毎度!ねずみだ。
古い話だが、かなり前に某お笑い芸人が「ありがとうマイル」という話をしていた。他人から「ありがとう。」と言われる度にマイルが貯まり、一定のマイルが貯まると自分へのご褒美(確かカツカレーだった。)を食べられる、というもの。
なるほどと思い、私も始めた。職場で同僚や上司から「ありがとう。」と言われる度にノートに「正」の字を書き入れ、50回言われたらカツカレーを食べることにしたのだ。別にカツカレーでなくても良かったのだが、なんとなくカツカレーは私の身の丈に合っていたような気がしたから。区切りを100回でなく50回にしたのがちょっとイヤラシイのはご愛嬌。
周囲が面倒がるような雑用を進んでやったり、他人の仕事を手伝ったりした。50マイルなんてあっと言う間に貯まるだろう、と考えて。
ところが。
意に反して、「ありがとうマイル」はなかなか貯まらなかった。私は悟ったのだ。この世の中は意外と「ありがとう。」に溢れてはいない、と。「在り難い」はやはり文字通り「滅多に無いこと」なのだ。
1週間ほどでカツカレーが食べられると皮算用をしていた私であったが、2週間経ってもマイルは20を超えなかった。
と言う話を当時友人(女性)にした。彼女は時々メシを一緒に食べる仲で、友達以上恋人未満の存在だった。(いや、正直に書くと恋人からは程遠かった。友人に毛の生えた程度の仲だ。)
彼女は思慮深く頭が良かった。おまけに美人だ。A型長女の代表格のような女性で、私の話にじっくりと耳を傾けていた。
「どうしたらマイルが貯まるのかな?」という私の問いに、彼女は事も無げに返した。確かパスタを食べながらだったように記憶している。
「ありがとうと言われる事をする前に、他人にありがとうって言っている?ありがとうって言葉は、言われるより言うほうが難しいよ。」
ゆっくりと言葉を選びながら彼女はそう言った。
私は暫し考え、「なるほど。」と言った。「いつも他人に感謝して人生を送っていれば自然に出てくるよね。」なおも続ける彼女の顔を、私はただ見つめた。そしてもう一度うなずいた。「なるほど。そういうものか。」
冷静な彼女は何事も無かったように目の前のパスタにフォークを突っ込む。
滅多に他人の話を聞かない私だったが、その時の彼女の言葉は素直に頭に残った。どう頑張っても外れなかった知恵の輪が、ふとした拍子にカチリと微かな音を立てて外れたような気がした。女性に対して滅多に抱かない尊敬の念を、その時は素直に抱いたのを記憶している。
その話を契機に私は「ありがとうマイル」を貯めることをやめた。
今から何年か前の話だったが、私は時々この話を思い出す。思い出すと件の女性に話すのだが彼女は全く憶えていないらしい。その時の聡明なA型長女はどこでどう妥協したのか、現在は私の奥さんをやっている。
彼女は事ある毎に「ありがとう。」と言う女性である。今なら毎週カツカレーが食べられるかも。まあカロリーオーバーだから止めておきなさいと文句を言われる事必至なのだが。