鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<682>

2016-04-19 12:58:33 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 隣の課に少し前に人事異動で越してきた関西人がいる。

 たまたま年が同じで、時々仕事で関わることもある、その程度の関係。少し強面の彼は、若い頃暴走族に属していたとのこと。流石に今では丸くなっている。

 関西人とは言っても滋賀県出身。まあ東京に籍をおく私からすると滋賀県でも大阪でも京都でも、まとめて関西人である。(多分こう言うと大阪の人は「大阪を滋賀と一緒にすな!わけわからん事吐かすとケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガッタガタ言わすぞ!」と言うかもいや言わないって。
 それはともかく、とりあえず関西人であることには変わりない。

 で、以前からやってみたかったことが。

「関西人に『バーン!』ってやると必ず『やられたー!』と言って崩れ落ちる。」
 ある種、私の中での都市伝説なのだが一度やってみたかったのだ。(ちなみに今年の五月で49歳になるが何か言いたいことがあるかね?)

 昨日、彼が難しい顔をしていてなにやら書類に目を通しているところへ背後から忍び寄って、「ちょっといいですかね?」と声をかけた。
「ああん?なんや?」と関西元ヤンキーらしい、お決まりの返事。
 唐突に「バーン」と(もう一度書くがもうすぐ49歳になる)やったところ、「やられたー。」とその場に崩れ落ちた。「何さらすねん!」と怒られたが、都市伝説の下りを話したところ、「まあ、関西人の血やな。身体が反応してまうわ。」と教えてくれた。

 なるほど、関西人には敵わない。

 ま、それだけの話だけどね。


<681>

2016-04-15 12:56:27 | 日記
 
 毎度!ねずみだ。

 春は新人が入ってくる季節である。

 例によって新人研修を一コマ預かった。高校を卒業して入ってきた女の子が五人。平成9年生まれってどんだけ若いねん、と突っ込みたくなるくらい若い。ついこの間「平成生まれが入社してきた!」と大騒ぎしていたのだが、まあ光陰矢の如しとはよく言ったものだ。

 その中に中途採用の女の子が一人混じっていた。総務採用のその娘は楚々とした感じで、まあ端的に言うと私のストライクゾーンのど真ん中、である。採用後一週間経ってたまたま社内ですれ違った際のこと。
「あ、加藤さんですよね?この前の研修でお世話になりました。」とその娘が話しかけてきた。

 断っておくが私は48年間生きてきたが加藤さん、と呼ばれた事がない。それはそれとして「ああ、この前の研修の時の…。もう仕事は慣れた?ちなみに私は加藤さんじゃないからね。」と挨拶した。

 その翌日もまたすれ違ったので、こちらから挨拶すると、「あっ、山崎さんだ!こんにちは!もうすっかり慣れましたよー。」
 まあ、名前はどうでも良いのだが、話しかけてくれたのが嬉しく、立ち止まってしばし会話。

 話していながらふと違和感を感じた。

 なぜかタメ語である。それもすっごい馴れなれしい。

 ええっと、こっちは48歳なんだけどなー。うちとけてくれるのは嬉しいんだが、へたすりゃ君のお父さんと同じくらいの歳だよ。社会人なんだからその位の…

 と、説教してやったのである。

 と言うのは真っ赤な嘘ですっかり舞い上がってしまった48歳。

 往々にしてこういった現場は誰かに見られているもので、じゃあねー、バイバイと言われ席に戻ると早速課内の女性に、おっさん鼻の下が伸びてるよ新人口説いてんじゃねーよ、と指摘された。

 なんか今年はついてるなー。とニヤニヤしながら独り言ちた48歳おっさん確かに気持ち悪い。





<680>

2016-04-14 12:58:32 | 日記

 毎度!ねずみだ 

 前回旅行に行った件を書いた。

 旅行における満足度を決める大きな要因として、滞在先の接客のクオリティの高さ低さがあると、私は考えている。
(外面的な)設備の良し悪しは事前に調べる事が出来る。接客に関してはネットに書き込まれる、所謂「口コミ」などを見てから宿を決めるようにしている。それでも当たる外れがあるのはしようがないことと諦めていた。

 今回滞在した黒川温泉の某宿の接客は、(予め口コミを読んでから出かけたのだが)かつて泊まった宿の中でも群を抜いていたように思う。まだ新人だという若い娘が部屋の担当になったのだが、社員教育が余程きっちり行われて
いたのだろう、とても満足のいくものだった。
 我々が温泉巡りに出かけている間にお茶の用意がしてあり、一言付箋に「まだ慣れないため、ご無礼があるかも知れません。ご満足いただけるよう一生懸命頑張りますので、些細な事でも指摘いただければ幸いです。」といった内容のものがしたためられていた。

