鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<671>

2015-11-29 10:08:38 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 妻が友人3人と一泊の旅行に出掛けた。妻曰く「女子会」だそうだ。

 46歳にもなって「女子会」も無いだろうが、まあそこは突っ込まないのが大人のルール。土曜日の早朝、喜々として出かける妻を見送ると再び布団に潜り込んでもうひと眠り。
 昼前に空腹で目覚めるが、妻が出かけているので当然家の中は静かである。昨日の夕飯の残り物を温めて一人の昼飯である。

 撮り溜めた連続ドラマを6時間かけて一気に見終わり、時計を見ると夕食の時間である。
「さて、と夕食にするか。冷凍庫の中に餃子が・・・。」などと一人ごちてフライパンを熱して冷凍餃子を並べる。

 ビールを注ぎテレビの前で餃子をつまむのだが、やはり妻のいないこの家は閑散としている。そして案の定一人の夕食は美味しくない。

 以前、一人暮らしをしていた時期にはこんな感じでは無かった。一人暮らしなのだから部屋の中が静かなのは当たり前であり、一人で暮らしていること自体には寂しさは感じなかった。
 それが、たった一日妻がいないだけで感じるこの寂しさは、いったいなんなのだろう。普段狭く感じているこの狭小住宅が、今日はとてつもなく広く感じるのだ。
 そんな事をぼーっと考えていたら唐突に妻から電話がかかってきた。いつ電話がかかってきても良いように携帯を手の届くところに置いていたくせに、しばらく時間をとってから「もしもし。」とぞんざいに答える。ちゃんと戸締りはしているか、夕飯はちゃんと食べたのか、こちらの夕食は豆腐会席で、ちゃんとお風呂に入ってね、などと他愛のないことをつらつらと語っている。ほかの三人を待たせてはいけないから早く電話を切りなさい、と早々に切り上げて電話を切る。

 電話を切ると、また閑散とした家のなかで一人きりである。

 夕食を終えていつもより長めに風呂に入り、布団に潜りこんだ。暗い天井を見上げて考える。
 あと何年後か、あるいは何十年後になるのか、いずれはこんな日が来るのであろう。






<670>

2015-11-12 09:20:42 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 こんな夢を見た。

 雪が降っている。私は家路を急いでいる。向かっているのは現在の住いではなく実家のようだ。小学校からの帰り道のルートであることからそう考えた。
 どうやら夢の中の私は少年である。

 雪の量がどんどん増えている。少年である私は足を速める。家が見えてきた。家の前に誰かが立っている。母であろうか。その人物は濃紺のコートに薄いピンクのマフラーをまとっている。母ならば冬場はハイネックのセーターにエプロンといういでたちのはずなのに。だが少年の私が安心しているところから、私を待ってくれているのは母に違いなかった。

 私は安心して彼女の待つ家に駆け戻る。夢の中の少年はほっとしている。雪が勢いを増す中で母親が待ってくれているのだから当然だ。
 帰りが遅くなったりすると、いつも母はこうやって待ってくれていた。だから私は安心して家に戻ることができる。

 ようやく彼女の顔が確認できるところまで来る。

 その顔は母親のそれではなく、妻の顔だった。そういえば濃紺のコートや薄ピンクのマフラーは妻のものだ。
 妻は少年である私の手をとる。その手は寒さで冷え切っていたが見上げたその笑顔はとても柔らかだった。少年の私は母の元に駆け寄った時と同じような安心感を、彼女の笑顔に感じている。安堵、それが彼女から感じられる全てだ。
「寒かったでしょう。早く家に入りましょう。」
 少年の私は妻に手を引かれて家に入る。家の中は暖かく妻はシチューを用意してくれている。

 そこで目が覚めた。真夜中であり妻はとなりで軽く寝息を立てている。唐突に、改めてこの女を一生かけて幸せにしなければいけないと思った。彼女にプロポーズした日のことが思い出された。この思いだけは一生変わることがないと強く再認識する。

