鼠丼

神の言葉を鼠が語る

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2016-07-12 12:45:06 | 日記
 
 毎度!ねずみだ。

 先日、会社の同僚の母親が亡くなり、通夜に参列してきた。彼は私と同じ年で、独身である。

 実は去年父親を亡くしており、一年を待たずして今度は母親を亡くしたのだ。おせっかいな私は独身の彼のために見合いをセッティングしたこともあったが、結局うまくはいかなかった。

 告別式も終わり数日して彼が出社してきたので、お悔やみを伝えると彼は「まあ、年も年だししょうがないね。結局親孝行もできないまま親父もお袋も死んじゃったよ。」と苦笑していた。

 本当にそうだろうか。

親に嫁の顔をみせられなかった、と言う点ではあながち間違ってはいないかもしれない。ただ物事は捉え方によって、良くも悪くもとれる。
 彼は毎日母親が一人で待つ家に帰ったあと、必ず夕飯を食べていた。「母親が作り置きしてくれるから、食べないわけにはいかないんだよ。」と彼は100キロのお腹を撫で回す。
 
 個人的な感想ではあるが、毎日息子のために夕飯を作る母親というのは、これはこれで幸せだったと思う。私も出来るだけ実家に顔を出そうとしているが、その度に母親は「ごめんね、いつも同じものしかないんだけど、ご飯食べていくよね?」と私のためにおかずを並べてくれる。
 時々現れる兄に対しては、「ハンバーグが好きだから買っておいたよ。」と生協で買い置きしておいたハンバーグを温めるのだ。53歳になるおっさんに「ハンバーグが好きだから。」というのもどうかと思うが、彼女の中では「子供の頃に好きだったのだから今でも好きなのだろう。」という思いがあるのだ。

「毎日息子が夕飯を食べてくれるなんて、お袋さんは幸せだったよ。」と話すと彼は長い溜息をついて、「ありがとう、そう考えることにするよ。」と答えた。


<693>

2016-07-10 08:23:52 | 日記
 
 毎度!ねずみだ。

 先日、長らく地方勤務だった同期の男が本社に戻ってきた。最後に会ったのは丁度1年前、入社25周年記念の集まりだったのでそれほど久し振りというわけでもない。

 最近の若い人たちはどうか知らないが、ウチの同期連中は一緒に集まるというのが殆どと言って良いほど、ない。中心になって「集まろう」と言い出す奴がいないのもその理由の一つだが、心のどこかに「面倒だし、無理に集まる理由がない。」といった考えがあるのかもしれない。
 去年会った際には、(それまで集まらなかったくせに)「いやー、同期連中で集まるのは良いね〜。数ヶ月に一回は集まりたいね。」などと言っていたのに、忙しかったのもあって(いや、やはり面倒だったからであろう)会うことはなかった。

 参議院選挙を控え、候補者が大声で街頭演説をしている新宿南口に集合して飲み屋を探す。声をかけたのは4人だったが、結局集まったのは私以外には2人だけだった。近くの海鮮居酒屋に入り、生ビールで乾杯。話題はやはり1年前と同じで、「あいつ今何やってるの?」「この前久し振りに会ったよ。」「入社してすぐ辞めちゃたのがいたよね。今何処に勤めてるの?」「あの頃、総務に可愛い子がいたよね。なんて名前だっけ?」などと他愛のない話ばかりだ。たしか一年前も同じ話をしていた。
 
 職場での普段の飲み会とも違うし、プライベートな飲み会とも若干違う。この感覚は何だろうか。職場での飲み会は仕事の延長のようなものなので話の中身は仕事の内容がメイン。一方、プライベートな飲み会での話題では仕事の内容は(共有できる部分が少ないのもあって)殆どない。固い話題は殆ど出ない。

同期での飲み会はどうだろう。勿論同じ会社の人間だが、部署も職種も違うので固い話ばかりでもない。年を経て背中に背負うものが多くなりその部分でも共有できる話題が増えた。
 そうか、互いに「分かり合える部分」が適度に増えたのだ。だから気持ちが良い飲み会になるのか。

 二時間ほど飲んだあと、「じゃあ、カラオケでも行くか。」ということになり、若い人たちばかりがたむろしているカラオケ屋に向かう。彼らはみな我々より20〜30歳ほど若く、一様に「なんだこのおっさん達は。」といった視線を投げかけてくる。

 かつての我々のように。