鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<784> 送った手紙が戻ってきた話 221007

2022-10-07 19:00:18 | 日記

 毎度!ねずみだ。

 お袋が特別養護老人ホームに入所して以来、誰も住む者が居なくなった実家ではあるが、私は1週間から2週間に一度足を運んでいる。

 ポストに入っている郵便物やチラシ、払い込み済みの公共料金の領収書などを回収するためでもあり、庭中の伸びきった雑草を刈り取ったり、部屋の中の空気を入れ替えて掃除したり。曾祖父や親父の位牌に線香をあげたりもしている。不思議なもので、家は人が住まなくなると急に傷み始めるらしく、2階への階段が急にギシギシ鳴るようになった。怖い。恐怖の階段。まさに怪談である。
 なんでこんなにやることがあるかと言うくらいやることがあるのには、兄がほとんど手伝わない事に原因があるような気がするが、それはともかく。

 先日、母あてに手紙が来ていた。名前だけは知っている母の旧知の友であるその方の葉書には、「ずいぶん長い間ご無沙汰しております。相変わらず元気でお過ごしの・・・」とあった。
 お袋の現状を知らない様子だったので、逡巡したあげく現在の母親の写真と「母は老人ホームで寝たきりの状態です。」と母の様子を詳らかに書いて送った。

 すると、すぐに私宛にその方から封書が届いた。驚いたことに送った写真と手紙がそのまま入っている。手紙には「私も身の回りの物を処分しており、手元には何も残したくないので申し訳ないですが手紙は戻させていただきます。」とあった。
 これがいわゆる「終活」というものだろうか。自分の死を意識して、手元に何も残さない状態で死を迎える。そうすることで周囲に迷惑をかけないようにしたい、たぶんそんなところだろう。そして親交のあった友人に挨拶の手紙を出すことで区切りをつける。 

 しばしその手紙を読み返した。

 自分がこの世を去る時周囲に迷惑をかけたくないと言うのは、おそらく誰もが考える事ではないか。父親が亡くなった際に口座の整理やら相続の件で1年くらいバタバタした憶えがある。お袋の件もあって、今思い返しても大変だった。
 人生にいろいろなオプションをつけて生きている私たちは、その全てを整理してからあの世に行かないと、残された人たちに迷惑がかかる。

 ふと思いつく。今の人たちの結婚率が下がったり周囲と距離を置いたり、家の中に家具をほとんど置かなかったりするのに似ているような気がする。
 必要最低限な生活用品しか買わず、物欲を捨てる生き方。周囲とのしがらみをを面倒とする考え。
 間違っているかもしれないが、このような生き方をする人と「終活」をする人のあいだに、どこか共通するところがあるような気がする。良いとか悪いとかは別として。
 自分がこの世からいなくなる事を考えながら生きていくのは必要な事かも知れないが、なんとなく寂しい。かつて日本が浮かれていた時代にこんな事を考える人はいなかっただろうが、今の人たちは常に考えているのかもしれない。そういう時代なのか。

 自分も妻に出会う前はなんとなく、こんな考えがあったような記憶がある。普通の環境に育ちながらも自分の未来に期待を持てなくて、多くを欲しがらず周りに迷惑をかけず、距離をおいて生きたい、そして誰にも知られずこの世から消えたい、なんてひねくれた考えをしていた時期があった。

 終活。

 悲しい響きだが理解できるし、私もいつか始めなければならない。
 色々と買い込んだ楽器やらバイクやら趣味の道具もいつか処分してからあの世に行かなければならない。うちは子供がいないので妻に処分させるわけにもいくまい。

 着なくなった服の整理なら始められると思い立ち、長い間ハンガーにぶら下がっていたり、タンスの中に押し込んであったりした物を次々に引っ張りだした。まずは90Lのごみ袋2つ分を捨てる事に。
 妻はそんな夫の心中を察する事無く、「あら、珍しい。いらなくなった服は全部捨てちゃえば?すっきりするわよ。」などと笑っている。

 終活を始めよう。長いスパンで。少しずつ。最後は「ゼロ」に。

 じゃ、また。


1 コメント

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Unknown (cafe en noche)
2022-12-31 12:21:39
久しぶりに検索したら、まだ続いていたのか!我が家は息子の就活が終わったら、同時に親と自分らの終活だ。。。
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