鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<649>

2014-06-30 13:20:17 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 友人のKから誘いがあり呑むことになった。
 職場の仲間との飲み会は別として、男同士の飲み会の話題は「あの頃は良かった」的な内容が多い。(これは女性同士の飲み会でもそうだろう。)
 友人Kの中学時代の同級生である女性の話になり、先般撮ったらしい(彼の携帯に収まっていた)二人で写った写真を見せられた。単なるおっさんとおばさんの2ショットなのだが、そこには。

 あまり詳しくは書けないが、そこにはこんなエピソードがある。
 中学時代同じクラスだった彼女から、「この曲聞いてみて。」と勧められたオフコースのとある曲。彼女のことが気になっていたKは当時始めたギターでその曲を練習する。いつか彼女の前で歌うかもしれないと思い練習する。小田和正の歌詞がまるで自分の言葉のように思えてきたかもしれない。
 卒業して月日は流れ、同窓会で顔を合わせる。お互いに歳を重ね家族を持ち、責任を肩に背負いながらの再会である。Kにとっての彼女はやはり魅力的で、二人で写真を・・・。当時だったら絶対に2ショット写真なんて頼めなかったが、今ならさらっと「一緒に撮ろうよ。」と頼める。以上。(少し勝手な憶測が入っているかも。)

 私も含めて多くの大人たちが、多かれ少なかれ似たような思いを抱いて生きている。心の中にはいくつもの引き出しがあって、その隅のほうに小さな引き出しがひとつある。奥さんには内緒だがその引き出しの中には「甘酸っぱい」とか「ドキドキした」とか「切ない」だとか、そんな形容詞が似合うキラキラした想いが詰まっている。
 
 今回はその「キラキラした」思いにまつわる話だ。

 彼女と「男と女の関係」になりたい訳ではない。「好きだ」という気持ちを伝えて動揺させるのが目的ではないし、50歳を目前にした二人がお互いに「好きだ」という言葉を交わしても、何かが起こるわけではないのは判った上である。
 彼女の心のどこかに自分の存在を留めてほしい。あの頃から彼女のことを好きだった自分を憶えていて欲しい。そのあたりの居酒屋で良いのでふたりだけで呑みながら、「いやー、あの頃君に夢中だったんだよ。君に勧められてオフコースの曲をギターで練習したんだ。」などと、照れながら他愛も無い会話をしたいのだ。その気持ちを伝えられればそれだけで満足。
 あの頃ずっと思い悩んで言えなかった「好きだ。」という一言は、歳を重ねて「(もう時効だから言うけど)あの頃好きだったんだよね。」という言葉にすり替えられずっと軽くなる。相手も「好きだ。」という一言で頬を染めるような歳ではなく、「そうなの?嬉しい。」とさらりと受け止められるようになっているはずだ。
 
 それでも、いやそれだからこそ「ずっと好きだった」と、伝えたい。そしてその「告白」に似たドキドキを件の引き出しに仕舞い込み、「じゃ、またいつか呑もう。」と言ってそれぞれの現実に戻ってゆく。

 斉藤和義が歌う「ずっと好きだった」という曲がある。昔のマドンナに再会し当時の気持ちを伝えるという、なんだかくすぐったい曲だ。「ずっと好きだったんだぜ 相変わらずきれいだな」というフレーズが心に残る。Kにその曲を紹介した。「染みる」とのレスが返ってきた。  

 う~ん、良い話じゃないか。中学の頃大好きだったあの子に会いたくなってきたぞ。(「あの子」ではなく「あのおばさん」になっていたとしても、だ。)





<648>

2014-06-15 01:20:04 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 ウチはDINKS(Double Income No Kids すでに死語?)なので、土曜日の朝はゆっくり過ごすことができる。遅めに起きて朝食を作るのだが、目玉焼きにソーセージを載せたものとトーストが基本メニューである。コーヒーはレギュラーをドリップで。

 目玉焼きは固焼きにならないようにしている。黄身はあくまでも半熟でなければならない。フォークをプツリと刺した時に黄身がトロリと流れ出さないといけない。そのためには火加減と蓋がキモになる。早めに蓋をしてしまうと白身の膜で白くおおわれて黄身の主張がないがしろにされてしまうし、遅すぎると黄身の周囲の白身に火が通らない。
 火力を上げすぎると白身のいちばん外側が焦げてしまいカリッカリになってしまう。かと言ってまったく焦げ目がつかないのもなんだか寂しい。これがまた気を使わせる。

 目玉焼きに添えるソーセージもあまり火を通しすぎてカリカリになってしまうのはよろしくない。適度に肉汁が残っている状態が望ましい。

 レギュラーコーヒーはスターバックスのハウスブレンドを購入して飲んでいる。いろいろ試してみたがここのハウスブレンドが夫婦ともにいちばん気に入っている。バランスが非常にとれている。注ぐお湯は沸騰したてだと香りが飛んでしまうので、少し冷ましてから。いっぺんにお湯を注ぐのではなく、最初に少し入れたら30秒ほど蒸らす。それから少しずつすこしずつお湯を注ぐ。5-6回に分けて注ぎ150mlくらいでやめておく。せっかくのコクが薄くなるのを防ぐためである。

 ここまでは私の役目。

 奥さんはこの間にサラダを用意している。トマトはマストアイテムで、最近よく食卓に上るのはシャキシャキの水菜と合わせて梅のノンオイルドレッシングを少しかけたもの。

 出来上がる時間に合わせてパンが焼ける。パンは都営新宿線の曙橋駅近く「満(みつる)」というパン屋で買っている小麦入り食パンの6枚切り。実に旨い。焼くのが勿体ないほど旨い。(関係ないがここの豆アンパンは必食。)たまにVIE DE FRANCEの紅茶のスコーンがローテーション入りしている。

 床に敷いたラグに直に座り、コーヒーの香りを嗅ぐ。それからおもむろに目玉焼きの黄身にフォークを刺す。私はさきに黄身を食べる派で、奥さんは最後まで黄身をとっておく派だ。
 他愛の無い会話をして、ゆっくりと時間が過ぎるのを満喫している。奥さんも私もフルタイムで働いている中で、唯一贅沢に時間を使うのが土曜日の朝食かもしれない。

 こんな朝食があと何回とれるかな?と奥さんに聞くと「死ぬまで。」と事もなげに答える。