雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」

2012-04-15 | 日記

小泉八雲の「耳なし芳一」にでてくる幽霊は、一の谷の合戦や壇ノ浦の合戦で没した平家の武者という想定になっている。 私の生家は須磨で、一の谷のすぐ近くであった。 当時、須磨の海の浅瀬に、平家蟹の子供が居たものだ。 平家蟹の甲羅は、怒る人の顔に似ていることから、海に没した武者の霊がのりうつったものだと大人たちから教えられていて、捕まえても決して殺すことなく逃がしていた。 (そのくせ、大人はこの蟹を食べる)

 この地に、大本山須磨寺がある。 ここに平清盛の孫、平家の公達「平敦盛」の塚と、彼が持っていた青葉の笛が保存されている。 平敦盛は一の谷の合戦の折は、まだ14、5才の超イケメンの少年であった。 敦盛は戦に敗れて海に逃れようとした時、源氏の武将「熊谷直実」に捕まる。 直実に名を問われ、「他人に名を訊くときは、先に自分から名乗れ!」と敦盛は毅然とした態度をとる。 直実は心の隅に、まだ幼さがのこるイケメンの少年を逃がしてやりたいと思うが、少年は臆することなく「自分は平敦盛だ」と名乗ったため、直実は涙を呑んで敦盛の首をはねた。 

 と、須磨には敦盛の言い伝えのほか、船上の扇を射たことで知られるの弓の名手「那須与一」を祀る神社がある。 合戦で多くの味方の武将が殺され、水浮く屍を分けて命からがら逃げてゆく船上で「この扇を射抜いてみよ」などとゲームのようなことをするだろうか。 その扇を射抜かれて、船縁を叩いて「やんや、やんや」と敵の武将をほめたたえるだろうか。 こういった言い伝えというものは、後の世に脚色されて、事実とはまったく違う話になっていることが多い。 と、いうか臍曲がり爺の私に言わせれば、多分「嘘」である。


平家物語の出だし

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

  祇園精舎は、インド(天竺)にある寺
  諸行無常は、生まれる者があるかと思えば、死んで行くものがあるように、世の中は常にかわる
  沙羅双樹は、ツバキ科の一重咲きの白い花
  盛者必衰は、今が盛りであっても、やがては必ず衰えるものだ
 

  温故知新「子供がテーマの俳句」2012/04/29
  温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
  温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
  温故知新「土佐日記」2012-04-12
  温故知新「太田道灌」2012/03/28
  温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
  温故知新「南方熊楠」2012/07/24
  温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
  温故知新「杉原千畝」2012/07/24
  温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
  温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
  温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
  温故知新「死者の奢り」2012-12-06
  温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
  温故知新「二宮金次郎」2013/04/17

最新の画像もっと見る