雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第六回 独りっきりの手術

2013-11-24 | 長編小説
 三太は、伊東松庵診療所の門前に立っていた。 お寺の本堂の縁の下から、佐貫三太郎に抱かれてこの門を潜ってから、早くも十五年が経っているのだ。 中から中岡慎衛門の妻お樹の声が聞こえる。 患者の一人が家に帰りたいと愚図っているのを宥めているのだ。 三太は昔のように声を掛けてみた。
   「能見数馬、ただいま戻りました」
 若い男が応対に出た。 以前に寄ったときに、中岡慎衛門の子息で十三歳と紹介されていた。
   「確か、三太さまと仰いましたね」
 三太が答える間もなく、お樹(しげ)が飛び出して来て、三太に「お帰り」と、昔のように出迎えてくれた。
   「おぉ三太さん よく独りで来ましたね」
 中岡慎衛門である。
   「独りでとは異なことを、私はもう子供ではありませんよ」
   「そうだった、そうだった、いいから早くお入りなさい」
 慎衛門は、三太という名を聞けば、懐にひよこのサスケを抱いた幼い三太が思いだされるのだ。
   「先ほど、若い男の方が応対にでられましたが、ご子息の慎一郎さんでしたね」
   「そうです、あれで本人は一人前の大人だと思っているのですよ」
   「いや、実にご立派なご子息です、言葉使いも躾がよく行き届いていらっしゃる」
   「いやいや、まだほんの子供ですが、私の助手をやらせています」
   「それは頼もしいですね」
 お樹が口を出した。
   「私に似て、なかなかの男振りでしょ」
   「何を言うか、慎一郎はわたしに似ているのだ」
 慎一郎は奥で聞いていたらしくて、三太の前に顔を出した。
   「両親は、常々私は三太さんに似ていると言っているのですよ」
 お樹が慌てて弁解した。
   「違いますよ、この子の幼い頃の面影が、どうしても三太さんと重なってしまい、そんな風に言っていたのですよ、ねえ、あなた」
   「子供なんか、どこか似ているものです、仕草とか、喋り方とか」
 三太はそう言ったが、苦汁を嘗めて育った自分と、優しい両親にのびのびと育まれた慎一郎が、似ている訳がないと思った。

 その時、表で馬の蹄の音がして、男が何やら大声で喚いている。 中岡慎衛門がすぐさま応対に出て行ったので、三太も付いていった。
   「それがしは亀岡藩士、山中鉄之進と申すもの、伊東松庵先生にお会いしたくて参った、先生はお出でになりますか」
   「はい、おります、只今これへ…」
 慎衛門自ら先生を呼びに行った。
   「はい、伊東松庵ですが、どのような御用で参られましたか」
   「はい、北町奉行所の与力長坂清三郎どのに聞いて参じました」
 聞けば、亀岡藩のお殿様が、俄かの腹痛で悶え苦しみ、藩医に脈を取らせたところ、腸の腑に垂れ下がる虫垂という部分が化膿して、今にも破れそうで、手の打ちようがないということだった。
 江戸には名医が居ると聞きつけ、山中鉄之進が早馬で駆けて、知り合いの福島屋亥之吉と親友の長坂清三郎に尋ねて回ったところ、伊東松庵先生が以前腹部を刺された少年を手術で治したと教えてくれたので、その足でこちらへきたと語った。
   「折角だが、私は馬にも乗れないし、体も弱ってきている、どうにもその役目は果たせそうにありません」
   「それがしが、馬でお連れ申すので、そこをなんとか無理を承知でお願い申す」
   「と、申されても、…」
 そうこうしていると、福島屋亥之吉が駆け付けてきた。
   「よかった、数馬さんがまだ居てくれて…、数馬(三太)さん、私の時のように是非お願いします」
 確かに亥之吉の手術に三太も参加したが、主にメスを握ったのは緒方梅庵先生である。 だが、虫垂の摘出はもっと簡単で、三太も何度かやっているから自信はある。
   「手術は私にも出来ますが、麻酔薬が手に入りません、お殿様が手術の激痛にお耐えになれましょうか 伺えば、かなり弱っていらっしゃるようで…」
 いや待てよと、三太は考えた。 今の自分は亥之吉の手術の時とは違うぞ、新三郎が居るではないか。 心の中で新三郎に伺を立てると「お安いご用よ」と、引き受けてくれた。
   「麻酔薬はありませんが、私によい思案が浮かびました、その手術お引き受けしましょう」
   「其方は」
   「はい、阿蘭陀医学の権威、緒方梅庵先生の一番弟子、能見数馬と申します」
   「松庵先生、この者にお願いしても宜しいか」
   「はい、梅庵は私の弟子で、長崎で蘭方医学を修めております、その一番弟子ですから、私も推薦いたします」
   「さようか、能見数馬殿は、馬に乗れますか」
   「はい、大丈夫です、幼いころから馬術の修練はしております」
   「わかり申した、馬はこちらでもう一頭用意致す、今から直ぐ亀山城へ行って戴きましょう、ご用意される間、それがしはここで待たせて頂く」
   「松庵先生、薬品と手術の道具をお借りできますか」
   「それは、私が用意しますが、麻酔薬が無くても大丈夫か」
   「はい、私にお任せください」
 三太は自信満々である。

