鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<791> 230317 こっそり中古ipadを買った話

2023-03-24 19:09:45 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 ipadというものがある。スマホとパソコンの間(?)に存在する中途半端な存在、だと思う。
 
 最近スマホと言うやつはその機能を広げ、パソコンでしかできなかった事の多くができるようになって、パソコンそのものに近づきつつあるような気がする。二つ折りの状態を開くと大きな画面が現れるものも増えてきているので(そうして新しい購買層を取り込んでいく)そのうち、四つ折りで開くとタブレットパソコンと同じくらいの画面になるスマホも現れるかもしれない。
 一方パソコンは軽量化してラップトップやタブレットパソコンを生み出し、タブレットPCを生んだ。さらにスマホに近づきつつあるような気が。(そうして新しい購買層を増やしていく。)そのうちスマホと同じように二つ折りに畳んでポケットにスッポリ入るタブレットPCが出てくるかも。

 こうしてスマホとタブレットPCの境界線は曖昧になる(かもしれない)。

 するとipadの存在意義は何であろうか。「できる事できない事」という基準で考えると、なんとなく大きなiphoneのような気がする。(同じアップル社だし。)ipadにはセルラーモデルと言って通信会社と契約して、電話と同じような機能を持つ機種もある。
 タブレットPCの良さとして「パソコンより軽い。」というのがあるが、スマホがでかくなる方向にある中で「タブレットより軽い。」と言い始めたら、もう何が何だか分からなくなってしまう。「タブレットより軽くてなおかつスマホより重い。」となると「もう!いい加減にして!何を買えば良いの!はっきりして!キィーッ!!」となりそうだ。そんなご時世にipadは、「私の存在意義って・・・何?」と自らのアイデンティティを
問うている。

 ちなみに私の手元にある「その手の機械」は①5年以上前に買った古い「大きな」デスクトップパソコン、②昨年買った「小さな」デスクトップパソコン、③スマホ(iphone)、④4年前に買った中古の「やや小さな」タブレットPC、⑤3年前に買ったamazonの「小さな」タブレット(家族内テレビ電話用)である。なんとなくスマホ~パソコンの全てを網羅している。もうこれ以上「その手の機械」は不要である。
 
 さらに。
 ③のiphoneに使える「1/3に折りたためる」小さなキーボードとマウスを購入。
 ④のタブレットパソコンに使える「小ぶりな」キーボードとマウスを購入。これらのキーボードやマウスは⑤にも使えることが判明。
 これで④のタブレットは使い勝手がよくなりデスクトップパソコンに近づいた。③のiphoneと⑤のテレビ電話用タブレットもパソコンに近づいた。
 それぞれの立ち位置が危うくなってきてそれぞれのアイデンティティも混乱し始めている。
 もうこれでお腹がいっぱいである。自分でも書いていて訳が分からなくなった。ところで冷静に考えてiphoneにキーボードとマウスは要らないだろう、と突っ込まないのが大人のルール。iphoneに長文を叩きこむ場合、キーボードが不可欠なのだ。多分。

 このカオスの状況下で、なぜかなんとなくipadが欲しくなってきた。
 上記の流れだと私の持っている「それぞれ何かに特化した」「その手の機械」が「なんでもできる機械」になって、お互いに「お前がここにいる意味ないだろう!」とけんかになっている、そんな中での事である。
 そんな中、あえてipad、である。もはや我が家の「その手の機械」がひしめいている中にipadは必要ない。もちろんそんな事は分かっている。

 先日、近くに買い物に行った際の事。出先で妻が「無印良品で買い物してくるけど、一緒に来る?それともブラブラしてる?」と聞いてきたので、「じゃ、ちょっとその辺の店覗いてくる。」と別行動する事に。
 で、たまたま入った中古パソコン屋で、型落ちのipadと目が合ってしまった。しかも「本日値札よりさらに10%割引!」という、5歳の男の子でも騙されないような売り文句に心を強く揺さぶられ。財布の中のお金を数える。
 
 こうなれば店側の思うつぼである。
 こっそりipadを購入してカバンの中に忍ばせる。なにしろタブレットだから軽いし薄いしカバンに(妻にばれないように)スッポリ収まるし。

 「こういうのは、勢いで買うものなんだよ、い・き・お・い。分かる?」と自らの背中を押してしまった私は後ろめたさから家に着いてからも妻にこの事実を言えずにいた。

 当然すぐにばれて「何に使うのか説明せよ。」と冷静に問い詰められた。妻の後ろでは私が使っている数多くの「その手の機械」達が「そうだ!そうだ!説明しろ!」とブーブー言っている。

 こうなればひたすら謝るしかないのだ。

 じゃ、また。 


<790> 230306 3年ぶりに両親を引き合わせた話

2023-03-06 18:53:43 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 3年ぶりに親父とお袋を引き合わせた。お袋の納骨を行ったのだ。

 お袋は親父が亡くなったとたん何度も骨折し、病院と施設を行ったり来たりした。コロナで会えない時間がほとんどだったせいもあって、お袋の認知症や衰弱があっという間に進み、最後はほとんど夢の中で過ごしていた。
 人間と言うのは不思議なもので、生きようとする意欲が無くなると加速度的に衰弱していくものらしい。
 最後はほとんど食事も摂らなくなり、わずかに経口ゼリーで口を湿らせるだけになってしまったお袋だったが、夢の中で親父に手を引かれるように天国に旅立って行った。

 納骨する前、お袋の骨壺に手鏡を忍ばせた。

 彼女が生前、台所で仕事をしている最中、隣人や宅配業者が玄関のチャイムを鳴らすと、手を止めちらりと鏡を覗き込み髪のほつれを直しながら玄関に向かっていたのを思いだす。
 おそらくお袋の人生で最もお袋が覗き込んだのがその手鏡だったろう。落ち着いて三面鏡の前に座っている時間よりも、台所で家族のために食事を作ったり洗い物をしたりした時間が長かった彼女の人生。長い台所での時間を映していたのもやはりその手鏡だった。

 あの世で親父とあっちこっちに出かける際、その手鏡を覗き込み身だしなみをしてから出かけてくれると嬉しい。

 まだ意識があったころ「お袋、何か欲しいものはないかい?」と聞いたところ、「お父さんに会いたい。」とポツリと言ったことがある。当時は「それは無理だよ。」と思っていたが、滅多にものを欲しがらなかったお袋の最後の願いを叶えることができ、息子としてはホッとしている。
 せっかく親父と引き合わせたのだから、狭くて暗い墓の中だけど文句を言わずに暮らしてほしい、二人なら寂しくはないだろう。二人の人生や息子たちの事など、しゃべる事は尽きないだろうし、時間なら永遠にある。

 最後の親孝行ができてほっとした。

 納骨が終わってさっそく親父とお袋に手紙を書いて、例のポストに投函する。また来週手紙を書くよ、と添えた。