鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<720>年も明けたので

2018-01-20 08:27:22 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 恒例の年末魚屋手伝いが功を奏し、年始からがっつり風邪をひいた。
 今年の風邪はなかなかしつこいようで、3週間近くたっているのに一向に全快の兆しを見せない。まあ歳のせいもあるのだろうが一体どうなっているのか。そうこうしている内にこんどは職場でインフルエンザが流行りだした。この状態でインフルエンザなんぞにかかってしまったら、人生詰んでしまう。はい終了。というわけで今日もマスクをして出社。

 唐突だが人の幸・不幸は他人が推し量るものではない、と最近よく思うのだがどうだろうか。世の中には数えきれない程の人達が暮らしていて、彼らあるいは彼女たちはそれぞれの人生を抱えている。
 当然その中で幸福な時間もあり、不幸な時間もある。それぞれ個々の価値観が判断した幸・不幸であり、それまで過ごしてきた各々の人生がその判断基準であろう。それぞれの人生を知らない他人にその幸・不幸が判断できるわけがないのだ。他人の人生を評価する時間があるのなら自分の足元を見たほうが良いのだ。よくテレビでアホなコメンテイターが偉そうに幸福論をぶちかましているが、そんな下らない話は帰って家で話すがいい。公共の電波を使って話す内容ではない。
 週末になると最寄り駅近くの陽だまりに女性が座っている。見えない誰かと話しながら終始笑顔である。周囲は気味悪がって遠巻きに見て避けて通りすぎるのだが、彼女の笑顔は実に穏やかである。もしかして亡くなった夫と話しているのだろうか、実に楽しそうである。傍からは彼女は不幸に見えるのだろうが、彼女が浮かべている笑顔は幸せのなせる業だ。
 
 これは極端な例だったが、毎日すれ違う人たちがそれぞれの人生の中で少しでも幸福な時間を過ごして欲しい、と考えている。そしてその中で「どうせ私の人生なんか」と諦めるのではなく、自分の幸福に対しては貪欲になって欲しい。前向きに人生に取り組めばこれから先、幸せが掴めるかもしれない。「そんな事はあり得ない」なんて、誰にも判断できない。大きなお世話だと言われるだろうが、本当にそう考えているのだ。

 世の中のすべての人達が少しでも幸せを手に入れてほしい。そして身の回りの人達を少しでも幸せにして欲しい。年の初めにそんなことを考えているのだ。

 じゃ、また次回。