 なんとも他愛のない夢を見たものだ。



<669>

2015-11-04 10:35:26 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 先日、実家に立ち寄った際に母親から一冊の本を渡された。D.カーネギーの「人を動かす」だった。しかも漫画版。
 社会人になりたての頃父親に「読んでみろ。」と渡され、読んだことがある。どうして今更、しかも漫画版などを渡すのだろう?思わず失笑してしまった。

 聞いたところ、親父がわざわざ本屋で買い求めてきたのだという。
 80歳になる年老いた親父がもうすぐ50歳に届こうという息子に、しかも漫画版?
 いったんは「読んだことあるから良いよ。」と辞退したが「せっかく買ってきたのだから持っていきなさい。」と母親に押し切られ、不承ぶしょう持って帰ることに。

 社会人になりたての頃は対人関係で悩んでいた時期だった事もあって、成る程と思いながら読んだ。人間としてまだ発展途上だったためか、なかなか実践できなかった。なんともすっぱい思い出である。

 持ち帰ったまま机に放り出しておいたのだが、気になってパラパラとページをめくってみる。新入社員が社長からこの「人を動かす」を渡され、実践するうちに少しずつ成長する様が漫画で綴られていた。「人を動かすには」「好かれるには」「説得するには」「人を変えるには」と、読み進むうちに、当時とは違う読み方をしているのに気がつく。
 今まさに自分の職場で起こっていることであり、自分が抱えている問題であり、現状を打破して次のステップに進むために必要なことであり。
 始めはなんとなく読み始めたのだが、結局あっと言う間に読みきってしまった。

 この歳になって初めて実感できる部分が多くまだまだと反省するとともに、息子のためにわざわざ本屋で少ない小遣いを切り崩した(あるいは母親にお小遣いを貰ったのか)父親に頭が下がる思いだった。

 改めて実践してみることに。親父、大感謝。

 じゃ!


<668>

2015-11-02 18:07:43 | 日記
毎度!ねずみだ。

 函館に行ってきた。先日奥入瀬に行ってきたと威張ったばかりだが、今度は函館だ。恥ずかしながら生まれてこの方、100万ドルの夜景を生で見たことがなかった。まあ貧乏で行けなかったわけではないが、ちょっとそこまで行ってくる、という距離じゃなかったからね。
 もともと出不精だったため結婚するまではあまり遠出しなかったのが、奥さんが旅行好きであっちこっち連れ出してくれるようになったのだ感謝かんしゃ。

 函館山の上から眺める夜の街は確かにに美しく、100万ドルの夜景とはよく言ったものだ。気温が10度を下回り空気も澄み切っていてあまり長く見ていると身体によくないが、まあ死ぬ前に一度見られてよかった。

 まあそれはそれで良いとして、日本の観光地はほとんどタイ・韓国・中国といったアジア人で埋め尽くされているんだね。
 なんでこんな事になってしまったのだろう。いつからこんな感じ?本当にここは日本なのか?特に中国人と韓国人のマナーが悪くてまいったよ。やつらは順番に並ぶということを知らないのだろうか?ぎゃあぎゃあ騒がしく人にぶつかっても、すみませんの一言も無いまあ韓国人だから日本語ですみませんとは言わないだろうが。
 バブル時代にフランスやイタリアに飛行機で乗り付けてブランドものを買いあさっていたアニマル柄の服を着た日本のオバちゃんも現地の人からこんな風に見られていたのかな?日本を代表してフランスの人とイタリアの人に心から謝りたい。

 やつらの国内には風光明媚な観光スポットは無いのだろうか?まずは自分の国の夜景でも見ろ。100万ドルの夜景が見たけりゃ香港に行けよ。え?もう既に見た?まあそうだろうねお金持ちの国になったんだからね。せいぜい日本にお金を落としてください。

 あああああ誰か静かに夜景を楽しませてくれ。ロッキングチェアに揺られてグラスにブランディーを回しながら、暖炉の側には大型犬が大人しく寝そべって、大きな窓の向こう側に函館の夜景が広がって、網タイツ+バニーのお姉ちゃんがムチでビシビシと責めてくれて、ブラックレザーの女王様が赤いピンヒールで踏みつけてくれてそんでもってヒーヒー言わされて・・・

 じゃ。