 北町奉行所まで山中鉄之進の馬に相乗りで行って、馬を一頭借り受け、山中と三太は夜っぴて駆け、亀山城へ着いた。 山中も三太も寝不足のために、頭の中は朦朧としている。 このまま手術にとりかかる訳にはいかない。 三太が束の間の睡眠を貪る間に、山中は家老たちと藩医の説得に当たった。 殿もなんとか持ち堪えていたが、既に限界に達していた。
   「事は急を要します、方々が手術を渋っておられるうちにも、殿の命が尽きようとしています」
   「とは申せ、殿に切腹を勧めるようで、どうにも許可できない」
   「左様、お上にどう報告すればよいのか分からぬではないか」
   「殿のお腹を掻っ捌いて、もしものことがあれば、我々が切腹した位では収まらぬ」
 家老たちは、口々に逃げ口上である。
   「それで、殿が今夜にもご他界めされても良いと申されるか」
 山中の語調が強まる。
   「それは、ご寿命でござろう、我々が手出しをしてお命を縮めるよりもよかろう」
   「医師が自信を持って助けると申しておるものを、何故お命を縮めると断定されるのでござるか」
 ようやく山中の熱意が石頭たちを捻じ伏せて、手術とやらをやらせてみようということに成ったが、その手術の激痛を、殿に耐えるだけの気力が残っているかと心配しだした。 これは山中とても同じである。
   「能見先生、殿は手術の激痛に耐えられましょうか」
 山中が恐る恐る三太に尋ねた。
   「はい、大丈夫です、お殿様が知らない間に手術を済ませます」
   「そんなことが可能なのですか」
   「まあ、任せて置いてください」
 三太は平然としていた。

 三太の睡魔も消え、手術の用意も万端整った。 松庵先生が考案した焼酎を蒸留させて作った殺菌成分の高い液で殿の腹部と三太の手を消毒して、新三郎に合図を送った。
   「新さん、頼むぜ」
   「ホイ来た弥次さん」
   「誰が弥次さんですか」
 新三郎が三太の体から抜けると、やがて殿がぐったりした。 新三郎の霊が、殿の生霊を連れて体から離れたのだ。 手術が終わるまで、新三郎が殿の生霊のお守をしてくれている。 お蔭で、三太は慌てずに、丁寧且つ的確にメスを執った。
 手術自体は、簡単なものであった。 ただ虫垂を切り取った後を絹糸で縫うので、この糸を取り去る為に、もう一度開腹をする必要がある。 絹糸は細い蚕の糸を寄り合わせて糸にしたものなので、どうしても化膿を引き起こす。 出来るだけ早く抜き去る必要があるのだ。 手術が終わるのは、完全に抜糸が済んでからである。
 一度目の手術が終わって消毒をし、三太が手術の場を外したのは、始まって半時(1時間後であった。
 それを察知した新三郎が戻って来ると同時に、殿の目が覚めた。 手術の直後なので痛みはあるが、手術以前の痛みと違うのが分かるらしく、殿は悶えることなく、そのまま「すやすや」と眠りに就いた。
   「五日後に、もう一度仕上げの手術を行います」
 三太は、十日間は亀山城に留まるつもりである。 五日後にもう一度皮膚を切り開き、腸の腑の抜糸を行い皮膚を縫い合わせる。 その後五日後に、皮膚の抜糸を行い全ての過程を終える。 もし、藩医が抜糸くらいしてくれたら、三太は五日間早く解放されるのだが、藩医はそれすら出来ないという。
 その十日間は、お殿様の容体を見ながら話し相手になり、藩医の妬みの視線を躱(かわ)しながら、退屈極まりない日々を送った。 とんだ道草を食ったものだが、殿や山中への恩返しに、是非お助けして欲しいとの亥之吉の願いのために我慢をした。

 新さんの墓がある経念寺へのお参りを飛ばしてしまったが、折角亀山の宿まで来たことだし、帰りは草津まで上り、長久保の宿辺りの小県(ちいさがた)の上田藩に向かおう。 ここに三太の第二の故郷ともいうべき義父佐貫慶次郎の屋敷ある。 三太の第二の実家である。
 前回、義兄の佐貫三太郎(緒方梅庵)と一緒に里帰りした時は、ほんの顔を見せた程度で慌しく旅発った。 今度は、十三歳になった義弟の鷹之助ともゆっくり話がしたい。
 亀山藩主の体調はすこぶる宜しく、腸の腑の縫い目の化膿もなく、三太は軟禁状態から解放された。 山中鉄之進に、江戸まで馬で送ろうと言われたが、三太は里帰りの為に草津から中山道に入り信濃の国へ向うと丁重に礼を言って断らせてもらった。
 山中鉄之進は当てが外れたようである。 北町奉行所まで三太に馬で行かせて長坂清三郎に会って馬を返し、あとは自分の馬で福島屋亥之吉の店と伊東松庵診療所に礼に回る算段だったらしい。
 亀山藩主から頂戴した礼金の三分の一を山中に差し上げ、三分の一を松庵に礼金として借りた手術の道具と共に届けて貰い、残りの三分の一を亥之吉の開店祝いとして届けてもらうことにした。
   「それでは数馬さんには何も残らないじゃないか」と、山中が言ったが、三太は、「私は大丈夫です」と、懐を叩いた。
   「何が大丈夫なものですか、贅沢な昼飯も食えないくせに」
 新三郎は、三太の無欲に呆れていた。

  第六回 独りっきりの手術(終) -次回に続く- (原稿用紙11枚)

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