鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<731> 若い両親に会った話(夢十夜の二)

2018-11-20 18:27:24 | 短編小説

 こんな夢を見た。

 私は今の年恰好である。どこかの病院の入り口に並んでいる。すると後ろから私を呼ぶ声がする。振り返ると親父とお袋である。不思議と二人とも50代の若さである。つまり51歳の私とそんなに歳の変わらない両親が病院の前に立っている。周囲から見たらとても親子には見えないだろう。

 両親は「並んでおいたから暑いところに立ってないで病院の中に入ろう。涼しいよ。」と私を中に誘う。そう言われるとなんだか暑いような気がする。向こうを見ると道からゆらゆらと陽炎が立っている。ずいぶん古い町並みで、道路は舗装されておらず車が通る度に砂埃を巻き上げる。子供の頃こんな田舎に住んでいたような気がしてきた。なるほどそれであれば道路が舗装されていないのも合点がいく。ここは私の田舎であろう。遠くからセミの声が聞こえる。やたらに騒がしい。

 両親は私が暑かろうと予め私の代わりに並んでいたようだ。改めて二人の顔を見ると確かにひどく汗をかいている。ますます暑く感じられる。こんな暑い中で両親は私のために並んでいたのかと思うと申し訳ない心持になる。
「そんなに汗をかいていては熱中症になる。涼しいから病院に入ろう。」と二人の背中を押して病院に入る。母親は真っ白いドレスのように裾の広がった服を着ており、病院の中にしつらえてあるベンチに座っている。「ここが空いているよ、座ろう。」と私と父親を呼ぶ。
 病院の中ではカキ氷を売っているので三人で並んで食べることにした。
 病院の中にまでセミの声が聞こえてやかましいが、カキ氷が冷たいので我慢する。

 私はこれから入院するらしい。どこが悪いのかはこれから医者の話を聞くそうだ。そんな乱暴な話も無いだろうと思うが、両親を心配させてはいけないのでまた氷を口に運ぶ。すると母親が案の定オロオロしだし、「お前は大丈夫なんだろうね。お前に何かあったらどうしよう。」と繰り返すばかりである。
 一方親父はそんな事には無頓着で、「会社のほうはどうだ。」などと聞いてくる。母親はますますオロオロし、通りすがりの看護婦に「息子は大丈夫なんだろうね。私が代わりに手術を受けるわけにはいかないだろうか。」などと無茶な事を言い出した。

 相変わらずセミの声が聞こえる病院の中で父と母と三人で座っている。ふいに犬を飼っていたことを思い出し、父親に「そう言えば飼っていた犬はどうしただろうか。もう死んでしまったのだろうか。」と聞いてみる。
 すっかり氷を食べ終わった親父は「死んでなんぞいるものか、飼えなくなったので公園で飼ってもらっているのだ。」とやや怒りながら言う。そう言われるとそんな気がしてきて安心する。その思いが通じたのか飼っていた犬がトコトコと歩いてくる。病院の中に犬が入ってきたのに皆関心を示さない。こんなことが日常的にあるのだろう。
 何十年も前に飼っていた犬のはずだったが、尻尾をやたら振って元気そのものである。暫く会っていなかったのに飼われていた家族を憶えているのは、大したものだというような事を親父が言っている。
 
 私はじゃれて私の手をペロペロ舐める柴犬の頭をなでながら、本当に私はこれから入院するのだろうか何かの間違いではないだろうか、と逡巡している。

 そこで目が覚めた。時計を見るとまだ夜中である。前回家族のアルバムの事を書いたが、そのアルバムが枕元に乱雑に積み上げてある。のどが渇いたので水を飲もうと一番上の一冊を取り上げ、階下におりて明かりをつける。
 たまたま手に取ったアルバムにはまだ20代の母親が写っている。写真の中で彼女は裾の広がった
服を着ている。先ほどの夢に出てきた服だった。写真は白黒で、なるほど夢の中の母が着ていた服が白かったのは写っているのが白黒写真だったせいだったのか、と変に納得した。


<了>

<730> オヤジの肺ガンが発覚したので

2018-11-19 19:03:15 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 唐突だが、親父が肺ガンに。
 
 まあ、日本人の二人に一人はガンになるというのと、今年82歳になる老体だということで私は至って冷静である。この話を聞いて「ふーん。」という感想しか持たなかった。母親がショックを受けたらしく早速手術だ放射線治療だと騒いでいる。
「まあ、お袋さん、親父も今年で82歳だ。十分好きなことをやってきた人生だし治療しなくてもガンの進行も遅いよ。」となだめる。

 母親の手前かかりつけの医者に相談したのだが、検査入院の段階で十分に辟易して「もういやだ。帰りたい」と言い出す始末である。それほど大きな病巣ではないらしいので、医者も選択肢の一つとして「定期的な検査のみで静観する」というものを提案してきた。
 
 それでも最近テレビなどで仕入れた「どうやらオプジーボなる薬が肺がんに効くらしい。」という情報を元に本を買ってきたり医者に「オプジーボを処方しろ!」などとぐずぐず言っているようだ。かかりつけの医者から私あてに、「オプジーボと言っても副作用がありお勧めできない。」という電話があった。やはり命が惜しいらしい。なんとかなるものならなんとかしてやりたいが、医者もこう言っていると親父をなだめすかす。

 まあ、オヤジもお袋もかなりの歳なので、あとは人生をゆっくり振り返って「ああ、あんな事もあった。こんな事も。」と懐かしく笑って欲しいものである。思い立って大量に保管してある家族のアルバムを持ち帰った。スマホで写真を写してスライドショー仕立てにして年の瀬に家族で見てしみじみしよう、と考えつく。

 戯れにページをめくり始めたのだが、兄貴や私が生まれた頃の大量の写真に対して一枚いちまい丁寧にコメントを入れているのに今更ながら気づいた。オヤジが写真を撮るのを趣味にしていたせいもあるだろうが、本当に大量に残されている。
 見ているうちに涙が止まらなくなった。こんなにも両親に愛されていたのかを人生51歳にして改めて再認識する。

 もちろん我が家に限ったことではなく全国の親たちは自分の子供に対して色んな方法で愛情を注いでいるだろう。無償の愛である。恩を着せるでもなく決して報われるでもなく、それでも親は子供に持てるすべての愛を注ぐ。その過程をつぶさに確認した気がした。

 世の中のひねくれた思春期のガキ共は、こっそり家族のアルバムを見返すが良い。「臭いから選択は別々にしてよ!」と毛嫌いする父親がどんなにお前たちを愛しているか考えてみるが良い。「朝から晩まであれやれ、これやれって五月蠅いんだよ!」と反抗している母親がどんなにお前たちのことを心配しているか、反省するなら今のうちだ。そのうち死ぬほど後悔する日が来るぞ。

 ええっとなんの話だっけ。そうそうオヤジが肺ガンになったという話だった。

 とりあえず痛いのは嫌だろうから治療なんかしなくて良いよ。

 じゃ!