒られるかもしれない。有名な菓子のブラックサンダーは発祥の地は豊橋なのだ。)
5歳から9歳までの間、親父の仕事の都合でこの街に住んでいた。テレビ番組の間に流れるCMも地域色の強いものが多く、その中の一つにヤマサの竹輪のCMがあった。新幹線から降りてきた旅姿の二人組(屋代宇兵衛と喜多八の二人組?)が飛びつくのが箱入りの竹輪、というアニメのCMだった。新幹線が豊橋駅に停まるのがそんなに嬉しいのか、と思った記憶がある。今考えると彼らは「東海道中膝栗毛」の道中で、東京から大阪に向かう途中だったのかもしれない。
幼い脳みそに幾度となく繰り返しくりかえし刷り込まれたCMのおかげで、私は日本中の人間がヤマサの竹輪を食べているものだと
信じて疑わなかった。
東京に出てきて「東京で竹輪と言えば紀文」という現実に直面し、小学校4年生の私はあっという間に打ちのめされてしまった。
むしろヤマサの竹輪の存在は誰も知らなかった。井の中の蛙大海を知らず、と言うべきか。いや言わないか。
先日出張の帰りに義理の母と義理の妹にヤマサの竹輪の詰め合わせをお土産に買って帰ったら、全く知らないと言われた。関東では売ってないのだろうか。
閉店してしまったが義理の父がやっていた魚屋「魚竹」では小田原の竹輪を売っていたので、義理の妹も含め妻の家族は小田原以西の竹輪を知らないようだ。
さて、その竹輪。
今は亡き母親が作ってくれた弁当には、必ずと言って良いほど竹輪が入っていた。竹の切り口のように斜めに切られたその竹輪の穴には100%キュウリが入っていた。まあ言ってみればキュウリと竹輪のカプレーゼである。
他のおかずの汁気により色が移った竹輪の中に納まったキュウリを噛むと、それポリポリを音を立てた。メインのおかずはミニハンバーグだったりミートボールだったりしたが、キュウリの詰まった竹輪は必ずメインのおかずの横に切り口を上に向けて置かれていた。
先日、そのヤマサの竹輪の話を台所で妻としていた際の事。ふいにお袋が作ったキュウリ入りの竹輪を思い出した。
ふいに鼻の奥がツンとして、涙があふれ出てくる。妻に悟られないようにトイレに駆け込んだが、自分でもびっくりするほどに後からあとから涙がとめどなく流れた。
なんだろう、悲しいとかそういう類の涙ではない。ふと「ああ、もうお袋の作った、キュウリ入りの竹輪を食べる事はないんだなあ。」と考えた瞬間だった。
とにかくいきなり心をぎゅっと鷲掴みにされたような気分だった。久しぶりに流れ出る涙をそのままに、トイレに座り込んでボーっとしたまま5分ほど経った。
涙は悲しいからだけで流すのではなく、心が揺さぶられるとコップに満たされた水が揺れた瞬間に零れるように出てくるのだ。
嬉しかったり悔しかったり、もちろん悲しかったり。そのいずれも「コップに満たされた水が揺れた瞬間に零れる」現象に他ならない。
滂沱という言葉がふさわしいほど、体中の涙を絞り切って台所に戻ると妻が心配そうに、泣いていたの?大丈夫?と問う。
キュウリ入りの竹輪の話をしようかどうか迷ったが、結局しなかった。
妻の事だからキュウリ入りの竹輪を用意するに違いないからだ。そんなものを口にしたらまた号泣するに決まっている。
じゃ、また。