不思議レーサー鮒子田寛

2017-08-09 | ◆気になるコト・モノ・ヒト



先日、恒例のアウトガレリア“ルーチェ”参りをしてきました。
今回は昭和のレースファンにちょっと胸熱なレーサー
鮒子田寛氏に関する車の企画展示でした。

鮒子田氏は若くしてトヨタワークス入りし、
TOYOTA7等で活躍したメーカーレーサーでしたが、
当時それほど派手さや印象深さは感じませんでした。
けっこうワークスドライバーの数も多くて、
あくまでも、その中の一人という感じでしたので…
その頃のトヨタワークスには、
福澤幸雄(福沢諭吉の曾孫)や河合実といった
派手(芸能人と浮名を流す)で目立つ
レーサーが居たので尚更でしたね。


▲ TOYOTA2000GT SPEED TRIAL車(1966年/レプリカ車)


▲ TOYOTA7 415S(1968年) 日本GP用ポルシェ&ニッサン対抗車



▲ TOYOTA7 474S(1969年)
 1969年日本GP対ニッサンリベンジ用車両。
 リベンジ用に排気量を5リッターにアップしたが
 ニッサンR382は6リッターエンジンで登場し、
 敢えなく返り討ちに合う…

それでもトヨタワークス退社後はアメリカに渡り、多くのレースに参加し、
けっこう気になる存在のレーサーではありました。
特に当時大人気だったCAN-AMシリーズ(グループ7カー・レース)に
鮒子田氏がデビューした時は、
大変驚いた(車も不思議な車=2ストエンジン4基載せ)記憶があります。
その後もシグマMC73でル・マンに、1973年にはマキF101CでF-1にと
思わぬシーンに突然現れて何度かビックリ(ワクワク&ドキドキ)させられました。
あの頃、世界に挑戦といえば
“目指せF-1一直線”の生沢徹氏(大好き)でしたが、
生沢氏とはまた違ったアプローチで世界に挑戦するパイオニアレーサーで、
その行動はちょっと不思議で、大変印象深いレーサーの一人でした。

レーサー引退後はトヨタでの監督業や、ベントレーでル・マン車両の開発、
そして童夢の社長等、マネジャーとしても幾多の活躍・結果を残されています。

そんな鮒子田氏に関係した車を集めた展示は、
昭和のレースシーンのほんの断片ではありますが、
本当に感慨深くて胸熱な企画展示でした!


▲ DOME S102.5(2008年) 
 鮒子田氏が童夢で開発指揮をしたル・マン用車両


▲ TOM’S ANGEL T01(1994年)
 トムスGB時代に開発した記念モデル


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