鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<697>

2016-08-29 15:23:50 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 最近、子供による悲惨ないじめ殺人が連続して起きているが、学校を卒業して社会人になったからと言って、いじめは無くならない。
残念な話だが子供たちよ、学校を卒業しても安心はできないのだ。

 仕事の多忙さが原因で心が折れた奴がいた。(まあよくある話しだ。)半年の休職を経て復活したのだが、以前よりきつい職場に回された。「彼は経験豊富なベテランだから。」というのがその理由だった。結果として、さらに体を壊してしまった。

 心が折れてしまった時点で離婚してしまい、病院に通いながらボロボロの状態で会社に来ていた。
 以前は快活なヤツだったのに、その目からは光が失われかけていた。他部署への異動を希望しながら何度も却下され、先日なんとかしがらみのない部署への異動が決定した。給料は下がり通勤時間は倍になったが、「なんとか心身面でリカバリーできそうです。」と連絡があった。周囲に聞いたところ元気でやっているそうだ。
 まあどこの会社でもあるのだろうが、会社の規則では心身の弱った社員に手を差し伸べるような制度がある。その制度に助けられるのは
わずかだ。ほとんどの場合、弱りきった状態で会社を辞めていく。「好き嫌い人事」ではじき出されたヤツは飼い殺しにされ、ボロボロになる。上手く他部署に異動できれば良いが、多くの場合が会社を去ることに。

 会社とて別にボランティアで社員を雇っているわけではないのだが、それでも「そこまで酷い仕打ちをしなくても」と思うような事例が少なくない。弱った社員をさらに叩くような仕打ちはパワーハラスメントであり、「いじめ」に他ならない。彼らの人生そのものを破壊して責任も取らずに放り出す。

 先日も一人、若い女性が一人辞めていった。確かにスキルも低くいつまでも独り立ちできない奴だったが、頼りにしていた上司が異動して孤立無援になり、結局居場所が無くなり辞めてしまった。弱い女性だったと言えば一言で片付けられてしまうが、これだって立派ないじめである。

 毎年新人教育の場で彼らに話すことがある。「もし会社を辞めるなら早く辞めたほうが良い。人生やり直すのには体力が必要だから。中途半端な状態で心に傷を負うよりも、早く見切りをつけて次のステージに移るべきだよ。」

 会社を辞めていった連中の人生が少しでも好転するように願うばかりである。

<696>

2016-08-27 08:36:41 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 同年代の女性の同僚がいる。独身でいまだに実家から通って遊びまくっているのだが、まあそれはそれでどうでもよい。

 派手なネイルをしているので、「すごいネイルだね。ネイルって幾ら位かかるの?」と聞いたところ、8,000円~10,000円位かかるとのこと。
「可処分所得が沢山ある奴はいいね~。」と嫌味気味に返したら、「まあね。金と時間は腐るほどあるから。独身で責任も無いし実家通いで料理もしなくて良いし、楽チンだよ。」と言われた。

 ここで、ふと自分の奥さんのことを考えた。独身時代から地味な女性だった。もちろんネイルサロンなど行ったことはなく、料理選択するために爪も短いままだ。もし私と結婚しなければもっと気楽な独身生活を送っていたのかもしれない。
 こんなことを考えると次から次へとネガティブな考えが浮かんで来るもので、もしかしたら彼女の時間を拘束しているのは、他ならぬ私なのだろうか?
 奥さんの友人たちが集まる女子会で既婚女性はうちの奥さんだけなのだが、周囲はみな独身である。友人たちに比べて彼女だけが気苦労が多いのだろうか?
 私との結婚が彼女の人生を拘束してしまっているのでは?
 
 などなど。

 夕食後にこの話を彼女にすると、彼女は笑いながら「勿論自分の時間は無くなったけど、それ以上に結婚してから充実した時間が
増えたよ。」と言ってくれた。

 家事についてはできるだけ手伝うようにしているが、やはり奥さんにかかる負担は圧倒的である。私は毎週テニスをしている(つまりは自分のために時間を使える)が、彼女は休みの日ですら両親の家に赴き、料理をつくり掃除をしている。自分のために使える時間はまったくと言って良いほど無い。

 世の中の全ての夫婦が抱えている問題なのだろうが、いったいどうやって解消しているのか、一軒一軒回って聞いてみたいものだ。
 結婚のメリット、デメリットについて。



<695>

2016-08-23 13:06:55 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 実家に顔を出した時の話。

 家の中のどこかで鈴虫が鳴いている。羽をすり合わせて音を出しているのだから「鳴いている」というのはおかしい。
 まあそれは置いといて、とにかく鈴虫だ。どこからか迷い込んだのか。まどの下のほうから音がするのでカーテンをめくると、虫かごが置いてあってそのなかで数匹が触覚を動かしている。その中の一匹が羽をすり合わせて、あの風流な「リーン、リーン」という音を奏でているのだ。

 母に聞くと、父親がボランティアで参加しているフラワーランド(無料で鑑賞できる小規模の植物園があるのだ)で、鈴虫が大量発生したため、来園する子供たちに配っていたのだが余ったので、それをもらってきたらしい。82歳にもなる親父が嬉々として鈴虫を飼っているというのが、なんとも微笑ましい。

 鈴虫の音(ね)を聞くと、思い出す掌編小説が。川端康成の「バッタと鈴虫」である。
 物語の概略はこんな感じ。夏の夜子供たちが虫取りに出かける。一人離れて虫を探していた少年が「バッタ欲しい人いないか?」と声を上げる。周囲の子供たちが集まる中、もう一度声を上げる。「バッタ欲しい人いないか?」一人の少女が「ちょうだい。」と声をかけると、少年はその娘の虫かごにバッタを入れる。バッタと思って貰ったのが実は鈴虫だったので、少女は喜びの眼差しで少年を見る。
 少年は思いを寄せている少女の驚きと喜びの賞賛を得るためにささやかな嘘をついた、というもの。

 日本人の原風景にとけこむようなこの作品が好きで何度も読み返した。短編小説よりさらに短い小説を掌編小説と呼ぶらしいのだが、かつての文豪たちが残したこの手の掌編小説集を何冊も買い漁った時期がある。

 結婚して家の中での自分の時間が極端に少なくなって、落ち着いて小説を読む時間を捻出することができなくなって久しいが、久しぶりに本屋に立ち寄ってみたくなった。

 翌週また自宅に立ち寄ってみると、相変わらず鈴虫が羽をこすり合わせている。先週聞いた際には「リーン、リーン」と澄んだ音を奏でていたが、メスを呼び寄せるために必死で羽をこすり合わせて磨耗したのだろう、「リリリ・・・、リリリ・・・」と弱々しい音を響かせていた。