鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<771>見知らぬ老婆が手を振るので

2022-02-24 19:38:38 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 母親が有料老人ホームに入って2カ月になる。

 リハビリ病院から今の老人ホームに移った時は全く喋ろうとしなかったばかりでなく、私の顔を見ても暫くの間「どこのどなたかな?」とちらりと見たきりあらぬ方向を向いていたのだが、最近ようやくテレビ電話越しにポツリ、ポツリと話すようになってきた。それでもうつ病のせいなのか、機嫌が悪い時や調子が悪い時は喋ろうともしない。

 毎週末差し入れ(お袋の分だけでなく施設の方にも)を持っていき、少しのあいだお袋の顔を見せてもらう。
 コロナの影響で面会が禁じられているので、お袋を駐車場わきの窓のところまで連れてきてもらい、マスクをとって顔を見せる程度だが最近お袋は笑ったり少しだが手を振ったりしてくれるようになった。あきらかに以前より良くなってきている。(あるいはそう思いたい。)

 私のように車で押しかけて親の顔を見るような事はあまりポピュラーではないようで、駐車場はいつもがらんとしている。施設に老いた親を預けている他の人たちはどうやって顔を見ているのだろう。それとも預けた後はあまり顔を見に来ないのだろうか。
 施設に入っている老人たちは昼食が終わるとそれぞれ部屋に戻るそうだが、中にはそのまま昼食のあとにラウンジでボーっとしている方も何人かいるようだ。テレビを見たり話したり、車いすのまま昼寝をしたり。
 お袋の顔を見にいく時は事前に「〇時頃、お袋への差し入れ持って伺います。」と連絡しているのでその時間にはお袋はラウンジの隅でテレビを見るでもなくボーっとしている。看護師からは「息子さんが会いに来るそうですよ。ここで待っていましょうね。」と言われているのだろう。

 一週間ぶりで顔を合わせ、窓越しなのでほとんど聞こえていないだろうがあれやこれや話す。施設の方にお礼を言って車に戻るのが一連の流れなのだが、お袋に手を振ると、お袋はにっこり笑って弱々しく手を振る。
 気が付くと、周囲の老婆たちがにこにこと笑いながら同じように手を振っているのが見える。
 当然彼女たちの事は知らない。彼女たちも私の事など知るはずがないのだがそれでも満面の笑顔でいつまでも手を振り続けている。

 そうか、と思い当たる。
 彼女たちには私が身内に見えているのかもしれない。身内が会いに来た、と思っているのだろう。
 そう考えるとなんだか立ち去りがたく、いつまでも手を振り続けてしまう。
 彼女たちの身内は会いにきているのだろうか。マスクをしているので顔は見えないだろう。だからこそ彼女たちにとって赤の他人である私が、息子に、あるいは孫に、もしかすると今はもういない夫に見えているのかもしれない。
 もしかしたら私が帰ったあと看護師に「さっき、久しぶりに息子が会いに来てくれたのよ。窓越しに手を振ってくれたわ。」と話しているかも。看護師も「そう、良かったね。」と話を合わせているだろう。

 彼女の本当の息子が毎週母親の顔を見に来てくれているように、と切に願う。そして直接面会できなくても、私が自分の母親にそうしたように、駐車場から手を振り続けて欲しい、とも。

 じゃ、また。

<770> 妻の卵焼きに涙がこぼれたので

2022-02-01 18:24:23 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 先日の事。

 3か月ごとの血液検査の日。(鼠丼の賢明な読者なら知っていると思うが、私は慢性腎臓病に犯されていて、死ぬまであとわずか40年という余命宣告を受けている。こうして残り少ない日々を送っているのだ。)

 朝起きると妻が卵をチャッチャッとかき混ぜている。血液検査するのだから朝版抜きで出社する旨伝えると「お腹空くでしょ。採血が終わったら食べてね。」と卵焼きを焼き始めた。ご存じの通り卵焼きと言う奴は複数の卵を焼かないと美味しく焼けないのだが、一人用の卵焼き用フライパンがあって、それを使えば美味しく焼けるのだ。彼女は時折自分で弁当を持っていく時にそれを使っている。
 見るともなしに見る。あらかじめ醤油と砂糖で味付けした溶き卵を熱したフライパンに少しずつ流し込んでいく。ある程度固まったら片方に寄せてくるりと巻き込みながら残りの卵をさらに入れる。それを巻き込みながら形を整えてあっと言う間に出来上がりだ。
 
 結婚して10年以上が経ち、妻が料理をする姿は数えきれないほど見てきた。それでも、彼女が卵焼きを作る手順や立ち振る舞いを見ていた私は急に物凄い感動を覚えた。神聖な儀式を見ているようだ。
 私の視線に気づいた妻が眉根にしわを寄せ「見ないでよ。」と言わんばかりに私を睨む。
 あわてて振り向き洗面所に急ぐ。急に涙が出てくる。なんだか分からないが次から次へと。お湯を流し顔を洗う。
 感謝の念からなのか、それとも他に理由があるからなのか。日常の、なんでも無いシーンに突き動かされ唐突に涙が出るようになってしまった。何の根拠もないが、彼女が卵焼きを焼く、その後ろ姿を永遠に忘れないというような、ぼんやりとした思いが頭の中を占拠する。もし私より彼女が先にあの世に旅立つ日が来るとしたら、私は彼女が卵焼きを焼く、その後姿をまず思い出すような気がする。

 会社での血液検査が終わり、休憩スペースで弁当を開く。保温袋に入っていたのでまだほんのり暖かいおにぎりとタッパーを取り出す。タッパーにはウインナーとプチトマト、そして件の卵焼きが。一緒に入っていたプラスチック製のフォークで切り取って口にすると、私好みの少し甘めの卵が口のなかでほろりと崩れる。

 今朝の一件を思い出しまた涙が出てきてしまう。周囲に人が居なかったのが幸いだった。

 えらそうな事を語るつもりはないが、こんな些細な出来事の積み重ねがあって夫婦というのはずっと一緒にいられるのかもしれない。
 感謝の気持ちを込めて、帰りに近所のコンビニで甘いお菓子を買って帰る事にした。

 じゃ、また。