 何よりも仕事に対する一生懸命さがこちらにも伝わってきて、とても好感の持てるものだった。妻もいたく感激してその一言付箋を持ち帰った程である。日本の文化の特徴「おもてなし」を体感した気がした。

 今回の旅行が充実していたように思えたのは、彼女の努力に依るところが大きかったように思う。

 また件の宿に泊りたい。


<679>

2016-04-13 18:32:36 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 久しぶりに有給休暇をとって、妻と2泊3日の小旅行に出かけた。
 大分空港で降りる。別府温泉、黒川温泉と泊まり、高千穂を経由して熊本空港から戻ってきた。

 夫婦共に普段忙しくなかなか休みが取れなかったのだが、今回は無理をして休みを合わせた。
 実に充実した旅行だった。帰りの飛行機の中、はるかかなたに沈む夕日を見ながらぼんやりこんな事を考える。

 人生は(今まで500万回くらい語ってきたが)メスシリンダーに似ている、ような気がする。(毎回言っていることが違うがそこはドンマイ。)

 我々は空っぽのメスシリンダーを1本抱えて生まれてきた。普段生活している中で日々地味な色の砂粒を投じている。今回のように素晴らしい経験をすると、キラキラした色のやや大きめの砂粒を放り込むことがある。またもとの生活に戻り地味な色の砂を重ねることになるだろう。砂粒の大きさや色は人によっても違うし、見る人によっても異なるが、私の中では今回の旅行はとびきり美しく大きな砂粒になった。他人が見た場合どう映るかは判らないが、いつまでも色あせる事がない、大切な思い出になるであろうことは想像に難くなかった。

 何もせず無為に生活していると、メスシリンダーは同じような地味な色に染まる。地味な色でもシリンダーが埋まっていればまだ良いほうで、人によってはほとんど空の状態のものもある。どうせ私の人生なんか、とふてくされて生きていると多分こうなってしまう。自分の人生がつまらないのを誰かの(ほとんどが親の)せいにして駄々っ子のように床に寝転んでバタバタ騒いで。誰かが手を差し伸べてくれるのを待っている。誰も手を差し伸べないと判っているのに。
 限られた人生を少しでも愛おしい物にしたいのなら、前向きにメスシリンダーに向きあうべきだ。たとえどんな色の砂で満たされていようと、自分で見つめたときに誇らしく思えるなら、それで十分だ。

 羽田空港からの帰り道、妻は早くも次の旅の話を持ち出す。


<678>

2016-04-04 12:32:00 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 妻が何やら会社から持ってきた書類に埋もれている。

 リビングのテーブルの上に書類を広げて格闘しているのだ。どうやら部下の評価表に書き込むコメントに苦しんでいる模様。始めは邪魔しないように隣でテレビを見ていたのだが、余りにも苦しんでいるようなので、手伝おうか?と尋ねる。
 ううん、大丈夫と言うのでテレビを消して別室(と言っても私の居られる場所はリビングの他は寝室しか無いのだが)に引っ込んだ。暫くするとおずおずとやって来て、「文章がおかしくないか、ちょっと見てくれる?」となにやら書きなぐった下書きを持ってきた。

 まあ、提出書類にしたためる文章に関しては、私も素人では無いので「ふむふむ、こういう表現にすれば格好よくまとまるよ。」と教える。
「ありがとう。」と言って彼女はリビングに戻った。

 また暫くして、今度は「ねえねえ、ちょっと文章を一緒に考えてよ。」と猫なで声ですり寄ってきた。
 暫く手伝っているうちにこちらも段々仕事モードになってきて、ここはこうした方が良い、とか始めにこの文章を入れるとより締まった感じになるだろう、いやそもそも会社で提出する文章と言うものは、と熱が入り始めた。

 私は仕事を絶対に家に持ち込まない派なのだが、奥さんは時々家に仕事を持ち帰る。始めから私の助言をアテにしているのが、なんとも可愛い。普段私の話にはあれやこれやと反論して来る彼女だが、今回ばかりは私の話にいちいち頷いて大人しく聞いている。

 普段家では奥さんが絶対君主なのだが、たまにはこういうのも面白い。私は会社で部下に接するように丁寧に指導し始める。