毎度!ねずみだ。
先日、奥さんとウチの両親、4人で旅行に出かけた。
旅行と言っても両親の実家がある長野での一泊旅行である。先日噴火した御嶽山からそう遠くない場所に宿をとってあったせいか、宿はガラガラだった。
しょっちゅう出かける父とは対照的に、母はほどんど出かけることがない。最後に出かけたのが3年以上も前のことである。今回は先祖の墓がある寺に用事があったのも手伝って、ようやく重い腰を上げた。
唐突に話は飛ぶ。まだ私が幼かった頃、母は体が弱かった兄を背負ってよく病院に連れていったそうだ。その際に足手まといになる私を、彼女は自分の姉のところに預けていた。子供がいなかった叔父と叔母の家に預けられ、私はたっぷり甘やかされた。田舎に帰る際には必ず寄っていたのだが、往々にしてそうであるようにその間隔はどんどん間延びしてしまう。
その叔母、今年85歳になる母の姉の顔を見に行くのが今回の目的の一つであった。昨年の年末に、ふと叔母が夢の中に出てきたのだ。私は母に電話をかけ、叔母の安否を確認した。
私の心配をよそに叔母は元気だったのだが、それ以来叔母の顔を見に行かねば、と考えていたのだ。結局顔を見に行くのに10ヶ月かかった。なんとも親不孝である。(いや、叔母不幸か。)
東京を出て中央高速に乗り、飯田インターで降りると直ぐの場所に叔母の家はある。叔母の家に着く前、母が楽しみにしていた八ヶ岳のパーキングエリアで、蕎麦とソフトクリームを堪能したばかり(関係ないがここの蕎麦とソフトクリームは絶品)の我々を待っていたのは大量の五平餅であった。
まさか直前に食べてきたとは言えないので無理して食べたのだが、素朴で相変わらず懐かしい味だった。「田舎だからろくなものが無くてかんな。(ごめんね、の意)」と繰り返す叔母だったが、「いやいや、久しぶりに五平餅をいただいたよ。余ったら持ってかえって良いよね。」と答えると満面の笑みを浮かべた。
85歳の叔母は三年前に見た際よりさらに小さくなっており、歩き方もよちよちした歩みになっている。この叔母に世話になっていた当時から45年近くが経つ。幼かった私は少年になり青年になり結婚した。その間、この叔母は我が子に注ぐような愛情を私に注いでくれている。
かなわぬ願いとは分かっていても、いつまでも元気でいてほしい。私が歳を経るのと同じスピードで周囲も歳をとるのだが、勝手な私はせめて私の近しい人たちだけでも歳をとるのを止められないだろうか、と真剣に考える。
まるで子供の様なことを言っているように聞こえるが、おそらくは世界中の誰もが切に願っていることだろう。
つかの間の再会だったが、元気そうな叔母の顔を見られて一安心して宿に向かった。
デジカメで撮った写真を自宅でプリントアウトしたものを母に渡す。叔母には封筒で送ってもらうことに。
母はプリントアウトした写真を手にとると、「実物よりシワが多い。なんとか修正してもらえないだろうか。」と盛んに不平をこぼしている。
先日、奥さんとウチの両親、4人で旅行に出かけた。
旅行と言っても両親の実家がある長野での一泊旅行である。先日噴火した御嶽山からそう遠くない場所に宿をとってあったせいか、宿はガラガラだった。
しょっちゅう出かける父とは対照的に、母はほどんど出かけることがない。最後に出かけたのが3年以上も前のことである。今回は先祖の墓がある寺に用事があったのも手伝って、ようやく重い腰を上げた。
唐突に話は飛ぶ。まだ私が幼かった頃、母は体が弱かった兄を背負ってよく病院に連れていったそうだ。その際に足手まといになる私を、彼女は自分の姉のところに預けていた。子供がいなかった叔父と叔母の家に預けられ、私はたっぷり甘やかされた。田舎に帰る際には必ず寄っていたのだが、往々にしてそうであるようにその間隔はどんどん間延びしてしまう。
その叔母、今年85歳になる母の姉の顔を見に行くのが今回の目的の一つであった。昨年の年末に、ふと叔母が夢の中に出てきたのだ。私は母に電話をかけ、叔母の安否を確認した。
私の心配をよそに叔母は元気だったのだが、それ以来叔母の顔を見に行かねば、と考えていたのだ。結局顔を見に行くのに10ヶ月かかった。なんとも親不孝である。(いや、叔母不幸か。)
東京を出て中央高速に乗り、飯田インターで降りると直ぐの場所に叔母の家はある。叔母の家に着く前、母が楽しみにしていた八ヶ岳のパーキングエリアで、蕎麦とソフトクリームを堪能したばかり(関係ないがここの蕎麦とソフトクリームは絶品)の我々を待っていたのは大量の五平餅であった。
まさか直前に食べてきたとは言えないので無理して食べたのだが、素朴で相変わらず懐かしい味だった。「田舎だからろくなものが無くてかんな。(ごめんね、の意)」と繰り返す叔母だったが、「いやいや、久しぶりに五平餅をいただいたよ。余ったら持ってかえって良いよね。」と答えると満面の笑みを浮かべた。
85歳の叔母は三年前に見た際よりさらに小さくなっており、歩き方もよちよちした歩みになっている。この叔母に世話になっていた当時から45年近くが経つ。幼かった私は少年になり青年になり結婚した。その間、この叔母は我が子に注ぐような愛情を私に注いでくれている。
かなわぬ願いとは分かっていても、いつまでも元気でいてほしい。私が歳を経るのと同じスピードで周囲も歳をとるのだが、勝手な私はせめて私の近しい人たちだけでも歳をとるのを止められないだろうか、と真剣に考える。
まるで子供の様なことを言っているように聞こえるが、おそらくは世界中の誰もが切に願っていることだろう。
つかの間の再会だったが、元気そうな叔母の顔を見られて一安心して宿に向かった。
デジカメで撮った写真を自宅でプリントアウトしたものを母に渡す。叔母には封筒で送ってもらうことに。
母はプリントアウトした写真を手にとると、「実物よりシワが多い。なんとか修正してもらえないだろうか。」と盛んに不平をこぼしている。