毎度!ねずみだ。
去る10/6の土曜日、午後から「魚竹」に向かった。
東京の古き良き商店街「松蔭神社商店街」の顔でもあった「魚竹」が最終営業日を迎えたため手伝いに行くことにしたのだ。
昔ながらの商店街の行く末は三つに分かれる。
ひとつめ。昔ながらの個人商店が親から子へ引継がれ店構えもそのままに、景観を損なわないように賑わったまま存続するパターン。なかなか無いパターンだ。
次に。商店街自体は存続するが昔からの商店が存続するのではなく新しい店が入ってくるパターン。新しく入ってきた店は往々にして長くは持たず回転が速い。
最後、これは地方の商店街に多く見られるパターンだが、人口流出が止まらず店を続けられなくなり、商店街自体が衰退してしまう。
愛すべき松蔭神社商店街はふたつ目に該当する。若い人たちが盛り上げているためこれからも商店街自体は存続するだろうが、そこにある店はどんどん変わって行く。
そんなこんなで50年続いてきた「魚竹」であったが、義理の父親が82歳になったのと魚河岸が築地から豊洲に移転するのをきっかけに引退を決めた。
最終日は近所の爺さんやら婆さんがわらわらと集まってきて、魚を買うでもなく、取り留めの無い話を続けている。
商店街に最近入ってきたフレンチ料理店の店主が話しかけてきたので暫く相手をしたのだが、彼も「こういった店で魚を買うっていう行為がスーパーで買うのとは圧倒的に違うんですよね。」と別れを惜しんでいるようだった。
私が「そう言って頂けると嬉しいです。魚を買うという行為以外に何か目的があって、こうしてわざわざ足を運んでくれるんじゃないかなって気がします。」と応えると「お互いに顔を見ながら商品を売り買いするって、なんか暖かいですよね。」と返してきた。
「皆さんがウチで買っていかれるのは、多分魚だけじゃないんですね。義母さんの笑顔と何気ない会話なんですよきっと。」
こう話すとフレント料理屋の店主は「それですね。」と言って何度もうなずく。
夕方になり魚が大方売り切れる頃になると、店の前は花束で一杯になった。閉店する側の体験はもちろん初めてなのだが、愛される店が閉店するというのはこんなものなのか、と軽く感動する。
半日かけてスマホで色んな写真を撮りため最後に花束を動画で収めた。あとで撮影会を開くためだ。何か撮り足りないような気がして店内に入ると、義父さんが包丁を研いでいた。もう店では刺身を切り分けることがないだろう何本もの包丁を丁寧に砥石で磨いている。
そうだこれが撮りたかったんだ、と急いでスマホを取り出し動画を撮る。小さな体で刺身包丁を手に砥石と向き合っている背中を撮っていると「ああこの人は職人だ。」と唐突に思った。
蛇足だが、数日後の東京新聞の社会欄に最後の挨拶をする「魚竹」の面々の写真が記事とともに掲載された。短い記事だった。本当は新聞の記事などには収まりきらない50年分の色んな想いがあるのだ。あれ、端っこに私も写っている。
じゃ!